ポンコツ山田.com

漫画やアニメ、小説などについて、思ったことを恬淡と。

夜の学校 二人だけの約束 ぬけるような夜空の下で『月曜日の友達』の話

水谷茜は月曜日が嫌いだ。まだ慣れない中学校に行かなければならないから。中学校に上がって塾や部活に行き始めた友人たちと遊べないから。気の合わない姉が帰ってくるから。
一週間が始まる度に気が塞ぐ。学校が終わっても、家に帰っても、落ち着かない。月曜日の夜、家から飛び出した水谷茜は、闇雲に走り中学校まで辿りついた。するとそこにいたのは、変わり者と評判のクラスメート月野透だった。思いががけない出会いに興奮した彼女は、興奮したままたまった鬱憤を吐き出す。
「私ってそんなに変なのか」
彼女の叫びを聞いた彼は言う。
「別に変でもいいじゃないか」
月曜の夜に出会った二人。そんな二人は、また月曜の夜に学校で会おうと約束する……
月曜日の友達 1 (ビッグコミックス)
ということで、阿部共実先生の新刊『月曜日の友達』のレビューです。
阿部先生と言えば、模造クリスタル先生と並んで、かわいい絵で不穏な物語を描く二大漫画家(俺調べ)であり、本作もその系統かと思いきや、意外や意外、思春期を迎える直前の少女と少年が出会う、暗さと爽やかさが奇妙に同居するガールミーツボーイの物語です。
主人公は水谷茜。小学校の級友らとともに、中学校へ進学する。他の小学校からも進学してきた、中学生たち。小学6年生から中学1年生へと変わった少年少女たち。まるで大人のように振る舞う周囲の変化に戸惑い、水谷茜は変わっていない自分に焦りと不安を覚える。小学生から中学生に変わって、まだ一か月と経っていない。でもみんなは、変わって当然の顔をしている。水谷茜が小学校の時と変わらない振る舞いをすると、子供を見るような目で見てくる。同じ中学生なのに。同じ進学したばかりの人間なのに。変わった周りが変なのか。変わらない自分が変なのか。感情が軋む中で出会った、変わり者と噂される一人の少年・月野透。思いもよらず、彼の口から紡がれた、自分を肯定してくれる言葉。月曜日の夜に学校で会おうという秘密の約束。二人だけの約束。
え、マジで阿部先生の作品?って訝しんでしまうくらいガールミーツボーイです。
けど、この作品をいかにもボーイミーツ的に「甘酸っぱい」とか簡単には言いたくないんです。そう表現するには、作品の空気にあまりにも暗さがあり、あまりにも寂寥があるんです。
この作品の印象を私なりの言葉で端的に表すなら、タイトルでも使った「ぬけるような夜空」です。
それはどういう意味か。
「ぬけるような」とは、雲一つなくいっぱいに広がる透明な空を表す表現ですが、普通は後に「青空」が続きます。でも、この作品の主役の二人、水谷茜と月野透には、青空がもたらす心からの陽気さはそぐいません。いえ、二人とも陽気な部分は見せるのですが、心からの陽気さは二人でいるとき限定で、開放的な、外に開けた陽気さではありません。言うなれば、孤独な陽気さ。そう、二人の関係性は社会、もっと言えば、中学生にとって非常に重要な社会である学校から隔絶しているものなのです。
