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むんこ作品に見る、鼻水の重要性

だって愛してる 2 (まんがタイムコミックス)

だって愛してる 2 (まんがタイムコミックス)

連日でむんこ先生についての記事です。

不意を突くように、心をじわりと温かくしてくれるネタを挟んでくるむんこ先生ですが、時折、他の漫画家ではあまり見られない小道具を、感情表現のために使ってきます。それが、タイトルにも挙げた「鼻水」です。

まずは例を挙げましょう。


らいか・デイズ 2巻 p67 「残り1/3」、「完食したらしい」より)
らいか・デイズ 4巻 p71 「一人だったら僕が泣いてた」より)
(同書 p98 「彼女のささえになれる人」より)
(だって愛してる 2巻 p67 「傍ら」より)

このように、直接・間接に、泣き顔プラスするところの鼻水が描かれています。

普通であれば忌避されるであろうところの鼻水。むんこ先生は、いったいどのような意味をこの鼻水に与えているのでしょうか。


それはずばり、「本気で泣いている気持ち」だと思います。

大人になれば本気泣きをすることもめっきり減りますが、それでもふとしたときに涙がぼろぼろ零れたり、あるいは子どもの頃の号泣体験を思い出してもらってもいいんですが、本気で泣いた時って、涙の他に鼻水も出てきて、たいそう不細工な顔にならざるをえないですよね。顔はくしゃくしゃになるし、いろんな体液が溢れてきて、嗚咽は止まらなくて、そんな自分を全然コントロールできなくて。誇張なく泣き顔を描こうと思ったら不細工にならざるをえないし、不細工でない泣き顔なんて逆にデフォルメの極地であるといえます。

とはいえ媒体は漫画。人様に見せるのが憚られるような顔を掲載するわけにはいかないので、どうしたって描く顔はそれなりに見られるようになります。
しかし、そんな顔では泣いているキャラの感情の本気さが、読み手にいまいち伝わりません。
このジレンマをどう解決するか。その案の一つが、この鼻水だと思うのです。
デフォルメされた泣き顔にプラスして、鼻水を出している描写。本来なら不潔なものとして排除されるはずの鼻水ですが、「それを排除することもできないくらいに、このキャラは泣いていることに本気になっている」という意味を描写に付与するために、鼻水はそこにあるのです。

このとき鼻水は、そのような意味を持った記号としての鼻水であり、登場する泣き顔全てに馬鹿正直に鼻水を描写してしまえば、たまの登場ゆえに価値を持ちうる鼻水から、意味が薄れていってしまいます。あくまでたまに、ここぞと言う時にここぞと言うキャラの泣き顔に鼻水を描くことで、そのシーンの感動の大きさがひとしおになるのです。

さらに付言すれば、鼻水つきの泣き顔を描かれているキャラは、皆いつもは人前で涙なんか見せない性格です。普通なら(家族以外の)誰かの前では泣かないという描写があるからこそ、稀に他人の前で涙を見せてしまうときは、普段からはかけ離れたようなレベルの感情の爆発である、という解釈ができるのです。


またむんこ先生の描く泣き顔がかわいいんですよね。デフォルメされたかわいらしさがあるくせに、感情が溢れ出して止まらないというニュアンスも併せ持っている。そりゃあ不意を突かれてこちらもうるっときてしまいますよ。
「だって愛してる」はもう連載再開されたのでしょうか。先の話になりそうですが、3巻が待ち遠しいです。「らいか・デイズ」の7巻は来月発売ですね。楽しみ。





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