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漫画の話です。

センスとテクニック その2 〜文章ミクロ編

少々間が空きましたが、その2です。

前回の記事で、絵画におけるセンスとテクニックの違いを、

絵画におけるセンスは、個人(作り手)にとっての対象の見方、認識の仕方、構図の作り方、色の選び方などであり、テクニックは、それらを抽象的に体系だてたもの、他の人間も利用できるように整理したもの

と言い表しました。この文のうち、「絵画」を「文章」に、「構図の作り方、色の選び方」を「言葉の選び方、句読点の入れ方、改行の仕方」などに変えれば、文章についてのセンスとテクニックの差異についての表現であるといっても通用しそうです。
とはいえ、通用するだけであり、その中身がいまだに判然としないところに大きな問題が残っているわけですが。

センスについてはまだいいでしょう。
対象の見方。認識の仕方。言葉の選び方。句読点の入れ方。改行の仕方。
文章の作り手という個人を分析の対象であるので、考察にそれほど手間取るわけではありません。
ですが、「それらを抽象的に体系だてたもの、他の人間も利用できるように整理したもの」というと、どの程度までそれは対象とすべきなんでしょうか。
統辞レベル?てにをはレベル?標準語レベル?他人に読んでもらうことを目的としたレベル?それで生計を立てるレベル?
最初二つは、単純に読むのに苦労してしまうので、つまり趣味としてまず楽しむことすら出来ないので、この際置いといていいでしょう。となれば、標準語レベル以上について、「体系だてられたもの」を考えるべきです。

現代の日本で標準語とされているのは、明治期の東京山の手言葉です。あるいは、もっと身近に言えば、NHKのアナウンサーがしゃべっている言葉が標準語であるといっても、実質的にたいした違いはありません。標準の標準たる所以は、誰かが「これが標準語である」と決めた、ということ以外にはないのですから。
文章の体系の基礎、考える上でのボトムは、この「標準語」だといっていいでしょう。絵で言えば……どのレベルなんですかね?かなり深刻に絵心がない私ですので、いまいち判じがたいですが、中学の授業で習うくらいでしょうか。一般的には、絵と文章では人生において登場頻度が大きく違いますから、簡単には言えないでしょうし、あるいは簡単に言うしかないでしょうけど。とりあえず簡単に言ってみました。

で、この標準語という体系からより分化をして高次の境地に達するわけですが、ここで実際に文章の技法の具体例を挙げてみましょう。
Wikipediaに概説があり詳しくは「修辞技法」の項を参照してもらいたいのですが、有名所を上げておけば、比喩とか、倒置法とか、体言どめとか、反語法などでしょうか。
標準語という幹から伸びる枝にこれらの修辞技法があり、その先の葉にさらに技法が細分化されるわけです(お、比喩)。

これらも絵画の技法同様、先人たちの言葉遣いを分析して抽象化し、技法として体系付けられてきたのでしょう。
そして、文章のテクニックとは何かと問われれば、ここらへんのものを挙げるのが一般的な回答だと思います。
ですが、私が疑問に思っている文章のテクニックとは、このようなものとはまた別のものなのです、ここまで書いておいてなんですが(お、倒置法)。

折角ここまできた議論のテーブルをぶっくら返したところで、また改めて私の考えを整理しておきましょう。
上で言う「このようなもの」とは何か。それは、文章においてかなりミクロな次元での技法のことです。比喩にしろ、倒置法にしろ、体言どめにしろ、反語にしろ、どれもこれも一つの文の中だけでその役割を終えてしまうものばかりです。
例文を挙げれば

1.彼の例えは隠喩のように難解だ。
2.やめるんだ、倒置法は。
3.気になるのは体言どめ。
4.反語ほど嫌味なものはあろうか。

などですが、読んでお分かりのとおり、どれもこれも一つの句点まででその技法は終了しています。
上のWikiのリンク先でのパラレリズムや押韻、漸層法あたりは、複数の文を必要とすることがままありますが、それらも基本的に、ある言葉(文章)の意味を強調するために、複数の文を使っているに過ぎないのです。あくまで言葉(文章)が本来有している意味、伝えるべき内容に味付けをプラスしているのであり、それを越えたところで新たに意味を発生させているわけではありません。それら技法は調味料に過ぎないのであり、新たな食材とはみなされないのです。


ならば、「別のもの」とはなんなのか。
それは、何を隠そう、これらの修辞技法より高次にあると考えられる文章術(お、体言どめ)。
つまり、もともとある言葉(文章)に味付けをするだけの技法ではなく、それらの文章(言葉ではなく文章。先ほどまでの技法より、確実に一つ次元が上だということです)を巧に配列調整して、文章が伝える意味とは違う次元で、また別の意味・感覚を読み手にもたらす技法なのです。


と、まとまった考えも尽きたところで、今回はここまでにしておきます。ではまた次回、文章マクロ編でお会いしましょう。








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