それゆえ、二人には孤独が付きまとう。寂寞が付きまとう。夜の帳に二人だけが包まれている。閉ざされた幕の中で、二人だけが明るい。底抜けに明るい。解放されたように明るい。他のクラスメートらが中学生になって、大人のふりして、もう子供じゃないよねなんてうそぶいて、表情も感情も態度も糊塗していても、二人で夜の学校にいるときは、違和感があれば違和感を叫べ、素直な気持ちを持てる。しがらみを一時的でも脱ぎ捨てられる。そんな、月明かりに照らされている二人の、二人だけときの心の澄明さ。それは透き通っていて、それでなお暗闇の中。
秘密の約束を交わした二人に似つかわしいと思う、「ぬけるような夜空」なのです。
さて、そんな二人の物語は水谷茜の視点で語られます。
何度も述べているように、彼女は周囲との関係にいまいちしっくりいっていません。クラスメートらとも、仲が悪いわけではないけれど、いつの間にか中学生らしくなってしまった彼や彼女を見ていると、自分がおかしいのか、と悩んでしまいます。皆で遊びに行っても、ファッションの話、流行の音楽の話、美容の話、現実的な将来の話。自分の素直な気持ちを言うと、いつも笑われてしまうのです。
また、三歳離れた姉は出来が良く、彼女と入れ替わりに入学した水谷茜は、学校でも家でも、しばしば姉と比較されるようなことを言われ、それに苛立たされます。彼女自身、姉がいい人間だと頭では理解していても、感情で反発してしまうのです。
「大人」のクラスメートには、自分の素直な感情を表そうとすると子供扱いされ、家族には、姉を見習えと言いたてられる。水谷茜は、自分の言いたいことを言っても手ごたえなく消えていってしまう中で、月野透と喋っている時だけは、自分の言葉がそのまま認められ、肯定されます。それに彼女は救われる。嬉しいという感情に胸を締め付けられる。
水谷茜は、月野透から与えられた言葉に救われます。そしていつしか、彼女も彼に、何か与えたいと思うようになります。彼のことを知りたいと思うようになります。彼を救いたいと思うようになります。
救われた少女が、救ってくれた少年を救う物語。そのために少女がとった手段。それが語られる第3話の終盤は、とても美しいシーンです。
1巻が終わるときには、季節は秋になろうとしています。二人だけの約束は変わらず続いていますが、周囲の人間は少しずつ変わりますし、そして周囲が変われば水谷茜も月野透も、変わらないわけがありません。変わらない約束で繋がれた変わる二人。その変化は、約束すらも変えてしまうのか、それとも。
詩のような台詞は神韻を帯び、世界は読み手の世界から独立し始める。光や水やボールなど、散らばる粒が誇張的に配された絵は、幻想的なポップアートのごとくに仕立て上げられる。これは、読み手の単純な感情移入を絶つ、美しく閉じられた物語。淋しい健やかさに満ちた物語。果たして二人にどんな先が待っているのか、美しいもの見たさに待ち望むような、辛いもの見たくなさに恐れる遠ざけるような、相反する気持ちが湧いてしまいます。
第2話で、眠りから覚めた水谷茜がこんなことを言います。
「なぜ、夢からさめると決まって少し切ないのだろうか。」
きっとそれは、夢からさめたその瞬間、今まで見ていた夢の世界から切り離されて、現実の世界にたった一人で引きずり戻されるから。
この本を閉じた直後の切なさは、きっと現実にたった一人で引きずり戻されるから。そう思わされる言葉です。
月曜日の友達/阿部共実 やわらかスピリッツ
読んで。不穏だけど、明るいから。そして、さびしいから。



