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漫画の話です。

『フィットネス住職』説法とダイエットとなりたい自分になるための話

 2025年1月3日付ののジャンプ+で掲載された、ネズクマ先生の読み切り『フィットネス住職』。
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 霊障と思しき体の不調に悩む女子高生がお寺の住職に相談すると、説法という名のダイエットにいざなわれ、心身の復調と共に悩みも解決する……という筋肉と健康はすべてを解決する系のコメディなのですが、これが意外に奥深いことを語っている気がするのですな。

 主人公は当初こそ住職による説法(という名のダイエット指南)に半信半疑だったものの、住職の教えに従い修行を続けた結果引きこもりも鬱も治り身体も引き締まった隣の家のお姉さんという成功例を目にして、ひとまず修行に励みます。ですが成果は遅々としてあがらず、彼女の心は折れそうになりますが、そこに住職が仏教説話に絡めたダイエットの心構えを述べるのです。

 この、修行する→成果があがらない→不満を住職にぶつける→住職が諭す、という流れのテンポがよく、運動して食事制限もしてるのに体重減らないムキー!となるところに読者の共感がまずあって、そこに強引な仏教的ダイエット指南をぶっこんでダイエットを続けさせるというコメディを作る。これをもう一度繰り返して天丼にして、いよいよ諦めかけた彼女に、修行の前にあげたあるアイテムを見ろという。それによって彼女は、自分では自覚できていなかったけど、真面目にとりくんでいた修行の成果は確かにあがっていたと知るのです。
 それに気づけばあとは沼に引きずり込むだけ。ジム(本殿)のマシンを使って運動の強度を上げ、チートデイを設定してモチベーションが落ちないようにし、脂肪の下から現れてきた筋肉に喜びを見出すようにする。およそ半年も経過するとそこには、シックスパックとはいかずとも引き締まった身体を持つ少女が降誕したのです。

 まあダイエットなんてのはつらいわけですよ。主人公が、こんなに運動してるのに、こんなに食事も制限してるのに全然体重が落ちない!と悲嘆にくれるのは、私自身も経験があります。
 最近読んだ『運動しても痩せないのはなぜか』という、人類の進化とダイエットを結び付けた最新の研究の本によれば、人間は一日の消費カロリーが一定の範囲に収まる(運動で消費カロリーを増やしてもその分基礎代謝が落ちる)ように進化してきたからちょっとやそっとの運動じゃ体重は落ちない(でも運動自体は健康にいいからやっとけ)、ということですので、一朝一夕のダイエットで体重が落ちないのは当然と言えば当然なのです。
 もし数日で体重が落ちてたら、単にむくみや水分が絞られただけなのがほとんどで、あとは健康を害するレベルのハードな運動や食事制限をしたか。体重を健康的に落としたかったら、一日の消費カロリーを適度に下回るカロリーを摂取し続けるしかないのです。
 摂取カロリー<消費カロリーで初めて脂肪が落ちる。当たり前の関係ですね。

 ですので、その道理を知らぬ者が短期間のダイエットで成果が出ないことに嘆くのも無理からぬこと。そこに住職が仏の道に絡めた心構えを説く。なんとかダイエットを続ける。成果に気づく。いっそう励めるようになる。ついには目指していたものを手に入れる。
 この流れが、大げさかもしれませんが、なりたい自分になる為にはどうすればいいのか、という大上段な話にもつながると思うのですよ。

