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漫画の話です。

『黒 -kuro-』皺と隙間から見えてくる(幼女の)服の下の体の話

以前書いた『黒』のレビューの最後でもちょっとだけ触れた、この作品から感じる幼女の描き方の業の深さにについて。
となりのヤングジャンプ:黒

黒─kuro─ 1 (ヤングジャンプコミックス)

黒─kuro─ 1 (ヤングジャンプコミックス)

これを業の深さと言っていいのかどうか、ひょっとしら作者は別段意識していなくて単に自分の性癖を暴露しているだけなのではないか、そんな疑念を抱えつつ、いったい何のことかと言えば、この作品に登場する幼女達はみな服の下の体を強く意識して描かれている、ということです。服は体を覆いそれを保護するものであり、同時に体を隠している。ゆえに,服を描けばその下の体は当然描かずともよく、実際描かれてはいない(見えるのは服でしかない)のに、そこに体があることを読み手に、というか私に強く感じさせるのです。平たく言えば、エロい。

……
やめて、石を投げないで! ペドを見るような視線を向けないで!!
……

さて、読んでくださっている方の何割かはそっとページを閉じたかとは思いますが、残ってくださっている心ある方のために説明をしましょう。私はいったいなにをよすがとして服の下の身体を感じ取るのか。端的に言えばそれは、服と体との空間です。
全身タイツでもない限り、服を着れば布と肌の間にいくばくかの空間が生まれます。それが外に開いていれば隙間ですし、閉じていれば服のシワですが、それがあることで、服の下に隠されている体が、見えないのに見えてくるのです。もう少し正確に言えば、服と体が別個のものと意識されることで、見えていないけれど服の下にも体があると思えるようになるのです。
たとえばこの画像。

(1巻 p38)
少々見づらいですが、ワンピースの下に着ているキャミソールのの影が描かれているのがわかりますが、肌の上に影があるということは、服と肌の間に影ができるだけの空間があるということ。もちろん肌はすでに見えているのですが、ここに影があることで、服と肌はシームレスにつながっているのではなく、別個のレイヤーとして存在していることを感じさせるわけです。

(1巻 p14)

(1巻 p63)
この二つの例も、キャミソールと肌の隙間や、肩紐のねじれなどが、服と体が別個のものであると感じさせるのです。
服と体が別個と感じさせると、なぜそこにエロさが生まれるのか。それは、人はただそこにあるものよりも、隠されているものにこそそれを見たいという欲望が亢進するからです。
それについてはこんな話があります。
古代ギリシャ時代に、ゼウクシスとパラシオスという二人の画家がいました。二人はともに高名な画家であったのですが、どちらがより実力があるかを決めるべく勝負をしました。ゼウクシスが描いた壁画はブドウの絵。その精緻さは、鳥がブドウを啄みに壁まで舞い降りてくるほどでした。それを見て得意絶頂になったゼウクシスは、覆いをかけたままのパラシオスの絵を見て、「早くその覆いをどけて見せてみろ」と迫りました。そしてその瞬間、ゼウクシスの負けが決まりました。なぜなら、パラシオスが壁に描いたのは、覆いの絵だったからです。
この勝負では、二人の巧拙について純粋に比較することは出来ません。ですが、人間はどちらの絵をより本物として見るのかといえば、パラシオスの描いたものです。そこに何かがあるように思わせるには、そこを隠すのがもっとも手軽かつもっとも効果的で、ゼウクシスは、隠しているその下には本物の絵があると思ったために、覆いは絵であるにもかかわらず、それも本物だと思わざるを得なかったのでした。
隠すからには何かある。
そう思うのは絵に限ったことではなく、日常のちょっとした内緒話などでもおなじことですね。
服で隠れているからには、その下には体がある。そう思うのは人間の感覚。でも、それが身体を隠している服だと認識するには、すなわち二次元の絵の中で服と体が別個のものであると見る側に意識されるためには、なんらかのコツがいる。そのコツの一つが服と体の隙間であり、その具体例が服のシワやねじれ、肌に映る影なのです。
そう、そのように描かれた絵にエロさを感じてしまうのは、人間の本能なんです。しょうがないんです……



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