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映画、それは夢と希望と狂気の大釜 『映画大好きポンポさん』の話

ポンポさんは映画プロデューサー。伝説の名監督である祖父から、幼少時より映画の見方について手ほどきを受けていた彼女は,まだ少女と言ってもいい年頃ながら,何本もの大ヒット作を排出している若きシネアストなのです。
映画製作に奔走するポンポさんのかたわらには,助手のジーン君。学歴もない,容姿も悪い,仕事もできない,友達もいない。でも,映画に賭ける情熱だけは人一倍。そんな彼と,ポンポさんの元にオーディションを受けに来た女優のタマゴ,ナタリーが,ポンポさんの目にとまったある日……
映画大好きポンポさん (ジーンピクシブシリーズ)
ということで,人間プラモこと杉谷庄吾先生の初単行本『映画大好きポンポさん』のレビューです。
元々この作品は,今年の4月にpixivでアップされたものなのですが,さほど間を措かず爆発的に人気が広がり,あれよあれよという間に書籍化までこぎつけられました。どうやらあとがき曰く,そもそもの本作誕生の経緯は,作者の所属している会社が2015年に5分アニメの製作を依頼され,その企画の一環で作られたものだそうです。残念ながら企画は頓挫してしまったのですが,そんなら自分で個人的に漫画にすりゃいいじゃん,と作品の形になったのが,この『映画大好きポンポさん』なのです。
さてこの『ポンポさん』,ストーリーとしては,最初に書いたように,天衣無縫の敏腕プロデューサーの元で,それしか取り柄のない映画バカの助手と,ダイヤの原石である女優のタマゴが引き合わされて,映画製作が動き出す,という,ありがちといえばありがち,ベタといえばベタなストーリーなのですが,これがまあ,読んでて涙ぐんでしまうのです。
感動とか泣けるというと少し違くて,心が強く揺さぶられた結果,その生理的反応として涙が出てくるといいますか。比喩的に言うなら,感動とか泣けるとかで出てくる涙には,それをもたらした情動に,たとえば喜怒哀楽などの色(名前)が付いているものですが,『ポンポさん』を読んでこみ上がってくる情動は,そのような色がない無色の情動,透明なパッション,物理的に精神を揺さぶってくる衝撃とも言うべきものなのです。ひょっとしたら何らかの色が付いているのかも知れませんが,まだその色の名前はわからない。だから,それに色を見られず名前もつけられず,ただ揺さぶられたという事実を感じて,目からこぼれそうになってる涙に気づくだけなのです。
ただ,それに名前はつけられなくても,何からそれが生まれたのかは考えることができます。私にとってのそれの主たる生みの親は,ポンポさんの助手のジーン君です。要所要所で描かれるジーン君の狂気の姿こそ,私を揺さぶるものなのです。
この作品の主要な登場人物は三人。ポンポさん,ナタリー,そしてジーン君です。上にも書いたとおり,敏腕プロデューサーポンポさんの元で,ギークでナードなジーン君と,まだ端役すらも与えられたことのない女優未満のナタリーが引き合わされ,映画製作が動き出すというものですから,既に出来上がったものとしてのポンポさんを土台にした,ジーン君とナタリーの成長譚・出世譚のように一見思えますが,そうではありません。いえ,ナタリーについてはそう言えるかも知れませんが,ジーン君については違うと思うのです。
ネタバレになるので詳しくは書きませんが,たしかに結果だけを見ればジーン君は,物語の冒頭からエンディングで,大きく出世したと言えるでしょう。ですがその出世は彼が求めていたものではありません。また,その出世をもたらした彼の製作物も,彼が成長したから生まれたものではありません。最初から彼が求めていたものは映画監督になること,より正確に言えば,映画を作ることでした。自分が求めていたことを全身全霊で追求する彼の姿,狂気を孕んですらいるその姿が,私の心の奥の方へどすんと飛び込んでくるのです。
「クラスの最下層」であり「学校生活になんの喜びも見出せず 授業が終わると逃げるように家に帰って映画ばかり観ていた」ジーン君には「友達なんて一人もいなかったけどどうでもよかった だってまだ観た事の無い映画が世界中に溢れているんだから」。だから彼は,「手にしたたった一つの夢 映画監督を目指して」映画会社に入ったのです。
映画が好き。とにかく映画が好き。でも,学歴ない,美貌もない,社交性ない,仕事できない。ないない尽くしのジーン君に,自信なんてあるわけない。ですから,そんな自分が他の人間を差し置いて,敏腕プロデューサーポンポさんの助手をやっていることが不思議でなりません。
なので,ある日尋ねました。どうして自分なんかを助手に選んでくれたのかと。するとポンポさんは答えます。君が一番目に光がなかったからだよと。

他の若い子はね…… みんなもう目がキラキラしてたのよ
充実した学生生活 友人や恋人と共に光り輝く青春を謳歌してきましたっていう瑞々しいきれいな瞳
だけど満たされた人間っていうのは 満たされているが故にモノの考え方が浅くなるの だって深く考えなくても幸せだから
幸福は創造の敵 彼等にクリエイターの資格無し
そういう幸せな連中に比べてジーン君は 社会に居場所がない人間特有の追い詰められた目をしてるの
現実から逃げた人間は 自分の中に自分だけの世界を作る まさに創造的精神活動!
心の中に蠢く 社会と切り離された精神世界の広さと深さこそが その人のクリエイターとしての潜在能力の大きさだと私は確信しているの
(p40,41)

少し長いですが,まるっと引用しました。
このポンポさんの名演説の中に登場する,「自分の中に自分だけの世界を作る」ということ。そのようなジーン君の様子はしばしば描写されます。
たとえば,別の監督が製作した新作映画のトレイラーを作るよう依頼されたシーン。ジーン君は,とりあえず明日の朝までに15秒スポットを作ってこいとポンポさんに言われ,さらに,15秒スポットは映画の顔みたいなものだから出来映えが直接売上に繋がる,作品に関わった全スタッフの生活を背負うくらいの気持ちで作ってね☆とプレッシャーをかけられました。強烈な重圧を感じながら作り始めた彼ですが,夜も更け,すっかり集中し始めたときにはこんなことを思っています。

…………
やばい………
売上とか…… スタッフの生活とかどーでもいい………
超楽しい!!!
(p75)

実際に一晩で仕上げ,ポンポさんと監督に見せてOKをもらい,新たに30秒スポット,2分スポット,ネット用トレイラーも任されて思ったことがこれ。

やった! やった!
また今日もフィルムを作れるぞ!
(p77)

2分か―……
2分あったらもっと展開広げられるな―……
(p78)

