他人が何で苦しんでいるかは、そう簡単にわからない。
そんな当たり前のことも、当たり前だけになかなか気づくことがありません。いえ、気づいてはいても、実感することは少ないと言った方がいいでしょうか。人間、どうしても自分が基準になってしまうもの。自分の社会的地位とか、人間関係とか、年齢とか、性別とか、自分の常識は意外に広いくせに、案外狭かったりします。だから、そんな当たり前の事実に気づくためには、時として自分の常識、つまりはものの見方ですが、それを覆されるようなハードな状況に身を置かなくてはならないかもしれませんが、それをぐっと簡単に気付かせてくれるのが創作物のいいところ。良質な物語は、それを味わう者を「自分」という視座から連れ出し、物語に没入させ、今まで自明のものだと思っていた常識を揺さぶってくれます。
で、ここ最近最新刊まで読んだ『大奥』で、それをまざまざと見せつけられたのですね。
- 作者: よしながふみ
- 出版社/メーカー: 白泉社
- 発売日: 2011/06/28
- メディア: コミック
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女将軍である綱吉は、その艶な姿といい、家臣の夫と関係を持つことといい、性に開放的な人物として描かれています。殊に、唯一の跡継ぎである松姫が早逝して以降は、政から離れながらも、父親の愚昧な考えを政策として実現してまったり、刹那的な享楽に身を任せるなど、暗愚な描写が目立ちます。しかしそれは、彼女の苦しみの反転した姿でした。
彼女が将軍となってより行われていたのは、最大の責務である徳川幕府存続のための肝要事、つまりは子を産むための性行でした。毎夜毎夜側室の中から男を選んでまぐわい、正室である御台所も、朝廷とのつながりを持つために形式的に娶ったにすぎない相手。彼女、子種を、すなわち幕府を残すために、見栄えは良くても恋愛感情のない男を相手とするのです。将軍に万一のことがあってはいけないと、夜の営みの最中でさえ側に他の人間が控えているのでその様子はつぶさに聞かれ、それが将軍の責務と拒むこともできません。その状況を綱吉自身「将軍というのはな 岡場所で体を売る男達よりもっともっと卑しい女の事」と自嘲します。
幕府のために是非なく体を男に任せる。それが他の人間に気づかせることのないまま綱吉の直面していた常識でした。継嗣である松姫が生まれても、世継ぎは多いに越したことはなく、夜の営みはとまらない。松姫が亡くなった後はなおの事、責務として彼女は屈辱的なまぐわいを続けなければいけなかったのです。
この苦しみはそこかしこで漏れていましたが、それがはっきりと描かれたのは、念者念弟の間柄である二人の側室を閨に召したシーン。男二人に自分の目の前でまぐわえと命じ、それに従おうとしなかった一人が騒ぎを起こしましたが、隣室に控えていた右衛門佐の咄嗟の働きにより、事なきを得ました。右衛門佐に諌められた綱吉は、そこで初めて今までずっと抱いてきた己の屈辱を吠えるのです。
大体辱めとは何じゃ!? 私の前でまぐわえと言った事のどこが悪いのじゃ!!
私は毎夜!! 毎夜そうして添い寝の者に己の夜の営みを聞かれてきたのだぞ!!
何が将軍だ!! 若い男達を悦ばせるために 私がどれほどの事を床の中で覚えてきたか そなたにわかるか!?
