【『よつばと!』から考える一コマ内の会話のルールの話】を読んで感銘を受けました。
普段スイスイっと読み進めてしまうところに、こんなに技術が使われているとは、まさしく目からウロコでした。
自分が普段意識せずに受容しているものの中に実は細密なルールがあると考えると、なんだか楽しくなりますね。
私はチーズケーキの伏線は読み流してました。生き残ったほうが「浅」だとピンときたのは、秋山富士子のお兄さんが持ってきたショートケーキに、三木桜が関心を示さなかった場面です。肉親の差し入れだったらもっと色々感じるところがあるんじゃないかと。チーズケーキとショートケーキの違いは、言われてはじめて、なるほど!です。
「浅」の動機については、横領がバレたのでもう「浅」の人生は捨てて、今後は「秋山富士子」になりすまして生きていこうとしたのかなと思ってました。秋山富士子の願望すなわち「藤野朱」として溝呂木の中で永遠になるという願望を叶える手助けをする見返りに、秋山富士子亡き後の「秋山富士子」の人生を貰い受けると、そういう契約だったのかなと。ただ、いざ秋山富士子が死んでみると、「秋山富士子」の戸籍だけ乗っ取るつもりだったのが、人格まで秋山富士子にシンクロしていって混乱したのかなと。「浅」が秋山富士子を愛してた、というのは、全然思いつきませんでしたが、言われてみるとそういう線もありますね。
溝呂木と辻君をちょっと似てる設定にして、ラストで「浅」がおそらく辻君の子供を妊娠してるであろうシーンは、死んだ溝呂木と失踪した辻君のいのちが次に繋がっていくという救いなのでしょうか。
>溝呂木と辻君をちょっと似てる設定にして、ラストで「浅」がおそらく辻君の子供を妊娠してるであろうシーンは、死んだ溝呂木と失踪した辻君のいのちが次に繋がっていくという救いなのでしょうか
きっとそれは救いであると同時に、この作品は生と死が虚実ないまぜになっていることを考えると、命が次につながっていくことが果たして救いになるのか、とも思えてきて、そういう点もまた魅力なのかな、という気もします。