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漫画の話です。

「化物語」のキャラクターと、言葉から立ち上がる絵の話

化物語(上) (講談社BOX)

化物語(上) (講談社BOX)

来期にアニメがスタートする「化物語」のキャラクターが発表されました。
化物語/登場人物
女性陣は原作からそこまで外れていませんね。前髪パッツンがなくなったくらい。
でも、戦場ヶ原と神原の前髪はそろえて欲しかったな。それには意味があるから。
まあこのキャラクター絵が作品中のどの時点のものかはわからないので、それ次第ではこの違いもありなのだけど。


女性陣のキャラクターデザインはまあいいんです。数は多くないとはいえ、原作内のカットで最低一度はその姿が出ていますから。
問題は、小説内では一度もその姿を絵にされたことがない男二人、阿良々木暦忍野メメです。言葉の上でしか存在しなかった彼らの外見は、小説内での描写に基づくしかありません。
阿良々木君は一人称の語り部なので、自身の外見について言及する機会も少なく、せいぜい身長が低めだとか、首筋が隠れる程度に髪が長いくらいの情報しかありません。
忍野は阿良々木君自身の口から何度も表現されていますが、それは忍野を胡散臭さを全面的にフィーチャリングしたもので、「皺だらけの、サイケデリックなアロハ服、ボサボサの髪、総じて、汚らしい風体。清潔感や清涼感などという単語は、この男とはまったく無縁」*1というような具合です。
絵で直接表現されず、あくまで言葉でしか表されてこなかったこの二人、当然読み手の中にはそれぞれの阿良々木君や忍野がいて、それこそ百人いれば百通りの彼らの姿があるはずです。
当然私の中にも私なりの「阿良々木暦」像と「忍野メメ」像があったわけで。
それから言うと、私のイメージとは大幅にずれているんですよね、二人とも。
阿良々木君はもっとお人よしそうな雰囲気があったし(私の中では)、忍野にいたっては絶対金髪じゃ無い(私の中では)。天パ気味の髪がだらしなく伸びて無精髭、アロハの下は素肌じゃなくてよれたTシャツ、ポックリのなんか履いてないし、ましてや逆十字のアクセサリーなんて(私の中では)*2。私の忍野のイメージは「20歳若返った安斎肇」なんですがね。

あるいはロックに出会わなかったマキシマムザ亮君

とまあ、私のイメージの二人とシャフトスタッフがイメージした二人には、かなり大きな隔たりがあります。


はてさて、文字情報のみから絵を立ち上げられるかどうかっていうのは、ちょっと面白い問題だと思います。
西尾維新氏は「クビキリサイクル」で第23回メフィスト賞を受賞しデビューしました。講談社ノベルスから刊行されたときには竹氏のイラストがついていますが、当然「クビキリサイクル」執筆時にはそのイラストは存在していませんでした。西尾氏の脳内に登場人物たちの絵はあったかもしれませんが、読み手に浮かぶ絵は文章以上に竹氏のイラストに左右されます。ことほど左様に絵の説得力は強いのです。西尾氏自身も、二作目の「クビシメロマンチスト」までと三作目の「クビツリハイスクール」以降では、竹氏の絵が脳内にあるか否かの違いで文章のテンションが大きく変わっている、と述べています。*3
もともと小説は言葉のみで作られているものですから、言語情報のみで現実の光景を構成しきることはできません。
作家のプルーストは、女性の美しさや表情を表現するために何十ページと紙幅を割いたそうですが、それでその美しさや表情が完全に表せるわけではないのです。いえ、完全に表すどころではないでしょう。仮に実在の人間の顔を言葉だけで表すことを考えてみたら、その大変さは容易に想像できるでしょう。警察で作られるモンタージュなどがあるじゃないかといわれるかもしれませんが、あれはいちいち例を作っては少しずつ情報提供者の言葉によって修正を加えるものです。その修正もなしでは、膨大な言語情報をいくら用意しても、実在の顔を導き出すのは非常に難しいのです。
ですから、特に人間の姿形などは、ある程度具体的な情報を書き込んで、後は抽象的な表現で読み手それぞれに解釈させるより他ないのですが、具体性の低い忍野の見た目は、私とシャフトスタッフの間で大きくずれてしまいました。「皺だらけの、サイケデリックなアロハ服、ボサボサの髪、総じて、汚らしい風体。清潔感や清涼感などという単語は、この男とはまったく無縁」という、むしろ抽象性(すなわち自由度、想像の余地)の高い情報しか与えられなかった忍野ゆえでしょう。
また、忍野のキャラクター設定が既知の枠に還元しづらいものであったというのも大きいでしょう。実際に神職の人間だとか、ヴァンパイアハンターだとかの、ある程度外見に縛りを設けられる設定ならともかく、なにせ風来坊でインチキくさいくせに凄腕の祓い屋です。そんなやつ、現実に範を求めることはできません。
言語情報に留まっているだけなら読み手の脳裏にそれぞれのキャラクターがいてよかったのですが、いざ現実に一つのキャラクターとして姿形をゲットしてしまうと、どうしてもギャップは出てしまいます。
阿良々木姉妹は「偽物語」でようやく図像化したわけですが、それほど違和感を覚えなかったのは、単純にそれまで外見の情報がほとんど出てこなかったからでしょう。
羽川翼も第一話の時点からちゃんと登場していたにも関わらずイラストになったのは下巻が発売された時点(もしかしたら雑誌掲載時ではイラストがあったかもしれませんが、私はそっちは追っていないのでひとまず除外)ですが、私はそれを見てもやはり違和感を覚えませんでした。おそらくさんざんっぱら「委員長的外見」だのなんだのといった、非常にテンプレ的な外見描写がなされていて、イラストもそれから大きく外れないものだったからでしょう。
やはり、常識の範疇にいない存在を言葉だけで表し、そこに統一見解を求めることはかなり難しそうです。


西尾作品の初映像化ということで、楽しみな反面かなり怖くもあるアニメ「化物語」。「200%趣味で書かれた」小説と違い、時間の尺に厳重な制約のあるアニメであのマシンガントークをどこまで表現できるのでしょうか。


余談ですが、忍野忍は「くじびきアンバランス」の会長の子ども時代でイメージしているのは私だけでしょうか。金髪でヘルメットで小さかったらそれを想像するのもしょうがないだろう。


最後の最後で思ったのだけど、雑誌掲載時には忍野メメが既にイラスト化されていて、アニメのあの通りだったらちょっと赤っ恥だな。






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*1:化物語 上 p367,368

*2:つーか、キャラクターの設定上、逆十字はさすがに問題があるんじゃないか?

*3:ザレゴトディクショナル p258,259