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『花もて語れ』ハナの朗読と読み手の同調の身体性の話

月刊連載から週刊連載へと移行した『花もて語れ』の新刊。

花もて語れ 5 (BIG SPIRITS COMICS SPECIAL)

花もて語れ 5 (BIG SPIRITS COMICS SPECIAL)

4巻辺りから主人公のハナを筆頭に女性陣が女性らしい容姿になってきているのに驚きを隠せないのですがそれはともかく、この作品の主題となっている朗読という芸術。この作品の肝は何と言っても、漫画という視覚メディアで朗読という聴覚表現を伝えるにはどうすればいいか、です。作中では、ハナが朗読する文章の地の文の書体を、文章の視点に応じて6種類で使い分けているということが明示されていますが、それ以外の工夫として、1コマ内に書かれる朗読する文章の文字数というものも挙げられるのではないかと思います。もう少し具体的に言えば、朗読される文章、特にその中でも大事な個所は、大きなコマの中で入れる文字をなるべく少なくなるようにしているのではないか、ということです。
朗読される文章と、通常のシーンでの登場人物のセリフなどのそれ以外の文章の文字数の違いは、たとえばこんな感じです。

(5巻 p14)

(5巻 p151)
わかりやすくするためちょっと極端な例を挙げましたが、一枚目は、右のフキダシ内に38文字、左のフキダシ内には19文字で1コマ内に合計57文字(句読点、記号を含む)ありますが、二枚目は一コマ目から順に11文字、15文字、12文字の計38文字。画像ではわかりづらいですが、コマの面積も二枚目のコマ群のほうが大きいため、文字数の密度の差は明らかです。
じゃあそれになんの効果があるのかという話ですが、このように一コマあたりの文字数を減らすことで、読み手はその文章をそのコマごと、あるいは句読点ごとの区切りに即して読みやすくなるのです。
人が漫画を読むとき、そこに書かれている文字は、線条的に一文字ずつ読まれるのではなく、まずはコマorフキダシごとに一望的に認識されます。その認識は意識に上るものではないかもしれませんが、実際手元にある漫画を読んでもらえれば気づくはずです。自分が文字を一文字ずつ読んでいるのではなく、まずは一望的に、あるいは線条的に文字を読むのと同時的に、そのコマorフキダシ内で書かれている文字(文章)全体を見ていることを。一文字ずつ目で追っているようでも、実は無意識のうちに文章の全体を見ている。それは脳が情報の処理を合理的に行うためだと言えます。*1だから、例の一枚目で挙げたフキダシも、特にその文字が占有している面積が狭いほど、文字(文章)全体を読みきる前に詳細な意味までは理解せずともその全貌は把握され、するするっと読めてしまうのです。
するするっと読める。それはいいことのように思えますが、時と場合によりけり。するするっと読んでしまうという行為は、まさに黙読です。

「黙読」の利点は「音読」より速いこと。
「知識」を詰め込むためには「黙読」の方が適しています。
(1巻 p81)

私たちはあちらこちらと目を泳がせることで脳の負荷を減じて「黙読」している。この場合、詰め込んでいるのは知識より情報といった方が適切かもしれませんが、それと引き換えに私たちは「読み手と聴き手で感動を共有する至福」を手放してしまっているのかもしれません。読み手と聴き手、つまり描き手と読み手ということですが。
例の二枚目は、各コマの中にフォントの大きな文字が少ない文字数で、さらにフキダシのような「ここが文字の書かれている場所ですよ」と明示す記号も無く文字がバックに描かれる絵に溶け込むようです。短く区切られた文章を各コマごとに読むことで一度に俯瞰的に把握できる文章の絶対量は減り、またパッと見でわかりづらい文字は必然的にそれに集中することを要請し、結果的に読み手が文章を読む(認識する)テンポは普段読んでいるそれよりもゆっくりになって、区切られた文章のリズムに同調しやすくなります。それはつまり、ハナがしている朗読の速度、息遣いを感じやすくなるということなのです。
三浦雅士氏の『考える身体』という本の中に、こんな一節があります。

想像力といえば、意識の問題と考えられがちだが、そうではない。それはまず身体の問題なのだ。身体がまず他人の身体になりきるのである。その運動、その緊張、その痛みを分け持ってしまう。想像力の基盤は身体にあるとさえ言いたいほどである。
(p57)

考える身体

考える身体

朗読に限らず、ある表現による想像力の喚起。そこには身体性が必要です。実際の朗読であれば、朗読者のいる場に居合わせるわけですから、その息遣い、間の取り方、わずかな身振り手振り、視線の移ろいなどといった、表現者の身体性を直接的に感じ取ることができます。ですが、漫画ではそうはいかない。朗読のシーンを他のシーンと同じく描くだけでは、朗読特有の表現が伝わってこない。
ならばこそ、漫画という視覚メディアで朗読という聴覚表現を伝えるために、朗読する者(=ハナ)の息遣いという身体性を、コマ数と文字数のバランスという視覚表現で読み手に同調させようとしている。そういうことが言えるんじゃないかと思います。



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*1:逆の状況として、たとえば、ある文章を紙一枚につき一文字ずつ書いて、それを紙芝居のように一枚一枚めくりながら読む、というものを考えてみると、文章の全体の把握が不可能なために、ストレスと共に、文意の把握にひどく集中力を要求されることが想像されます。一文字ずつ線条的に読んでいるようでも、目は先読みしていたりあるいは元の文章に戻ったりしていて、そうすることで脳は文章の把握に努めているのです