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漫画の話です。

ニッチとしての物書き

ひさしぶりの週末なので

内田樹氏のこの記事の中段、「物書きは基本的にニッチビジネス」という箇所に強く頷きました。

まだ文章でお金をもらっている立場ではない私がそれを言うのは、おこがましいことなのかもしれませんが、同じく何かを書くことを日々の糧としている(金銭的にではなく、精神的な意味で)私は、最近似たようなことを考えていました。

私が小説を書く理由の一つに、「自分を知りたいから」というものがあります。あるテーマを設定した小説において、自分はそこでどのようなことをどのような文脈で書くのか。それを通じて、自分はどのような人間であるのか知りたいのです。
ヘーゲルマルクスの昔から、人間存在は「何であるか」ではなく「何をするか」として規定されるものと考えられています。それを労働という観点から考えたのがマルクス唯物史観ですが、それに倣って言えば、私は「何をどのように書くか」ということで己を見つけたいのです。

自分探しなんかはどこかに行ってするものではなく、日常の行為の中にしか存在しないということですが、ま、それはちょっと蛇足。

私は自分について知りたい。そして、自分について書かれているものがないから、自分で書いている。
私が私自身の代弁者である、というわけです。
代弁者の存在は、「代弁されているもの」がいる、ということを前提としている。私に代弁者がいるということは、私は確かに存在している。それを一人で、自己の中で済ませているんですな。
ここらへんは、ラカンの(正確にはラカンの受け売りをしている内田樹の)受け売りですが。

「自分自身を知りたい」という欲望は誰にでもあるとおもいますが、その欲望が私の文章によって賦活されるかどうかはわかりません。されたらいいと思うし、少なからずされるだろうということを信じずには、世に出そうと思っている小説は書けませんが。

ま、他には小説、というか文章を書いている時というのは、とても楽しいから、というのが、小説家になりたい理由としてあります。書いてると来るんですよ、恍惚とする瞬間が。上手い言い回しを考え付いた時の自分なんか、最高にハイってやつです。書いてる途中で、物語の終わらせ方が見えた瞬間なんかたまりません。
私にとって、趣味と実益を兼ねた職業であるということです








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