「売上とか」「スタッフの生活とか」外の世界の現実から切り離され,「自分だけの世界」の中で「超楽しい」ことに没頭するジーン。任された仕事を仕上げ,新しい仕事をさらに任されて思うことが「またフィルムを作れるぞ!」「2分あったらもっと展開広げられるな」なジーン。失敗しないでよかったとか,認められて嬉しいとか,これで出世できるとかでなく,もっとフィルムを作れることが単純に嬉しい,そんなジーン。たいていの人間であれば心をよぎるであろう社会的な成功など歯牙にもかけず,ただただ自分の楽しみに思いをはせるのです。
それ以外にも,ジーンが「自分だけの世界」に入るシーンがいくつもありますが,私にはない狂気がむき出しになったその瞬間に,心がぐらっと揺さぶられるのです。
もちろん,ジーンの描写にそこまでの力があるのは,ただ彼の描写単体ではなく,他のキャラクター,すなわちポンポさんやナタリー,あるいはポンポさんの祖父ペーターゼン,売れっ子女優ミスティア,名俳優マーティン・ブラドック,職人監督コルベットの描写との対比があるからこそです。
天真爛漫なナタリーが夢を叶えていく,言ってしまえばありきたりなサクセスストーリー(実際,彼女のシンデレラっぷりにたいした説得力はありません。「ポンポさんがピンと来たから」以上の理由なく彼女は見出されます),ポンポさんやミスティアといった,既に実力も地位もある人間がさらに努力や才能を発揮する姿などの,いわば陽の面を背景に,陰のジーン君の姿が強く引き立つのです。
当然ですが,陽の部分が退屈ということはなく,そこでのテンポの良いセリフ回しやチャーミングなキャラクター自体も,十分魅力的なものです。あの見開きは,陽の面の極地と言ってもいいでしょう。
とまれ,この陰陽両面があるがゆえに『ポンポさん』は,単純な面白さを越えた,心を揺さぶる力がある作品に仕上がっているのだと思うのです。
わずか150pにも満たない紙幅の中で,軽妙なコメディとごっつりした作品論,そして狂気の持つ力を描き込んでいる本作。是非読んでほしいと思います。実はpixivでまだ全ページ読めるのですが、心揺さぶられたら是非単行本も買ってほしいです。描き下ろしのおまけページもあるしね。
映画大好きポンポさん/人間プラモ-pixiv
本作成立の発端として,アニメの企画がぽしゃったから,とは先に書きましたが,どうやら単行本帯によれば,アニメ化企画が進行中とのこと。なんというミラクル。
しかし,杉谷先生は他にも漫画は描かないのかなあ。できれば描いてほしいなあ。ホントに。



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好奇心の先には「すこしふしぎ」『好奇心は女子高生を殺す』の話

女子高生。それは世界で一番好奇心旺盛な生き物。話しかけたい人がいれば臆せず話しかけ、見知らぬ建物があれば面白そうだからと行ってみて、しゃべれる動物が捨てられていれば事情を聞いて元の飼い主に文句を言い、世界のためなら宇宙彼方の星でも何のその。頭はいいけど無愛想で社交性の低いあかね子と、社交性が高くて運動神経も抜群だけど壊滅的に勉強のできないみかんの二人は、今日も「すこしふしぎ」に首を突っ込むのです......
好奇心は女子高生を殺す(1) (サンデーうぇぶりコミックス)
ということで、高橋聖一先生『好奇心は女子高生を殺す』のレビューです。
高校入学式の日、青紫あかね子が,後ろの席の柚子原みかんに話しかけられ、窓の向こうに見える謎の建物へ赴くところから第一話は始まります。
「あの建物に興味はありません」
「世界一好奇心旺盛なのは女子高生なんだよ」
そんな会話を交わしつつ、行き着いた先は「初体験館」。春の初体験祭を開催中のそこでは「未体験の出来事を成功させるまでは決して出ることはできません」と謳っていました。体験者としてあかね子は1回500円の体験料を受付で払い、みかんは付添として無料で入り、受付の扉の向こう、暗闇を抜けた先で凸凹女子高生コンビが立っていたのは、なんと絶海の孤島。大きな木が一本立っているだけのそこで、あかね子はいったいどんな未体験を体験しなければならないのか……。
とまあ、古くは藤子F先生、近くは石黒正数先生やつばな先生の系譜に連なるような、「すこしふしぎ」な世界の描き方。日常の中で当たり前に存在する「すこしふしぎ」なことに、当たり前に接して、当たり前のようにトラブルに巻き込まれ、当たり前のように楽しんでいる。そんな世界です。
絶海の孤島に飛ばされた二人も、それ自体を不思議がることはなく、受け入れた上でとりあえず生活を始めようとする。普通ならあり得ないシチュエーションを普通にこなそうとしたらどうなるか。普通ならあり得ない人と出会って、普通に楽しもうとしたらどうなるか。そんな「すこしふしぎ」な世界を、一話完結でコミカルに描いています。
この上手い一話完結ぶりは、最近の作品で言うと山田胡瓜先生の『AIの遺電子』とも通じるところがありますね。一つの話の中で登場させたゲストギミックを軸に、登場人物たちを無理なく動かす感じ。背景や小物にコミカルな情報をいろいろ描き込んでいても、物語を駆動させる描写には余分なものがないから、あるいはそのコミカルな情報の中にさりげなく駆動させる情報を紛れ込ませているから、少ないページ数でも綺麗に物語を落着させています。
主役二人の関係性を見ても、頭でっかちな引っ込み思案のあかね子と、考えるより先に体が動くみかんの二人は、お互いがお互いのいいところ悪いところを補い合い、お互いがお互いに救われ、そして、正反対なのに導き出す答えが同じだったりする、とてもいいコンビ。一話のエンディングで「二人は友達である」という前提を強固に作ったおかげで、以降の話で、二人は当然のごとく仲のいい友達であり、話が進むにつれてもうそれ友達っていうか一歩踏み越えそうになっちゃってね?的なキャッキャウフフ領域まであと少し。
それはともかく、そんな二人が主役なものですから、物語の転がし方やオチは「友達はいいもんだ」というような考え方が強くあるのですが、デフォルメを効かせながら可愛くなりすぎない(具体的には目が小さい)絵柄や、素っ頓狂な設定、小気味の良い台詞回しなどのおかげか、くっさい風にはならず、コミカルにコンパクトにまとまった一話完結となっています。
暇だからなんの気なしにさらっと読むというよりは、あの話が読みたくなったからと狙い撃ちで手にとりたくなるような、山椒は小粒でもぴりりと辛く仕上がった作品です。
好奇心は女子高生を殺す サンデーうぇぶり



