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「ヘタッピマンガ研究所R」から考えた「分析的知性」の話

ヘタッピマンガ研究所R (ジャンプコミックス)

ヘタッピマンガ研究所R (ジャンプコミックス)

村田雄介先生の『ヘタッピマンガ研究所R』を買いました。あと、書店で並んで置かれていたので気づいた『曇天・プリズム・ソーラーカー』も。
曇天・プリズム・ソーラーカー 1 (ジャンプコミックス)

曇天・プリズム・ソーラーカー 1 (ジャンプコミックス)

とりあえず今日は、前者の話。
漫画家を突如志すも画力が絶望極まる『アイシールド21』の旧編集者・斉藤に、村田先生や『いちご100%』の河下水希先生、『トリコ』の島袋光年先生、『HUNTER×HUNTER』の冨樫義博先生が、漫画の描き方を教えるというもの。主に、村田先生と河下先生が画力面、島袋先生と富樫先生が作劇面で指南をしています。あと、話の中だけで『魔人探偵脳噛ネウロ』の松井優征先生が登場したり。
漫画を描こうと志している人、あるいは描きあぐねている人にどれだけ実践的なのかは、漫画を描かない私にはわからないのですが、絵の描き方や作劇の仕方を分析的、実際的に漫画で説明しているので、その点が私に大好評。パーツのバランスによる顔の描き分け方、表情筋による表情(目)の変化の仕方、具体的な男女の描写の差なんかは、なるほどと頷きながら読みました。絵を描く人皆が皆、視覚的な感覚を言語化できるわけではないと思いますが、そういう感覚を持っていない人間でも理解できるように言葉へ落としこめるというのは、素敵なことだと思います。他にも、音楽などの聴覚や、料理などの味覚でも同様に。
まあ具体的にどう描き分けなどが説明されているかは実際に読んでもらうとして、そういう観点とは別に、読んでてふと別のことに考えが飛んだのは、STEP4「顔の描き方 2」。この回では、キャラクターを魅力的にするために表情を豊かにする、ということについて語られています。曰く、「人気漫画の主人公は皆 感情の機微がバッチリ読者に伝わる位 表情が豊か」だと。
アイシールド21』や本作と同時発売の『曇天・プリズム・ソーラーカー』で村田先生は作画を担当。原作は別の方が担当しているので、そんな自分がキャラ作りから関わるような話をしていいのかと、自虐に耽りながら語ってはいますが、それでも原作者から受け取ったネームから自分がどうキャラクターの心情を絵に落とし込んでいるかというと

一にも二にも目ですね 上辺の態度がどうあれキャラの本心は目に反映させる様にしてます
絵で人物の内面を見せる方法は目の表現以外ない! とここでは言い切っちゃいましょう!
昔から目は口ほどに物を言うといいますが 漫画の中では時として口以上に雄弁に物を語るんです!
(中略)
この様に目の表現=本心とするならば
その人物の本心を把握していなければ目を正しく表現することができない!
とも言えるでしょう
(p33、35)

この、内心を把握すれば目=表情を正しく描ける、という理路。どこかで似たようなものを読んだなと思ったら、内田樹氏の文章でした。難波江和英氏との共著『現代思想のパフォーマンス』第5章、ジャック・ラカンの項です。

現代思想のパフォーマンス (光文社新書)

現代思想のパフォーマンス (光文社新書)

ラカンについてもっともよく知られた文献である(らしい)「『盗まれた手紙』についてのセミネール」で主題となっている、エドガー=アラン=ポウの『盗まれた手紙』。この作品には丁半博打に長けた少年が登場しますが、彼が博打に秀でる理由は、相手の賢愚の程度に同調する能力をもっているからなのだそうな。「丁の次は半、半の次は丁」という単純な規則で手を作る「愚か者」を相手にするのか、「丁半と続いているので、ここらで同じ目を連続させようか」と考える「もう少し程度の高い愚か者」を相手にしているのかを、直感的に知ることができるというのです。
では、彼はどうやってそれを見抜くのか。

どのくらい賢いか、どのくらいバカか、どのくらい善人か、どのくらい悪人か、とか今こいつは何を考えているのか、といったことを知りたいときには、自分の顔の表情をできるだけぴったりと相手の表情に似せるんです。そういうふうにして待ちながら、自分の心のなかに、表情にふさわしいどんな考え、どんな気持ちが湧いてくるのかを見るのです。
(『盗まれた手紙』)
現代思想のパフォーマンス/p288)

同書からの孫引きになりますが、こういうことだそうです。
ここでは、ある表情を作ることでその表情にふさわしい内面が発生する、という、上で書いた村田先生の話とは逆方向の理路が展開されているのです。
精神と身体という二元論で考えた場合、得てして精神(内面)が身体(外面)を制御すると考えがちですが、表情が上手く描けていれば内心を十分に把握できているということはすなわち、外面を正確に表現できていれば内面を適切に捉えられているといえます。表情を上手く作れれば、その表情はどういう気持ちの時にするものなのかがわかるということです。
『ヘタッピ〜』のSTEP14、冨樫先生へのインタヴューの回では、『HUNTER×HUNTER』に登場するキャラクター達の表情の奥深さに言及していますが、そこでは冨樫先生は

んー僕はキャラの気持ちさえピンと来てれば 表情なんかは「あ 今こいつ あの漫画のあの表情してる」ってパッと浮かぶ感じですけどね
(p117)

と言っています。内心と表情の繋がりには、明確なイメージがあるということです。そのイメージは一方通行ではなく、双方向的に成立するものでなければ、このような脳内検索の仕方はできません。「あの漫画のあの表情」の心理が明確にイメージできていて、そこに極めてイコールに近い形で結べるからこそ、「キャラの気持ちがピンと来て」いる「今こいつ」にもその表情を適用できるのです。
内田樹氏は、『盗まれた手紙』に登場する博打打ちの少年のエピソードと、ここでは省略していますが、デュパンが初めて登場した『モルグ街の殺人』で、彼が語り部である「僕」の表情や仕草を具に観察することで、「僕」の黙考に声を出して同意するという離れ業を披露したエピソードを端緒として、「凡庸な人間の目には超自然的とさえ映ずるような鋭利さ」を必要とする驚異的な観察力と洞察力、即ち「分析的知性」について語っているのですが、ある種の漫画家は知らずの内にそれを体得してしまっているのかな、と。


P.S. 『ヘタッピ〜』の帯に尾田栄一郎先生の推薦の言があるのですが、それが「偉大な巨匠も昔はヘタッピだった!! つまりあなたもなれるんですよ 漫画家に。」というもの。まあ帯の惹句とは言え、さすがにこれはどうかと。
巨匠はかつてヘタッピだった。あなたもヘタッピだ。だからあなたも巨匠になれる。
素晴らしい三段論法ですね。


P.S.のP.S. STEP9、10で、動きに迫力を出すための3つのポイントと題していたのに、挙げた内の最後の一つ、「コマの連続性」について語られなかったのは残念すぎる。


P.S.のP.S.のP.S. 村田先生の描く河下先生のデフォルメ絵が妙に可愛くて好き。というか村田先生の絵は相当好きな部類に入るので、もっと女の子を描いて欲しいと思います。『曇天〜』にも女の子は出てくるけど、ほら、もっとこうさ、なんていうの、幼女とか。




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