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漫画の話です。

拍手レス

私の兄は美大卒業後プロになったのですが、努力している姿は見たことがありませんでした。
家での落書きも学校の課題も本人にとってはある種の娯楽であり、多少の苦労も作品完成後の快感の前では問題にならなかったようです。
プロになってからは「家で絵を描いてるとお腹減るけど、会社で絵を描いてるとお金がもらえるからサイコー」と言ってました。

たぶん、お兄さんのような方の「努力」には、一般的に言われるような「苦役」のニュアンスがないのでしょうね。好きだからやる。ただそれだけで。
描くことが楽しいからどんどん描いて、その結果上達して、という幸せなスパイラルに巻き込まれているのは本当に羨ましいです。しかもそれでお金がもらえているなんて、このうえない幸せですね。
きっとそのような方の描く絵の線には「怯え」などないのでしょうが、その有無が決まるのが人間の成長段階のいったいどの時点なのか、気になるところです。

自分も漫画を描いているので、なんだか自分自身を見ている様でいたたまれない気持ちになりました。
自分にしかわからない程形がちゃんとしていないものを、大事に大事にしているのは、悪い事では無いけど他人には受け入れられないよなあと、
色々な人に見てもらいたくて描いてるはずなので、それを忘れたくないと思いました。
漫画、むずかしいです!

作り手の価値観(これが描きたい!これが大事!)と、それを受け手がどう感じるかは没交渉ですからね。いくら自分が気に入った表現などでも、それが誰かに理解されなければ作る甲斐もないわけで。そのすり合わせと、独り善がりに陥らないようにするにはどうすればいいか、というのは作り手の永遠の課題だと思います。受け手あっての作り手ですから。
私は漫画を描くことが出来ないので、絵でストーリーを作って形に出来る人は、本当に尊敬してしまいます。

考察が興味深かったです!
自分も絵の練習をする時、どこに意識が行っているか、考えさせられました。
近視眼的に見ている、というのが本当に良く自分に当てはまります。
全体像をつかめるようになるべく、クロッキーをはじめております。
全体を見ようと、強く意識しないと、自分の意識のたずなを握っていないと、ついつい自分が惹かれる部分部分に、視線が集中してしまいがちです。
よく言われる、人のイメージを3Dで、ぐるぐる縦横無尽に回せるか?という、基本の基本が出来ません。正面から見た目、真横から見た目は想像できる、じゃあ斜め下からは?となると、イメージがソコだけボコッと抜けたようになります。
ポーズマニアック等で、自分の中にイメージの蓄積をするのが一番の近道かなと思います。

>自分の意識のたずなを握っていないと、ついつい自分が惹かれる部分部分に、視線が集中してしまいがち
なるほど!(全体の中の)部分が偏るというのは、そこに目が惹かれすぎているということなんですね。腑に落ちました。クロッキーで全体に目を配る意識を養うというのも、なるほどです。

イラストの模写をしていても、例えば斜め上からの顔を描く時に、頭蓋骨の形状がイメージできていなければ、頭部の弧の頂点がどこにくるのかというところで迷いが生じてしまうんですよね。模写であっても、全体像やモノの立体像を意識できていなければバランスが取れないし線にも怯えが出てしまう。
立体像のイメージの蓄積は大事ですね。