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漫画の話です。

「とめはねっ!」と「よつばと!」から考える読み手が感じる季節感の話

先日新刊が発売された『とめはねっ!』。

とめはねっ! 鈴里高校書道部 8 (ヤングサンデーコミックス)

とめはねっ! 鈴里高校書道部 8 (ヤングサンデーコミックス)

縁が覚醒した「かな文字」編も一段落して、これで丸一年が作中で経過。縁たちも進級し、またぞろ癖のある新入生も入部しました。あわや廃部の去年(1巻開始時)と違い、「書の甲子園」で秀作賞を受賞した部長の日野ひろみや、(柔道での)知名度が高い望月のおかげで、だいぶ恵まれた状況です。ま、女性ばかりなのは変わらず縁や影山顧問の肩身が狭いままですが。
さて、8巻の途中で作中の一年が経過した本作。休載が多いので連載期間は4年と少々です。当初連載していたヤングサンデーが2008年に休刊し、現在はビッグコミックスピリッツでの連載になったり(表紙などにはヤングサンデーコミックスの表記がありますが)、なんとドラマ化されたりもしましたがそれはともかく、読んでいて不思議と季節感を感じないのは、私だけでしょうか。日本が舞台の学園モノということで、季節感を感じられる要素はふんだんにあってしかるべきなのですが、8巻でキャラクターが進級して、「あれ、もう一年経ったのか」と虚を突かれた思いなのです。
作中で季節を表すものが全くないかというと、そんなことはありません。夏休みの合宿では海に行き、「書の甲子園」に出品し、浴衣で花火大会を見、秋には体育祭や文化祭があり、大晦日には蕎麦屋でバイトをし、二月にある「書の甲子園」の表彰式へ行き、と季節に応じたイベントはきちんとこなしているのですね。
では、にもかかわらずなぜ季節感を感じなかったのか。
それにはまず、逆にどんな作品から私が季節感を感じたかということを考えてみましょう。
季節感のある作品という事でまずぱっと思いついたのが、『よつばと!』でした。
よつばと! 10 (電撃コミックス)

よつばと! 10 (電撃コミックス)

よつばと!』の第1話は一学期の終業式。そこからだいたい1話あたり1日のペース(厳密に2話が1話の翌日、10話が9日後というわけではなく、また、二日にまたがる話もあります)で時間は進み、6巻の36話で二学期スタート、10巻の時点では10月頃と推測できます。つまり、まだ季節は夏と秋しか出てないのですが、作中での微妙な季節の移り変わりは皮膚感覚のように実感できます。
子どものよつばを見守る大人の視点、子どもとしてのよつばを強調する視点から描かれる『よつばと!』は、ひまわりや蝉、海、台風、秋祭りなどの、季節の風物詩に好奇心満載で接するよつばの様子や、季節やイベントに応じたキャラクターの服装(水着や法被)、環境の情景(稲刈りやどんぐりなどの自然物)が詳細に描かれているため、読みながらすぐに意識へ上りはしなくとも、季節感を存分に味わっていたことを読後に気づくのです。読みながら感じることも勿論ありますが。
また、季節の連続的な、アナログな変化をどう描いているかということも大きいかと思います。夏も終わっていつまでもパンツ一丁じゃいられないことに気づくとうちゃんとか、半袖→長袖→カーディガンなどの上着と、少しずつ厚着になっていく女の子たちとか、アナログに変わっていく季節が服装という形でデジタルに変化を意識させるのは、季節の移り変わりを感じさせるのに影響大かと。
さらにこの作品の表紙は、1巻から夏→盛夏→晩夏→初秋→秋と季節が移るにつれ、描線のシャープさや陰翳、色味も変化しています。盛夏が時期の3〜5巻の表紙は、夏の日差しの鋭さを表すように陰翳のコントラストを強く描き、秋が忍び寄ってきた9,10巻では、描線の優しさや色味の柔らかさが顕著です。表紙絵のタッチでも、季節感が出ているのですね。
他にも本棚を見てピンときたのは『ハチミツとクローバー』や、『神戸在住』ですかね。
ハチミツとクローバー (1) (クイーンズコミックス―ヤングユー)

ハチミツとクローバー (1) (クイーンズコミックス―ヤングユー)

神戸在住(1) (アフタヌーンKC)

神戸在住(1) (アフタヌーンKC)

じゃあなぜその二作なのかと考えてみれば、季節を体感しているキャラクターの姿が脳裏に浮かんだからでした。頬を赤く染めて、半眼になりながら白い息を吐く山田や、影の濃い木々の下を眩しそうに歩く桂など、冬の寒さや夏の日差しの強さをキャラクターが実感しているシーンがあるから、読み手の意識にも季節感が滑り込んでくるのだと思います。
それはつまり、季節のイベントや環境が作中に出てきても、キャラクターがそれを実感していなければ、読み手もそこに共感しづらい、と言えます。書割としての季節やイベントではなく、ストーリーやキャラクターの心理に影響を与える季節やイベントでなければ、読み手にその空気が伝わりづらい、と。
改めて『とめはねっ!』に戻れば、作中での夏休みや運動会・文化祭、大晦日が、それが作中で強い意味を持っているわけではなく、舞台上の一背景としての役割しか担っていないように思えます。薄着になっても、コートを着ても、そこでキャラクターが暑さ/寒さを感じる描写が薄く、時期が夏だからTシャツ、冬だからコートぐらいの、まるで着せ替え人形衣装のような感じとでも言いますか。
あとは、一年を通時的に描いているのにそこに連続性を感じられない、季節を表す描写が断続的だというのも、この作品の場合大きいように思えます。スパンの長いイベントがなく、一つの話のまとまりが短い時間の中で終わるので、一つの話の中で季節が変わっている印象がないのです。それは、ひいては作品全体のまとまりが薄いということなのかもしれません。ストーリーが一本の線で繋がっていないというか、一まとまりの話がいくつも寄せ合っている感じというか。


ああ、念のため言っておきますが、『とめはねっ!』に季節感がないのが悪いというわけでは別にありません。別にそれがなければいけない作風でもありませんし。作中で一年経ったその事実が意外に思えたのはなぜだろう、と感じたところから考えた話ですので。
それに、そういう雰囲気の作品だからこそいいなと思ったのが、いつの間にか縁が、なんというか、とてもそれっぽい感じで部活に馴染んでいる点です。1巻の入部当初は、癖の強い先輩のために肩身の狭そうな雰囲気丸出しの縁でしたが、一年も終わろうとしている7巻のバレンタインの話では、自分の勘違いを話して先輩や顧問を笑わせる、というなんとも部活の後輩っぽい態度を披露しています。部活の後輩という立場が、縁にきちんと馴染んでいるのです。先輩達との仲が進展するようなイベントが特になくとも、するすると一年近くも過ぎれば後輩っぽくなっている縁を見たときに、「おお、部活だ」と思ったのをよく憶えています。うん、すごく高校の部活。いい意味で普通。


顧問影山の従妹にして前衛書スキーにして実力者の島に、望月に憧れ柔道部と掛け持ちしている羽生と、新しいキャラクターが増えた鈴里高校書道部。縁と望月が近づく気配がみじんもないのは予想通りですが、ラブ面はさておき、メインの書道面では縁と望月、共に方向性が見えてきたのが楽しみなところ。はてさて次巻ではどうなるのやら。




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