新刊の発売された『GIANT KILLING』。
- 作者: ツジトモ,綱本将也
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2012/10/23
- メディア: コミック
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応援されて嬉しくない人間なんていない……か
あ…
応援されてたじゃねえかよ 俺は
それも 滅多にないはずの… 普段の生活の中で声に出して…
カベセンの暴力の話を聞いて 裏切られた気持ちになってたけどよ…
あの言葉なしに…… 俺はこのしんどい時期を乗り越えられたのかよ…
カベセンの言葉を何度も思い返しては…… その都度背中を押されてきたんじゃねえのか……?
応援が人の力になることを
俺は誰より知ってたんじゃねえのよか…!
(25巻 #240)
これがなぜ印象に残ったかと言えば、以前書いた記事と重なるところがありまして。
『宇宙兄弟』「ムリしてね」の嬉しさの話 - ポンコツ山田.com
同じくモーニングで連載中の『宇宙兄弟』16巻での話。海底訓練で同じチームになったはいいものの、新人宇宙飛行士で月に行けるのは同じチームのどちらか一人のみということを告げられ、途端にぎくしゃくし始めた六太とケンジ。それを振り切り目の前の訓練に集中するヒントを、六太は先輩宇宙飛行士であるアンディの会話から、ケンジは娘の風佳の言葉から得たのですが、その風佳の言葉とは、「ムリしてね」という声援。一聴するだけでは無慈悲極まりないものと受け取られかねないこの言葉も、ケンジはまだ幼い、けれど自分の気持ちを言葉にできるようになった娘からの全幅の期待と信頼を感じて、自らの力としたのです。
『GIANT KILLING』も『宇宙兄弟』も、他人からの応援に大きな意味を見出しています。自分一人で考えていては鬱々と落ち込んでしまいそうなところに、他の人間から期待をされる、信頼をされる。もちろん時として、そんな期待や信頼が重荷になることもあるでしょう。でもそれが、いつもいつでもというわけでは、決してない。誰かからの応援で救われることはきっとある。
「応援されて嬉しくない人間なんていないだろ」は『GIANT KILLING』でのスカルズサポーターのセリフですが、応援を嬉しく思える人は、応援されるだけの何かをしているという自覚のある人だと思います。自覚のない人、これも「応援されるだけのことをしているのにその自覚がない人」と、「応援されるだけのことをしていない方の自覚がある人」で分かれますが、前者は応援を不思議に思うかさもなければ重荷に感じるか、後者は罪悪感に苛まれるかさもなければやんなきゃなーという気になるか、ってとこだと思いますが、応援されるだけのことしている自覚のある人は、それを見てくれている人がいることが素直に嬉しくなると思うんです。「ちゃんとやってるのにどうして……」「ちゃんとやってるんだから見てくれよ」。公言してしまえばさすがに痛いですが、心の中でそう思ったことは誰しもあるんじゃないでしょうか。そういう時に救いになるのが、「お前はちゃんとやってるよ」という一言。「お前がやってるのをちゃんと見てるよ」と。それの何が嬉しいって、自分が一人じゃないと思えることです。自分の頑張りが空回りしている。上手く環境と噛み合わない。こんなことしてる自分は無意味なんじゃないか。そんな疑念も、自分を見てくれている誰か、自分とつながってくれている誰かがいれば晴れるものです。
『GIANT KILLING』の話に戻れば、スタジアムの雰囲気が悪く、正GKである緑川がアクシデントで退場した神戸戦(18,19巻)、椿はゲームに入り込めないでいましたが、村越の言葉で意識を切り替え一気にピッチで存在感を発揮し、その姿にサポーターからも声援が飛びました。その声援は椿に、「支えてくれるのはチームの人達だけじゃな」く、「サポーターも」「一生懸命になって応援してくれる」と考えた、つまり、どんな形であれ自分が今までやって来たことを周りの人は見てくれていて、その上で今のピッチ上の自分があるのだと気づいたのです。神戸戦は惜しくもドローとなりましたが、試合後椿はサポーターたちに礼を言いに行き、そしてそれに感動したゴローやコータは、また応援しようという気持ちを新たにしました。応援する側とされる側の、幸せな関係がここにはありました。
連載開始時からずっとくすぶり続けていたサポーター問題もいよいよ大詰めに入ってきたようで、千葉戦の結果と共に、どのような結末を見るのか、さっそく26巻が待ち遠しいのですよ。
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