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嬉し恥ずかしカウントダウン『初情事まであと1時間』の話

ある者達は幼なじみ同士、ある者達は魔王との決戦直前の勇者と魔法使い、ある者達はフラれたばかりの先輩と彼女を慕う後輩。そんな彼や彼女が、初めての情事に臨むまでの直前1時間を切り取った、嬉し恥ずかしドキドキのオムニバス……

ということで、ノッツ先生の新刊『初情事まであと1時間』のレビューです。
中身は上で書いた通り、いろいろなカップルたちが初めての情事になだれ込むまでの1時間を描いた短編集です。カップルといってもすでに恋人同士であるとは限らず、お互い憎からず思っている幼なじみだとか、仕事のパートナーだとか、冒険仲間だとか、宇宙人に誘拐された初対面同士だとかと、よくありそうなものだったりなんじゃそらなものだったり様々。
そんな中で、どれにも共通しているのは、もうお互いの感情は十分に熟成されていること。あとは、パンパンに膨らんだ風船が最後の一突きを待つばかり。いやさすがにアブダクションされた二人は除きますけど、その二人にしたってつり橋効果なのか、わずか1時間で高まりまくります。
その気持ちが膨らみに膨らむ60分。今手を出すべきなのか。がっついてると思われてしまうんじゃないか。誘ってるように見えるけど気のせいなのか。なんか相手が全然ノッてこないけど実は自分の勘違いだったんじゃないか。一歩踏み出したら今までの関係が壊れてしまうんじゃないか。でも、でも、でも……。
ぐるぐるぐるぐると脳ミソは普段の10倍は高速回転し、そして普段の100倍は余計なことを考えてしまい、心の中で天使と悪魔は取っ組み合いのケンカをして、理性と欲望のシーソーはぎっこんばったん揺れまくる。
そんな感情の嵐が吹き荒れる中で、各ページの上には初情事までのカウントダウンが冷静に刻まれていく。
なんていうのかな、このカウントダウンが、妙にエロイ。
これだけドギマギしてるカップルも、慌てふためいているカップルも、深刻な顔をしているカップルも、あとn分後には合体してるんだなと思うと、ほら、ね?
渦巻く感情と無機質なカウントダウンていうその対比っていうのかな、それがさ、ね?
日本全人口の98%が同意してくれるはずのエロティクスはともかく、それぞれのカップルに十人十色である状況と感情の機微が、60分の中で一つのゴールに向かってぐねぐね動きながら収束している感じが、またよいのです。シチュエーションコメディではあるものの、コメディとは言い切れない、時として暗くさえある感情にも意外性があります。
初情事まであと1時間/ノッツ コミックウォーカー
とりあえず第1話と第10話を試し読みできますが、単行本にはさらにバラエティ豊かな一時間がそろっておりますので、ぜひ手に取っていただければと思います。