将軍というのはな 岡場所で体を売る男達よりもっともっと卑しい女の事じゃ
ふふ ふふふふふ…
松姫… なぜ死んだ…
(5巻 p132,133)
一方、思いの丈をぶつけられた右衛門佐は、京の貧しい公家に生まれ、どんなに勉強して己の識を高めても、必要とされるのは自分を抱く堂上家の娘たちを喜ばせる手管ばかり。そんな不毛な生活に嫌気がさした彼は、大奥総取締の立場を狙い、三十五の「お褥すべり」*1間近を見計らって大奥に入りました。その有能さもあって、目論見通りぐんぐんと権勢を固める右衛門佐。しかし彼、刺激のある世界で生きたいという考えで大奥に入ったものの実はその考えは、綱吉にお目通りをした瞬間、より強い別の考えに上書きされていました。彼女の「傲慢で勝気でしたたか」な姿に右衛門佐は「何と素晴らしい女人であろう この方には負けまい 互角に渡り合ってやる」と決意したのです。その感情は恋でした。
右衛門佐は側室に迎えられようとした時、「ただ今いる上様のご側室に嫉妬をし これから現れる若い御中臈に脅え」ることは「生来の負けず嫌いにてそればかりはどうしても耐えられ」ない、と述べて固辞し、また、初めて綱吉の閨に上がる御中臈に、「大奥にいる男達はみな 上様に恋をしているのでござりまする」と申し上げよ、と助言しました。前者は大奥総取締を狙うための建前、後者は綱吉をいい気分にさせるための手管ではあるのですが、彼女に一目惚れをした右衛門佐にとっては紛うことなき本心でもあったのです。
そんな彼にとって綱吉は、敬愛する主君であり、張り合うべき目標であり、恋慕する異性であり、自分以外の男に毎晩抱かれている憎き売女でした。側室候補から公人たる大奥総取締になったからには、将軍綱吉を抱くことなどできはしない。そんな夢は捨てなくてはいけない。
有能な右衛門佐とて「恋は盲目」の金言からは逃れられず、彼の綱吉観は、彼自身の視座から離れることはできなせんでした。誰かに抱かれている愛しい人のことなど考えたくも無くて、内心を推し量ることもせず目を背けていた。将軍は継嗣を残すためにその身を捧げる、という武家の常識に囚われ続けていた。
ために彼は、綱吉の慟哭を聞いて初めて、彼女の苦しみを知ったのです。好きでもない男と子を孕むためにまぐうことなど、将軍の責務であろうと嫌。そんな、ちょっと考えればわかるであろうことさえ、自分の常識に閉じこもっていた彼は気づけなかったのです。
自分の常識は他人の常識とは違う。他人の苦しみを、自分はわかっていない。それが、自分の愛しい人の事でさえも。
愕然たるこの事実を突き付けられた彼は、それから後も綱吉に仕え続けますが、間者に暗殺されそうになり己の人生に空虚を覚えた彼女から自死の気配を感じとって、思い止めようと叫びます。
…生きるという事は 女と男という事は!
ただ女の腹に種を付け 子孫を残し家の血を繋いでいく事ではありますまい!
(6巻 p53)
そして綱吉を抱きしめ、老境を迎えた彼は、ついに長年の想いを遂げたのです。
実は綱吉も、右衛門佐に一目惚れしていました。だから、大奥総取締を狙っていた彼の企みにやすやすと乗ったし、迫って来た彼に身を任せました。
すぐ近くにいながらも違う世界に生きていた二人は、その異なる常識を埋め合わせることで、初めて心身ともに一つになることができたのです。
二人の常識の懸隔は、享楽的に生きながらも幽かに苦悩をのぞかせる綱吉と、冷徹な有能さと愚痴っぽい人間らしさを併せ持つ右衛門佐の巧みな描き方から、読み手にその存在を意識させないまま形をなし、綱吉が右衛門佐に吠えるシーンで初めてその姿を読み手に突きつけるのです。
読み手は、理知的に物事を進める右衛門佐の方がその心情を理解しやすいために、自然と彼の視点で物語を読み、逆に、綱吉の異常な享楽性を目の当たりにすることで、彼女をこちらの考えの及ばぬ存在とイメージするのですが、松姫が亡くなり悲嘆に哭く彼女の姿などから、そのイメージにはところどころで異物が混じります。そうして不穏な気配を臭わせた上での、綱吉の本心の吐露なのです。右衛門佐の常識で綱吉を見ていた読み手、すなわち綱吉の享楽的な行動をすべて彼女の本心によるものと思っていた読み手は、綱吉の直面していた常識に気づき、右衛門佐と一緒に愕然とするのです。このカタルシスのもたらし方は、実にうまいと思いました。
このように、巧みな物語は、読み手を登場人物に同調させ、自分の常識を覆された彼と同じ衝撃を与えることができます。他人の苦しみは簡単にはわからない。それが、体験せずとも実感を伴って突きつけてくるのです。
さて、最後に少々。この記事ではさんざん「常識」という言葉を使っていますが、『大奥』という作品自体、現代の「常識」で江戸時代を描いているということは意識しなければいけません。
果たして、将軍として生まれた者は好きでもない男とまぐわうことを本当に厭うのか。
果たして、将軍に仕える者は畏れ多くも将軍に恋愛感情を抱くことがあるのか。
現代の人間が考える身分と、江戸時代の人間が考える身分の重さを一緒にしてはいけないと思います。体面のために腹を切ることができた時代の人間を、現代の常識と無思慮に照らし合わせてはいけないはずです。この作品の登場人物たちは、まるで現代人のような恋愛感情を持っています。創作物でそれが悪いわけでは無論ありませんが、「常識」というキーワードで記事を書いた以上、実際の江戸時代においてもそのような感情が自然=常識であったと断言するのは、留保しておこうと思います。
常識が違っていれば、自分が常識として思っていることは通用しない、というのは、当記事で述べてきたことでした。それが人間の心理という、一見普遍にして不変に思えるものであっても、常識が変わればその形も変わってくると思うのです。
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*1:将軍の夜の相手ができなくなる年齢制限