毎巻美味しそうな食事の描写で読者の胃袋を殺しにかかってくる『銀の匙』。
銀の匙 Silver Spoon 10 (少年サンデーコミックス)
- 作者: 荒川弘
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 2014/01/08
- メディア: コミック
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ウインナーと言えばきのこたけのこ戦争も真っ青の焼きvs茹で大戦が勃発するものと相場決まっていますが、さすがの私もこのどちらか一方に与することはできません。両方とも仲良く食べればいいじゃないですか。え? きのこ? あれは殲滅対象です。あとペプシも。
それはともかく、『銀の匙』の食事描写の素晴らしさはちょっと比類ないです。荒川先生の描く飯が美味そうということはすでに書いていますが(荒川弘の描く飯の話)、じゃあなんでそれが他作品よりも際立って美味そうかということについて、つっこんで考えたいと思います。
そもそも「美味い」という感覚は味についてのもので、それについて云々する感覚ですから、舌の味蕾でのみ生まれる感覚と考えがちなのですが、決してそうではありません。美味い/不味いには、それ以外にも多くの要因が絡んできます。
たとえば匂い。風邪のときに食べたご飯がひどく味気なかった、という経験は誰しもあるでしょうが、これは味蕾が荒れているのもそうですけど、鼻水によって匂いをほとんど感じられないことも非常に大きいです。目をつぶったうえで、鼻で息をしないようにして生のリンゴとジャガイモを食べ比べる、というお手軽な実験があるのですが、実はこれ、両者を区別することが非常に難しいのです。両者とも、なんだかしゃくしゃくしたうっすら甘い植物程度としかわからない。それだけ味覚、というか食べ物に対する感覚は匂いに大きく依っています。
たとば温度。冷えた焼肉やぬるい刺身には食欲をそそられないでしょう。ある食材を美味しく食べられる温度は厳として存在します。脂は冷えれば凝固しますし、ぬるい状態の刺身はそもそも危険が危ない。
たとえば食感。せんべいやたくわんをばりぼりと食べる心地よさや、ソフトクリームのなめらかな口触り。あれらは舌だけでなく歯や口腔全域で感じ取っているものです。歯ごたえのないたくわんなんて、俺は嫌だ。
とまあ、ことほど左様に、美味い/不味いには味以外の要素が絡んでいるわけです。
しかしそれだけではありません。生理的なレベルの話だけでなく、環境レベルでも味覚は左右されます。つまり、誰といつどんなときに食べるか。
ご飯を一緒に美味しく食べられる恋人を選べ、とはよく言われることですが、嫌いな人間と顔を突き合わせてぎすぎすした空気の中で食べるご飯が美味いはずもありません。恋人でも友人でも家族でも、一緒にいて楽しい人間と和気藹々とした空気の中で食べてこそ、食卓は明るくなるのです。
また、空腹は最大の調味料と言うように、身体を動かしてお腹と背中がくっつきそうなときにとる食事には、もう得も言われぬものがあります。働かないで食う飯は美味いか?てなもんですよ。
とまあ、味覚に影響する要素をつらつら書いてきましたが、これで何が言いたいかというと、『銀の匙』にはこれを読み手に共感させるシーンがふんだんにあるよね、ってことです。
本作で登場する食べ物はさして手の込んだものではなく、単純な料理ばかり。でも、だからこそその場での作り立てが食べられるわけで、目の前で焼くとか炙るとか、出来上がったばかりの熱々のものにかぶりついているのです。10巻では、網の上で焼かれるウインナーの皮が熱にはじけ、脂が飛び散るシーンに生徒たちが身悶えしていますが、まさにあれ。あの絵を見るだけで、口の中に脂の熱と風味と食感が蘇ります。3巻の、御影牧場での焼きもろこしも殺人的ですね。醤油の焼ける匂いが紙面から漂ってきます。
ああいう、味蕾以外を刺激する感覚を想起させる描写があるからこそ、『銀の匙』は深夜に読めない。
また、環境面でいえば、本作は北海道の農業高校でのお話ですが、文化部ゼロ&部活必須の脳筋学校で、暑さ寒さの強烈な自然にさらされながら、毎日重労働の実習で額に汗し、一つ屋根の下の寮生活で寝食を共にする。そういう、人が食べ物を美味いと感じる下地となる描写があるからこそ、『銀の匙』の飯は美味そうだと思えるんじゃないでしょうか。1巻2話のたまごかけご飯は、本を片手に炊飯器へと走らせるパワーがある。
逆に、本作では珍しく美味そうでない食事のシーンとして、9巻第73話の、帰省した八軒が両親と一緒に食卓を囲んだときのものがあります。ちゃんと昆布をひいてだしをとっている母親、そしてその料理を食べて「うまい」と漏らす八軒の描写があるように、あの料理自体はいいもののはずです。でも、あのシーンには紙のこちら側にまで漂ってくる美味しそうな空気がない。それは、居心地の悪さを感じている八軒の気持ちが伝わってきてしまうからです。食事中におしゃべりをするのは行儀が悪いものとされますが、それでも、ただひたすらもくもくと無表情に食べる料理は、美味しくないというより味気ない。やはり、皆でワイワイと食べている食事シーンの方が、食欲は掻き立てられます。
私たちの胃袋をあの手この手で殺りにかかってくる『銀の匙』、次巻はいったいどんな手管でやられてしまうのか、わくわくが止まりません。お気に召しましたらお願いいたします。励みになります。
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