アカギ―闇に降り立った天才 (22) (近代麻雀コミックス)
- 作者: 福本伸行
- 出版社/メーカー: 竹書房
- 発売日: 2009/02/17
- メディア: コミック
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鷲巣戦までは一般的なルールに則った麻雀(イカサマは「ばれなければオーケー」くらいで黙認されていましたが)をしてきた「アカギ」ですが、この鷲巣麻雀で、基本は則りつつもおかしなルールを設定しました。言うまでもなく、3/4がガラス牌の、通称「鷲巣麻雀」です。
鷲巣麻雀の詳しいルールはwikipedia:アカギ 〜闇に降り立った天才〜の「鷲巣麻雀」の項を参照してほしいのですが、大まかに大事なところを言えば、
- 鷲巣はお金を、対戦相手は血液を賭ける
- 同種牌4枚の内、3枚がガラス製で、他の相手にも何の牌かわかるようになっている
- ツモでもロン直撃でも罰符でも、サシウマ同士で点棒のやり取りがあった場合、ご祝儀として同額のお金か血液の授受が発生する
ですか。
賭けるものやご祝儀は、あくまで賭け事上での取り決めであって、ゲームとしての取り決めでの異端性は鷲巣牌に集約されます。
このギミックとしての鷲巣牌はどんな効果があるかって、鷲巣本人が言うとおり、「見えるから、人は切れなくなる」ということ。麻雀は自分の手牌として13枚もっているわけですが、3/4がガラス製の鷲巣牌なら、平均して8〜9枚は自分の手が見通されているということです。これはもう読みとかそんなあやふやなものではありません。河に捨てられた牌と同じく、隠すことのできない情報なのです。言ってみれば、鷲巣牌での麻雀は、誰もが凶悪なレベルの読みを持ちながら普通の雀牌で麻雀を行っているようなものです。対局中に得られる情報が、普通の麻雀とは比較になりません。
福本先生の漫画のキモは、執拗なまでに描かれる人間心理であるということに異論のある人はいないと思いますが、鷲巣麻雀は、その人間心理を焙り出すための道具だと思うのです。それまで描かれてきた普通の麻雀では、アカギは恐るべき牌姿の読みと、対戦相手の心理洞察で信じられないような勝利を収めてきましたが、彼のその読みはあまりに鋭すぎて、もはやそこまでいけば「運」と呼ぶしかないんじゃないだろうか、というような理屈を勝負中に読み取っているのでです。
実際アカギの運は滅茶苦茶です。私が一番言い訳のきかない運だと思うのは、アカギと偽アカギが初めて出会った夜に行われた勝負、シャンテン数を変えない牌選択です。あれはもう読みもへったくれもない純粋な運で、3%弱という細い線をアカギはあっさりと引き当てます。
それ以外の部分でも、アカギは恐るべき洞察を発揮しますが、それが当たっているかどうかは最終的には運に左右されます。盲人の市川戦でも、最終局に市川が中を暗刻で持っていたのは偶然です。場には既に一枚切れていた中ですが、市川でなく、中を捨てていない他の家が中を暗刻にしていた可能性は排除できないはずなのです。王牌もあるわけですから、そこに二枚くらい眠っている可能性もありますし。
そんなこんなで、鬼神の如き洞察に加えて剛運も備えているアカギですが、読みにおける運要素をなるべく排除したい、心理洞察の光り方にもっとスポットを当てたいと福本先生が考えた末の、手牌の3/4が見える鷲巣牌だと思うのですよ。
上で書いたように、鷲巣牌ならば対局者に与えられる情報が段違いに増えます。それは、洞察のための情報が増えるのと同時に、洞察のノイズとなる情報が減ることも意味します。つまり、確定情報が増えると同時に、不確定情報が少なくなっているのです。残された不確定情報は、確定情報の多さゆえに読みが研ぎ澄まされ、その洞察に至るまでの「運」の必然性が減殺されます。「運」に左右されている部分が減り、理屈として確定できる範囲が増えるのです。
「見えるから、人は切れなくなる」のは、今までの対戦者を思い出して鷲巣が言った言葉ですが、それは彼が完全に狩る者の立場であり、対戦者が狩られる者の立場であったことを強く意識して出されたものです。膨大な財に守られた鷲巣と、自らの命を賭けた対戦者。彼我のプレッシャーの差は果てしなく、鷲巣は決して対戦者と同じ立場に立って勝負をすることがありませんでした。そこへ現れたアカギという悪魔。アカギは神がかった才気でもって、鷲巣と同じ立場で勝負をします。彼らはお互いに狩る者であり狩られる者となったのです。
このとき初めて鷲巣は「見えるから、人は切れなくなる」という言葉を実感します。相手の手が見えるということは、打牌の際に常に危険が見えているということ。読みなどというレベルでなく、危険がそこに見えているのです。危険が見えているということは、安全も見えているということですが、1/4は見えないということが、99%の安全の中に1%の毒を混ぜます。この毒のために、普通なら切れる牌が切れなくなる、そんな状況に、鷲巣はアカギを相手にして初めて陥ったのです。
この、安全を追い求める心、助かりたいと思う心、勝ちたいと願う心を、アカギは悪魔の読みで討ち取ります。そしてその読みに含まれる偶然の要素を減らし、アカギの運以外の強さを際立たせるための鷲巣牌だと思うのです。
鷲巣牌は、メタ的に言えば、読みの純粋さを向上させ物語から不確定要素を減らし、作品内部の世界で言えば、アカギを鷲巣と対等なステージに押し上げたのです。
本当によく考えるよなぁと、感心することしきりの福本先生のアイデアですよ。「零」だってあれだけゲームを考案しているわけですし。
現在本誌で「アカギ」がどこまで進んでいるのかわかりませんが、果たして来年中には決着がつくんでしょうか。
余談ですが、この鷲巣牌は実際に販売されていて(〜闘牌伝説〜 アカギ 鷲巣麻雀牌(ワシズマージャンパイ))、一度やってみたいとは思いつつも、高くて手が出ないのと、用意がめんどい。ツボかなんかを用意して、その中に入れればいいのだろうか。
卓も作った剛の者もいるようで(「鷲巣麻雀卓」作りました)、その遊び具合はどうなのか知りたいところです。
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