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楽しい趣味はいつでも楽しい! 飛び込めサバゲ沼『サバゲっぱなし』の話

父の会社にコネで入社し、受付嬢として日々ぼんやりとすごしている木枯ニコは、刺激に飢えていた。毎日が退屈。毎日がつまらない。毎日同じことの繰り返し。何か面白いことはないかと夜の街をさまよい、ふと目について入ったのがBar FREIHEIT。壁一面に、酒瓶と一緒に銃が飾り付けられているその店は、サバイバルゲームの愛好家たちが集う場所だった。こうしてニコは、店長の輪や常連のナナらによって、サバゲ沼に落ちていくのだった……

ということで、坂崎ふれでぃ先生の新作『サバゲっぱなし』のレビューです。退屈と金を持て余していたうら若い女性がサバゲにで出会い、あれよあれよという間に沼に落ち、全身全霊で楽しみまくる、そんなある意味とてもシンプルなお話です。
本作の掲載誌であるサンデーGXには、同じく趣味に没頭する女の子たちを描いている『放課後さいころ倶楽部』』(こちらはボードゲームがその対象)がありますが、舞台が高校で思春期の心情なんかも描写しているあちらと違って、各々の所属が異なる中で趣味だけでつながっている社会人が登場人物である本作は、だいぶ趣を異にします。1巻時点で断言できるものではありませんが、趣味以外の部分での心の動きも細やかに描こうとする前者と、「そんなのいいからサバゲしようぜ!!」と言わんばかりにカラッと明るい楽しさを強烈な熱量で溢れさせる後者。両者とも、趣味が登場人物の紐帯となっているのは同じでも、「●●は楽しい!」を描きたいのは同じでも、その過程がずいぶん違います。
楽しさの熱量を端的に表しているのが、第1話の直前、目次の隣のページに書かれているこの言葉でしょう。

楽しいことは、準備するときも
妄想するときも、
休憩するときも、
帰るときも、全部楽しい。そんな漫画です。

楽しいことは全部楽しい。何か楽しみがあれば、それが生きる糧になる。退屈の中に刺激を。平凡な毎日に興奮を。楽しいことはいいことだ。
その楽しいことを知ってしまった主人公のニコ。ハイテンションと財力を十二分に所有する彼女は、よっぽど刺激に飢えていたのかはたまた性にあったのか、勧めたナナたちが軽くひくくらいに猛烈な速さでサバゲ沼へと落ちいきます。そのスピードはもはや、はまるというより、沈むというより、落ちる。もがくどころか、自ら潜っていく。
店を訪れたその日にサバゲ参加を表明し、実際に参加したその帰り道には、持った銃の重量感、発砲したときの反動、少し隙を見せただけで敵に狙われるスリル……そのいちいちに感動し、滂沱の涙とともに実感しました。生きる喜びを。うん、言い過ぎた。
とまれ、一日でその魅力にとりつかれたニコは、my better halfとなる自分の銃を買いに行き、勝てないサバゲでカッコよく勝つための作戦を練り、初のインドアゲームに挑み、二本目の銃としてン十万円もするようなものを買い、当然のようにアクセサリーやパーツもセットで買い、サバゲ仲間も増やし……と、順調に沼を落ち続けています。
で、その沼での棲息が実に生き生きとしている。作中に登場するのは、ニコをはじめとしてほとんどが妙齢の女性なんですが、皆が皆、もうとても楽しそうにサバゲ沼に棲んでるわけですよ。ゲームに参加しているときはもちろんのこと、ゲームの打ち上げも、次回のゲームの計画も、新しい銃やアクセを買おうかどうか悩んでるときも、ゲームのための準備をしているときも、目がキラッキラしてる。まさに、「準備するときも、妄想するときも、休憩するときも、帰るときも、全部楽しい」んです。
自分がわっかるなーと感じたのは買い物のシーン。自分の場合はサバゲではなく服や楽器ですが、同好の友人の趣味の買い物につきあいで行くと、元々はその気がなくても、友人が楽しげにアレ買おうかなコレ買おうかなと悩んでいるところに、アレがいいんじゃないコレもいいんじゃないと口を出し、検討に検討を重ねた結果納得したものを買ってご満悦な様子を見ていると、ついつい自分の財布の紐も緩んでいる。「楽しい」の感情は伝染していくのです。おそろしい……(靴が溢れている玄関から目をそらしながら)。
お小遣いを必死にやりくりしていた子供時代から、自分で稼いだお金をある程度自分の好きに使えるようになった大人が趣味にはまると、いやあ沼ですよ沼。どこかで歯止めをきかせなければならない(眼鏡が溢れている棚から目をそらしながら)。
あ、漫画については別腹ですので,溢れかえるのを気にするとかはもうないです。
とにかく、この作品を読んでサバゲをやりたくなるかどうかはともかく、楽しいと心底思えることがあるのはいいなと思えること請け合いです。趣味はいいぞ。
サバゲっぱなし サンデーGX



