- 作者: 広江礼威
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 2008/07/19
- メディア: コミック
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「BLACK LAGOON」に見る、映画的な漫画構成 前編 - ポンコツ山田.com
コマの重なりについて
(BLACK LAGOON 五巻 p76)
このコマの複層ぶりは凶悪です。左上のコマが右のコマの上にかぶっていますが、絵自体は右のコマが上に来ている。左下のコマは3コマのうち一番下の層なんですが、絵は左上のコマにかぶっている。エッシャーの「上昇と下降」のように、あるいはテープを使わずに底が抜けないようにする段ボール箱の閉じ方のように、どれが一番上なのかわからない構成になっています。
これも、昨日の「コマの形について。」で触れたように、カメラの視点の移り変わりの急激さを表していると思われます。昨日の例では、モザイクのピースのようではあるもののページのスペース内にきっちり収められていましたが、この例では、絵とコマがそれぞれに交錯して配置されており、特にコマ(絵)が縦長、横長であるので、読み手の視線の移動が右下から右上(人の顔があるので、右上より先にまずそこに視線が行くはず)、右上から左上、左上から左下と渦を巻くように行われるはずです。
例えば交通事故に遭う瞬間など、その瞬間の映像の記憶の時系列がごっちゃになったりするという話を聞きますが、この絵とコマの重なりもそれに近い効果をもたらすのではないでしょうか。
日本の漫画は
- 右→左
- 上→下
という約束事の元、読まれますが、コマがぴったり隣り合うのではなく重なり合ったり、それどころか絵がそのコマの重なりの上下を無視して描かれたりするのは、確かに見づらいものではありますが、緊急時の視界の交錯、記憶の錯綜というものを想起させ、状況の急迫した感じをいや増すことができるのでしょう。前回の「コマの形について。」も合わせて、逆説的ですが、「見づらいからこそ切羽詰っているのがわかる」ということです。
コマの重なりについて、別の観点からも考えてみましょう。
(同書 p92,93)
ちょっと見づらくて申し訳ありませんが、「#33 Fujiyama Gangsta Paradise PT.12」の最後のページ見開きです。
とりあえず左側の斜めにカットされたコマ列は置いといて、全体の右側3/4を見てください。重なったコマのうち、一番下なのは中央のコマ、それに重なるように上下右のコマが配置され、さらに上のコマは右のコマにも重なっています。そして、「ジャカッ!」という擬音が上のコマから下のコマまで縦断していますが、これはこの縦3コマが同時に起こったことを意味します。同じ瞬間を三つのカメラが捉えた形なのです。鳴った音は一つ、それが三つのコマ全てにかかっているということは、そう考えるのが妥当でしょう。右のコマにはかかっていませんが、上下のコマと同様、中央のコマに重なっていることを考えれば、右のコマも同じ瞬間を捉えたもう一つのカメラと考えてもよさそうです。
この話を読みすすんでこの見開きに到達した時、最初の瞬間こそ上に書いた約束事どおりまず右のコマに目をやるでしょうが、視点が落ち着く先は中央のコマのはずです。なぜなら、そのコマが重なり合った中で一番下だから。バランスとして、一番下というのが一番安定しているのです。だからこそ、中央のコマに銃の向いた先についてもっとも俯瞰的に描かれた絵が配置されているのでしょう。このコマが一番視線が落ち着きやすいからこそ、全体の構図がすっきりするのです。もし中央のコマが一番上に来ていたら、上下右のコマが中央のコマの下にあったら、どのコマに視点を落ち着けていいか迷ってしまう、据わりの良くない見開きになってしまったのではないでしょうか。
視点の落ち着く先を作っておいて、改めて見開き全体を見渡してみれば、全てのコマに銃・銃・銃。誰もが誰かに銃を向けられているという、素晴らしく緊張感溢れる見開きです。そして最後の台詞は「私を見ろ」。ここで次回へ続くんですから、ボルテージは否が応でも高められます。
このように、視点が落ち着く先を決めるために、コマを重ねることがあるともいえるのではないでしょうか。まあこの観点は、あんまり映画っぽさと関係ないのが本当のとこなんですけどね。好きなスピードでページをめくれる漫画ならではだといえるでしょう。これが最後のページなわけですし。
台詞について。
映画の台詞は音声として耳に聞こえますが、漫画の台詞はあくまで文字なので、脳内で再生されることはあっても、実際に鼓膜を震わせるわけではありません。当然の話です。ですが、この当然の話が漫画の制約として意外に大きいのです。