 人に優しくなりたい、モテたい、頭がよくなりたい、面白い漫画を描きけるようになりたい、楽器がうまくなりたい、金持ちになりたい、まともな人間になりたい等々、こうなりたいと日々焦がれる自分像は誰しも持つと思いますが、なりたい自分に簡単になれるようなら思い悩む必要はありません。なりたいのになれないから悩むのです。
 それでもなりたい自分になるにはどうすればいいか。結局のところ、何か一発逆転の方策があるわけではありません(まあ金持ちに関しては、宝くじは一発逆転かもしれませんが)。それに近づけるようなスキルを習得したり、自身の生活や人間関係を見直したりと、地道な努力をするしかないのです。でも、地道な努力は地道なだけにその成果がわかりづらいもの。自分が今していることは本当に理想へと近づく道なのか、回り道をしているのではないか、無駄なことなのではないかと、疑念はしばしば頭をもたげます。
 本作では、心身が健康である自分を求めて主人公はフィットネスに励むのですが、心くじけそうになるたびに住職が説法をしてくれ、成果を気づかせてくれるアイテムとしてお数珠もくれるなど、道の先達として彼女を導いてくれるのです。

三世因果さんぜいいんが
過去と現在さらに未来と全てに因果応報が働くという教えでございます
もし過去の行いによって苦しんでおられるなら
未来の自分が安楽に過ごせる因果を 今のご自分で作ってあげて下さい

ぎょうしゃく
塵芥の様な行いであろうとも長い時間積み重ねるというもの
努力や鍛錬で変化が訪れる時… それは一日にしてならず…
1週間でならず… 1ヶ月でならず… 1年でならず…
まずは振り返る程の努力を積み重ねる事からでございます

卑下慢ひげまん
思った様な結果が出ず自信を卑下してしまう 誰しもある事です
ですが仏教では卑下する事も自慢や傲慢 慢心などと同じ 慢という煩悩として考えます
(中略)
自らを卑下しても 傲慢になっても 小さな変化に気づく事は叶いません
努力した変化は初め ごく見えづらい所から生じるものです 
ですが確実に訪れている事をお忘れなきように

修行に邁進する事 精進…
その言葉には語源がございます それは…
ヴァーリア サンスクリット語で”勇敢さ”を意味します
努力や継続は得てして平坦な道ではございません
苦難を超え 進めど報われぬ事 煮湯の如し それでも尚 精を尽くす者の勇敢さを秘めたる言葉
時に愛しみ 褒め 時に厳しく
自らの努力を見てあげるのです

 びっくりするくらいダイエットの話としてぴたりとハマるし、それを広げて、なりたい自分になろうとする人間のあがきにも通じます。
 過去が作り上げてきた今の自分だからこそ、未来になりたい自分になる為に、他を見上げず、他を見下げず、コツコツと努力を重ね、たとえ変化がないようでもそれに挫けず歩みを止めず、ささいな自分の変化に丁寧に気づいてあげる。それこそがなりたい自分に至る道なのだと。
 その言を信じて実行した果てに得たスマートな肉体に、主人公はそれでもまだお隣のお姉さんの体には及ばないと嘆きますが、そこに住職は言葉をかけるのです。

誰かと比べて得た自信はハリボテ
瞬く間に崩れてしまいます
大切な事… それは…
自分の努力を見る事です!

 と。
 私はこの平易な言葉こそが、この作品でもっとも強く響いた言葉でした。今まで耳馴染みのない言葉が続いただけに、シンプルに届いたのでしょうか。
 誰かと比べないというのは、ある意味で孤独な言葉です。他人を参照せず自分を自分で見つめるだけというのは、目的地まで誰もいない道を一人歩くようなものですから。先達の言葉に勇気づけられても、それはともに歩くためのものではなく、崩れそうになる膝を勇気づけるためのもの。本当に諦めてしまったときに、手を貸して立たせてくれるものではないのです。
 だから、なりたい自分になろうとするのは、とても孤独なことだし、辛いこと。だから大変で、多くの人が悩んではいても実行できないもの。なればこそ、それをできる人、その道を歩み続けられる人はとても偉大だと思うのです。たかがダイエットだろうと、それを思い立って現に成功させ、継続できる人というのは、とても強いものですよ。

 ダイエット×仏教という一点突破のコメディと見せて、意外なほどに奥深いところに触れてきた本作。読んで見てほしいですわ。

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