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漫画の修羅たちは血で血を洗う『狭い世界のアイデンティティー』の話

漫画家のタマゴ・神藤マホ。大手出版社である件社(くだんしゃ)で、年間賞佳作を受賞した彼女にはある目的があった。それは、かつて同社に持ち込みをした際、そのビルの上階から突き落とされ、串刺しになって死んだ兄の敵を取ること。彼女は誓う。暴の力でもってこの世界を邁進すると。編集者、漫画家、アシスタント、書店員。漫画に関わる者達の嫉妬と羨望と欲望が渦巻く嵐の中で、マホは兄の敵をとることができるのか……

ということで、押切蓮介先生の新刊『狭い世界のアイデンティティー』のレビューです。
あらすじからして荒唐無稽な本作、どこか*1でぐつぐつと醸成されていた怨念がこもっているのでしょうか、漫画界を徹底的に虚仮にするかのような物語になっています。もちろん、ギャグとしてね?
いや、ギャグでしかないじゃないですか。だって、出版社に持ち込みに行ったら、ビルの上階から窓を突き破って墜落し、地上に立ち並ぶ串に刺さって早贄状態となる。そして他の串にはいくつもの骸や原稿が……。なんだ、●談社は15世紀のワラキア公国にあるのか。おっと、講●社じゃなくて件社か。
そんな無残な最期を遂げた兄の敵を討つべく、必死で漫画を勉強し、なんとか佳作を受賞したマホ。年間新人賞受賞者の一人として年末の謝恩会に招かれ、他の受賞者が強迫や金による篭絡、毒などでライバルを蹴落とそうと目論む中、壇上での受賞者インタビューで彼女はこう言い放ちます。
「この蹴落とし合いの世界で生き残るには―――― 漫画力だけでは足りません
暴の力でこの業界を 邁進したいと思います…」
そして、壇上に並ぶ他の受賞者たちが慌てふためいた次の瞬間には、目にもとまらぬ連撃でノックアウトしていく。宣言通り、暴の力でライバルを蹴落としたのです。
こうしてマホの復讐は始まります。
ですが、暴力を備えているのは彼女だけではありません。血で血を洗って争い続ける他の作家たちはもちろん、その作家たちのパートナーである編集者にも、当然の如く暴力が溢れているのです。
一例を挙げましょう。一般の会社で「ホウ・レン・ソウ」と言えば、それは「報告・連絡・相談」ですが、件社においては違います。件社の「ホウ・レン・ソウ」とは、「砲撃・連撃・総撃」。社内で下手な振る舞いをした人間に対しては、その場にいた編集者たちが、砲撃を撃ちこみ、連撃を放ち、総撃で襲い掛かってくるのです。
作家の暴に対する編集者の暴。修羅たちの巷は暴力と流血まみれ。おお地獄。ここはこの世の地獄。
珍しく澄んだ目をしてやる気に溢れる漫画家も、濁った眼をして不満と理想ばかり口にし一向に手を動かさないアシスタントたちに邪魔をされ、漫画を売ることに血道を上げる書店は万引き犯を拷問に処し、呼びつけた保護者も拷問に処し、自社の販売棚を増やせと要求する出版社に一歩も引かない。売れた漫画家は売れない漫画家に妬まれ、売れた漫画家が打ち切られればお疲れ様会と称して傷口に塩を塗り込み二度とペンを持てないように心を折られる。新人は先輩漫画家や編集者に取り入ろうとする裏でどうやって老害を引きずり下ろそうかと画策し、大御所と呼ばれるようになった漫画家も新しい芽を摘むことを怠らない。
漫画界とはこんなところだったのか……。
そんな恐ろしい漫画界で発される言葉は、他にも震え上がるものばかりです。
「糞つまらない漫画で紙という資源を無駄にした環境破壊者に死の裁きを…!」
「陰茎と玉袋を潰した後にジワジワなぶり殺すのだ!!」
「この男同士 どちらかが妊娠するまで性行為をさせるのだ!!」
「私はこの飲み会の幹事をしている小泉聖子よ 1人8千円の参加費をいただき その内5千円をピンハネして生活している者なの…」
「ここは漫画家だけの交流の場よ! 漫画家が交流し 褒め合い 傷をなめ合い 性行の糸口をつかむ場であるのよ!!」
「『本 本 数々の本が置かれるこの店は居酒屋でも床屋でもない… そう 本屋である』」
ぶるぶる。こわやこわや。
悪鬼魍魎が跋扈するこの世界、果たしてマホの兄の仇は誰なのか。彼女の復讐は遂げられるのか。それは悪魔さえもわからない……。