声が聞こえないということは、その台詞を誰が発したのか、台詞単体では判別が難しい時があるのです。映画なら、カメラが発話者を直接写していなくても(回想シーンや、カメラが別のキャラを追っているときなど)、声でその台詞を誰が発しているか判別がつきますが、漫画では台詞の内容や言葉遣い、ストーリーの流れなどで判別しなければならず、発話者を特定するための要素、それも重大なヤツが映画よりも少ないのです。
ですから、複数人の発話者がいる時に、漫画のフキダシには発話者を特定するための「しっぽ」がついているのです。
(ヨルムンガンド 五巻 p43)
コマの中には三人いて、フキダシは二つ。いったい誰と誰の台詞なのか、あるいは一人が二回喋ったのか。内容を見ればわかるものではありますが、その認識を容易にするために、フキダシには「しっぽ」がつけられているのです。
このように、「台詞の書かれたフキダシが誰のものかわからない」という状況は漫画にとって非常に好ましくないので、意識的にでも無意識にでも、漫画はそのような構成を避けるのです。
ですが、この画像を見てください。
(BLACK LAGOON 五巻 p61)
この画像の中のフキダシの発話者は、一番下で見切れている少女です(正確には、この画像の前のコマから発話は続いているんですが)。フキダシがかぶっている積み重なったコマは、彼女の回想であり。そのコマの誰かが発声したわけではありません。回想シーンに台詞をかぶせるという、映画なら普通に行えるが漫画では忌避されやすいテクニックをあえて使っているのです。
この台詞を誰が発したかということについて、迷う読み手はいないはずです。前のコマからの流れははっきりしていますし、積み重なったコマが回想だということも理解しやすいですから。しっかり構成を練れば、誰が発話したのかということを特定させるのは難しいことではないのですが、漫画ではあまり使われません。やはり、声で判別ができない、という漫画ゆえの制約は強く及ぼされるのでしょう。そこをあえて使うのが、「BLACK LAGOON」の映画っぽさなのです。
もちろん他の作品で使われないということではありません。例えば例に出している「ヨルムンガンド」でも、こんなシーンがあります。
(ヨルムンガンド 五巻 p136,137)
この台詞の発話者は、最初のしっぽつきの台詞を発している彼女ですが、以降の台詞は各カットの上に配置され、流れを考えず単体で見た場合には、発話者を特定できないものになっています。ですが、そこに流れをきちんと作ることで、発話者の顔を出さなくても誰が喋ったのかしっかりわかるようにしてあるのです。
また、漫画史上トップレベルの長尺台詞に、「HELLSING」四巻「D?」の中の少佐の戦争演説があります(こちらのサイトに全文が載っています。「戦争!戦争!戦争!」のシュプレヒコールまで、彼は一人で喋り続けているのです。カギカッコのもの以外は、全て彼の台詞です)。実に5p、14コマの長きに亘って一人で喋っているのですが、その途中にはやはり彼が映っていないコマがいくつもあります。ですが、「この台詞は全て彼が喋っているものである」という認識を共有できるように構成してあるので、読み手は発話者の特定に混乱をきたすことがないのです。
まとめ。
昨日から書いてきたことをまとめれば
- コマを線のみで区切ることで、コマの関係性を密にする=カットの移動の急激さを表す
- コマをモザイクのピース状に割ることで、カメラの動きを表す
- コマを重ねることで、カメラの動きの激しさを表す
- 台詞を発話者から離すことで、台詞の「声」の印象を強める=映画的なカメラワークに近づける
となります。
こうしてまとめるとよくわかりますが、「BLACK LAGOON」の映画らしさとは、カメラワークを強く意識した紙面構成に由来するのです。
もちろん、映画的手法をそっくりそのまま漫画にもってくることはできません。映画と漫画には、表現上に大きく隔たりがあるからです。まず大きいのは、映画は(原則として)自分で見るスピードを決めることはできませんが、漫画は好きなスピードで読み進められる点です。映画は同時に見ている人間全員が同じスピードで見ることが鉄則であり、個人の都合で「ちょっと巻き戻して」などと要求できるわけではありません。それが映画館なら100%無理です。
また、映画には音声がありますが、漫画には視覚情報しかありません。音声情報すら視覚上で表現するしかないのが漫画なのです。
映画から参考になる点は多々あると思いますが、それを漫画的に表現するには、一度自分で噛み砕いてから新たに練り直さなければならないのです。「BLACK LAGOON」は、広江先生の解釈による手法でもって、存分に映画らしさを発揮していると思います。
この前GXをちらっと読んだら、まだロベルタ編をやっていました。ずいぶん引っ張るなとは思いますが、さすがにそろそろ終わるのかな。まだいくらでも展開を膨らませられる作品だと思うので、是非もっと巻を重ねていってほしいです。
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