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『へうげもの』「ひょうげ」の毒と徳川の正義の話

天下分け目の関ヶ原が目前に迫った『へうげもの』14巻。

へうげもの(14) (モーニング KC)

へうげもの(14) (モーニング KC)

徳川勢と豊臣・石田勢の趨勢がいよいよ前者に傾いていますがその中で、後の二代目徳川将軍・秀忠が、養子に出た兄・結城秀康から結城紬を送られたことに感動し、こう漏らしています。

結城殿の………… 兄上の忠義 しかと受け取り申した
この秀忠 世にはびこる毒を排し この紬の如く堅実強固な体制を築き申す
(十四巻 第百五十一席)

そして同じ回で、我らが主人公・古田織部はこう言っています。

「緑」は毒……か
我らが創らん「ひょうげ」の象徴たる器は…… 斜めに見ずば良さのわからぬ分…… その価値にも毒を含んでおるやもしれぬのう……
されど………
毒を含む物ほど最高の味がするも 真のこと 河豚の如くにな
(同上)

この回の副題が「数寄と毒薬」であることからも両者の「毒」が呼応していることは明らかで、史実にある後の織部の命運を決定づけるようでもありますが、さてさてこの徳川の毒を排する「正義」と、毒こそ面白いとする古田の「ひょうげ」、もうちょっとつっこんで考えてみようと思います。

徳川の嗜好

信長、秀吉と、徳川以前に戦国の主役となった二人には、形や嗜好、目的は違えど数寄を解する心がありました。ですが徳川方の武将は、良く言えば武士らしく質素で慎ましい、悪く言えば無骨で野暮な人間ばかり。
己の格好を顧みなかったり

「畏れながら…… 我らの暮らしが民百姓の血と汗で支えられている限り 一切の贅沢は許されぬものと心得ております それが武人の正しき姿かと」
「貢ぐ対象が見すぼらしくて喜ぶ者がいると思うか?」
「…………は?」
(二巻 第十六席)

天下の三肩衝の一つを痰壺呼ばわりしたり

第一見なされ…… この小汚い器を………
これが名物とは笑止なり ただの痰壺にござろうよ
(三巻 第二十六席)

織部曰く「玄米爆弾」の野卑極まる飯の盛り付けを「洒落た」と称したり

さぁさぁっ 毒見を致しますから召し上がってくだされ!
たとえ京でも これほど洒落た精のつく御膳は頂けますまい!
(四巻 第三十六席)

桜の美しさを実感することもできなかったり

よいか榊原……
若いうちは桜を見て…… 今後幾度でも見られると思うものだが…… 桜をまじまじと見ることなど実際は十度もあるかないかよ
しかし徳川方にあっては…… 三度すらないやもしれぬ それでよいのか榊原……
その方とて子がおろう 桜の美しさすら我が子に語れず…… 人として生涯を全うしたと申せるのか
(五巻 第四十三席)

まあそういう方々。
そして、そんな徳川の総大将たる家康が興を覚えるのは

茶碗の釉に風情を感じたり…… 市中の山居に思いを馳せるなどは苦手だが……
理と経験を基に新しき物を構築してゆくはたまらなく楽しい これが私にとっての数奇なのやもしれぬ
(七巻 第七十五席)

というもの。
天海僧正に命じて計画させた江戸の街も、唐の都・長安と風水を参考にして、実にかっちりとしたものになりました。

(七巻 第六十九席)
このように徳川の嗜好は、「なんとなくいい」「風情がある」「心が揺さぶられる」などの曖昧模糊とした情緒を不得手とし、逆に現実的、計画的、論理的なものに惹かれているのです。

織部の「ひょうげ」

一方織部が至上とする「ひょうげ」は、甲乙丙でいう「乙」なもの。

(十二巻 第百二十席)

一笑を誘うには 一段 格を落とした方が良いのだ これより造る唐津焼美濃焼も…… 全てそこを目指すつもりぞ
いずれ人々は最高の賞賛と評してくれよう これは「乙」なものだと
(十一巻 第百十三席)

甲ではなく乙である、一段格を落とすということは、完璧さを求めないということ。それどころか織部は、歪んだものこそが笑いを誘う最高のものなのだと言います。

(九巻 第八十八席)

(十一巻 第百十席)
前者は「作為なく絶妙にひずんで」いる「神が創り賜うた偶然の産物」。後者は「ひずむを待つでなく自らゆがませ」たもの。ゆがんでいることに価値を見出しているのは共通していますが、特に織部が求める「ひょうげ」は後者の、「それでも追いつかんとす人間の必死さ」、「神の偉業に追いつかんと必死に己を鼓舞せし故のゆがんだ姿」をより面白いと言うのです。
織部が朝鮮で作った器(十巻)や、織部十作の作陶場の物原で見つけた色むらの激しい緑釉の皿(十四巻)は、均整を外した過剰あるいは不足により価値を見出されていますが、この面白さは、徳川武将・酒井忠次の「海老すくい」を笑った時のように、「斜めに見ずばわからぬもの」なのです。この「斜め」という言葉には、織部のかつての主君である信長の通り名「傾奇者」を思い出させます。

毒と賢さ

「斜めに見ずば良さのわからぬ分…… その価値にも毒を含んでおるやもしれぬ」という織部。「毒」とはすなわち、害があるということ。ではその害とは何か。
ひずんだ織部の器を前にして、家康は言います。

皆 賢すぎるのよ…… かような物を良いと申す者がおる程に………
賢き者はを隠してでも己を前へ出さんとするもの………
出さんとすればまた争いが起こる…………
この流れを止めねばならぬ
(十一巻 第百十二席)

世の中を斜めに見るということは、物事を主観や常識から離れてみるということ。つまり「賢さ」です。織部の提唱する価値は見る者に「賢さ」を求め、それは「民に余計な思案は不要 要るのは忠義…… 清廉潔白な心のみ」という徳川とは相いれないもの。ゆえに、秀忠が「毒を排す」と言い、それが織部の「ひょうげは毒」という言葉と呼応するのは必然なのです。
ただ、これを言っているのはあくまで秀忠であり、父・家康ではない。家康は「清きも汚きも存分に学び尽くさねば…… 次の新しき世に進むこと叶わぬ」などと言っているあたり、秀忠よりも潔癖の度合いは低いようですが、利休居士所持であった尻膨の茶入を「茶入なぞ茶が湿気ねばなんでもいい」と切って捨てたのを考えれば、織部が「徳川が一切の数奇の一切を任されようとて…… 果たして己が好みの勝手が利くかどうか……」、「確かにこの圧倒的な力は信長公や殿下に匹敵す…… されど何か…… 何かが先の二人とは異なる……」と不安がるのも無理はありません。
江戸を「健やかなる正義の都」にしたいと家康は言いました。果たしてその健やかさとは、範馬勇次郎の言う「健康にいいものだけを採る これも健全とは言い難い 毒も喰らう 栄養も喰らう 両方を共に美味いと感じ――― 血肉に変える度量こそが食には肝要だ」と同じものなのでしょうか。おそらく違うでしょう。なればこそ、織部の「ひょうげ」=「毒」は徳川の正義の邪魔になるのです。


ということで、へうげの毒と徳川の正義でした。ここまで相反したものであれば、そりゃあ織部は最終的に切腹を申し付けられますわな。



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