「咲」をどうご覧になるのか、気になります。
「咲」は試し読みの一話で「これは……まあいいかな」と思ってしまったので、そんなたいしたことは言えませんが、なぜそう思ったのかということで言えば、強さの理由があっけなさ過ぎる気がしたからですかね。「リンシャンが必殺技のように使えるんなら、もうなんでもありだろう」と。掲載誌から来るキャッチーさも必要なんでしょうが、あれなら別にテーマが麻雀じゃなくてもいいじゃない、と私は思いました。
「バード」のように運も技術でねじ伏せればいいかと
未読なのでちょと調べてみましたが、私は麻雀(というか賭け事)にイカサマは不要と考えているので、あれはもう別の次元の話かな、と思いました。私の麻雀の基本スタイルが、友人と喋りながら楽しく本気で打つ、というものなので、そこでイカサマという要素が入ると、「勝つ」という目的が先鋭化しすぎてしまうんです。もちろんゲームをするからには勝つためにやるんですが、それを追い求めすぎてルールの枠を超えてしまうと、勝った時の喜びが逆に薄くなってしまいます。なので、イカサマありのものは、また話が違ってきますね。
「主人公本人の努力だけではどうにもならない」「他のキャラクターの行動にも左右される」という点に限定すれば、ギャンブルに限らず、スポーツや恋愛、歴史物、あらゆるジャンルの人間ドラマに共通するところではありますよね。そこをどう料理するかで、その作品のウリにつながるということなんでしょうか
物語の面白さは原則として人間の面白さであると私は思っていますが、特に麻雀の場合、同じ卓を囲んだ四人が、同一のルールの下に、点棒を追い求めるために、相手の心理を読み取り、それでもいかんともしがたい「運」がある、というように、舞台が極めて限定されているのが醍醐味だと思います。
広く人間ドラマでは、不確定要素の介入でキャラクターの行動、心理に変化が起こるわけですが、それがいかに説得力を持たせられるか、ご都合主義と思わせないような流れにするにはどうすればいいかと考えるのが、作り手の力量だと思います。