第一話の試し読みはこちら。凶悪な世界を目の当たりにしておしっこちびってください。
狭い世界のアイデンティティー/押切蓮介 モアイ


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*1:具体的にはス●エニ

ヘドロ生命体が生み出す善と疎外と寂しさ『黒き淀みのヘドロさん』の話

お嬢様ひかりに仕える執事のジローは、彼女の横暴に振り回されてばかりでため息の毎日。彼の高校のクラスメートであるレーンはそれを見て、得意の黒魔術で、ヘドロを材料にしてお助け新兵器を爆誕させる。その名も、黒き淀みのクラウネッサことヘドロさん。「突然やってきて何もかも解決してくれる白馬の騎士」を期待されたヘドロさんは、まずは執事を助けるべく、彼と一緒にお屋敷へ帰るのだが……

ということで、模造クリスタル先生の新作『黒き淀みのヘドロさん』のレビューです。
何を言っているかよくわからないあらすじのとおり、何を言っているのか、どこを目指しているのかよくわからない作品。それでもなぜか、読んでて心の変なところに入り込む作品です。
ヘドロさんによる人助けという大まかなストーリーラインがあり、1巻ではお嬢様に仕える執事の手助け、ヘドロさんが高校に通うために教頭から出された課題の解決と、一応具体的な事件もあるのですが,その事件の内容や状況も突拍子もないものばかりです。
そもそも彼女が生まれた理由が、「白馬の騎士を自分で作るため」というレーンのある意味で独りよがりなものであり、彼女の生まれ方も、オホーツク海でとれたヘドロ生命体に魔導書クッキーカッターで人間らしさを与えるというぶっ飛んだもの。そこには、当事者なりの理屈はあっても、第三者というか読者が読んで共有できる合理はありません。登場人物たちはそれぞれの理屈を振り回し、それぞれがお互いの理屈を受け容れ、よくわからない理屈に根拠づけもないまま話は進んでいきます。
前単行本の『ビーンク&ロサ』よりもさらにキャラクター造形にかわいげを加えつつ、さらにキャラクター心理から共感できる部分を除く。本作の最大の特徴は、この「読者が共感できる部分の欠如」ではないかと思うのです。
よくわからない世界をよくわからないキャラクターたちがよくわからない理屈で生きている。
「おかしいか? うまく言えないけど でも私には悪から善を作る他に手はないんだ」
「私は自分の命も大切にし 自分も生き延びることで末永く社会に貢献したいと…」
「先生はな 生徒の未来に投資してんだ お前の将来を見るまで安心できねえんだよ!」
なんかいいことを言ってそうだけど、実際いいことなのかなんなのか、その状況そぐっているのかいないのか。挿入されるたとえ話っぽいエピソードも、いまいちピントが合っていないような。
読み手に疑問符をまき散らしたまま、物語は進んでいってしまいます。
けれど、そんな彼や彼女の心情でほぼ唯一共感してしまうのが、寂しさです。自分が世界から切り離されているような、自分が世界と噛み合っていないような、世界が自分を見放しているような、一人の夜中ににふと襲ってくるどうしようもない孤独と不安と寂しさ。よくわからない理屈で生きているキャラクターたちが垣間見せるそれらは、取り残されてぽかんとしているこちらの懐にささっと潜り込んできて、強烈な物寂しさを残していきます。
生まれたばかりのヘドロ生命体と友達になるゲーゲー、ナイトジャスティスとキングバーガーの昔話を語り終えた後のレーンあたりは、すっと心に影を落としてくるし、教頭から出された課題であるりもん先生の謎の解明のラストは、もう目を覆いたくなるようなつらさ。
読んでて、読者は物語から疎外されているような気分になるのに、不意に寂しさだけは伝わってきてしまう。
疎外と寂寥。
模造クリスタル先生の作品にはこの二つが付きまとっているものですが、本作でもそれは例外でありません。
好き嫌いが分かれるのは重々承知ですが、一度読んでもらえば、今まで早々味わってこなかったひんやりと冷た悲しい風が心に吹き抜けるのではと思います。
黒き淀みのヘドロさん
試し読み、っていうか1巻の3/4くらい読めてしまうのですが、まあまあどうぞどうぞ。


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