- 作者: 幸村誠
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2006/08/23
- メディア: コミック
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舞台は11世紀の北欧。フランク王国が分裂してから、西ヨーロッパは政治的にも文化的にも千々に乱れていた。そんな状況の下で、北欧のデーン人たち、いわゆるヴァイキングの連中は暴力と機動力を存分に振るい、フランク人たちに恐れられていた。
主人公は、あるヴァイキングの一団の一人であるトルフィン。父を殺した敵である、その団の首領のアシェラッドを決闘で殺すために、不本意ながらもその団に身を寄せて、繰り返される戦いの日々に身を投じている。
友人らからも「『プラネテス』が面白かったなら読んどけ」と再三勧められていたのだが、前述の通りしばらく渋っていた。でもまあなんだね、勧めるには当然勧めるだけの根拠があるってことですよ。
面白い。
今回この「ヴィンランド・サガ」を読んで気づいた、つまり「プラネテス」からつながる線として気づいたこの作者の魅力は、登場人物の造型・描写とそのキャラによる台詞回しが、絶妙に調和が取れていることだと思うんです。
あるキャラがある台詞を言うことに、全く無理がない。そういうことを言っても不思議じゃない。
そういう意味でのキャラと台詞の調和。
特に余りギャグに傾きすぎない作品に多く見られますが、作者の考えた決めゼリフを決めシーンでキャラに言わせても、台詞がかっこよすぎてキャラクターから離れていってしまうことがあります。
「おいおい、そのキャラがそんな単語を選んでそういうことを言うのかよ」と読んでて思ってしまう感じ。
そこまで意識的に違和感を覚えなくとも、「なんかひっかかるな」くらいは誰しも感じたことはあるんじゃないでしょうか。
この作者の作るキャラには、そういう不自然さ、不調法さがありません。
「ああ、このキャラならこういう場面でこういうことを言いたいなら、こういう風に言うんだろうな」ってのが素直に受け止められるんです。
例えば、「プラネテス」の最終話で、主人公の八郎太が木星から送ったメッセージの中で
「でも 愛し合うことだけが どうしてもやめられない」
ということを言っています。このような意味の台詞を言うのに、彼だったらまさにこのような言葉を選んでこのような口調で言うのだろうということを、今までの連載の中でしっかりと読者に納得させているのです。
簡単に言ってしまえば「キャラが立っている」ということなのかもしれませんが、ちょっと言葉を変えて、「キャラが自立している」と言いたいところです。登場人物の細かな具体性、なんでもない日常的な具体性がしっかり描かれているからこそ、台詞回しの調和が成立するのだと思います。
さらに例をあげれば、単行本3巻Phase13でタナベの両親が初めて出てきますが、彼らは初登場にもかかわらず、特徴のある台詞回しを易々と成立させています。これは、事前の細かいキャラ描写がなくとも、「このような発言をする人物はこのようなタイプだろう」と読者が推測するような、今までの話とは逆方向の力が働いているのかもしれませんが、それも含めて、特徴的であるとは必ずしもいえない他の会話、人物描写によって知らず知らずのうちに読者にキャラの人間性を刷り込んでいるのでしょう。
「プラネテス」の例ばかり挙げていますが、それはそちらの方が何度か読み返しているので記憶に残っているということで、他意はないです。
あと、「プラネテス」には感じず「ヴィンランド・サガ」では感じたことに、人物の顔(表情)の表現がなんだか石川雅之に似ているなということがあります。
なにが共通しているのかといえば、表情ののよる感情の表現の多様性だと思います。
絵画的デフォルメは、端的に言えば各パーツの大きさで、パーツと顔のバランス(あるいは顔と身体のバランス)が実際の人間から離れれば離れるほど、その顔は現実から離れるカリカチュア的なものとなります。それは、針すなおや清水ミチコが描く似顔絵みたいなもので、特徴的な部分を強調することで、顔、ひいてはキャラにインパクトを持たせるという手法です。
しかし、デフォルメは特徴的な部分を敢えて強調するために、どうしても表情のいちいちが大げさにならざるを得ません。
大げさになってしまう表情だけでは心の機微を細緻に描くのは難しく、どうしても台詞に頼る割合が大きくなるのは避けられないところです。
しかし、この両者は表情によって感情の機微を描くのが非常に巧みだと思うのです。
幸村誠があまりデフォルメされた顔を描かないのは「プラネテス」からそうですが、特に「ヴィンランド・サガ」になって、顔のパーツの描きこみがより丁寧になったので、キャラクターの表情がとても豊かになったと思います。表情が豊かというのは、表情のふり幅が大きくなったのではなく、表情のグラデーションがきめ細かくなったということです。
その点が石川雅之も同様で、「もやしもん」は男性キャラは頻繁にデフォルメ化されますが、女性キャラの顔は(デフォルメ化されつつも)かなり丁寧に描き込んでいます。
その丁寧さによる表情のグラデーションのつけ具合は、両者とも甲乙つけがたく思われます。
このような表情のきめ細かさでもって、二人の絵柄にどこか通じるものを感じたのでしょう。
余談ですが、何の気なしにwikipediaを読んでみたら、幸村誠と石川雅之は実際に親交があるようです。これも一つの類友なんでしょね。
「もやしもん」第六巻も、今月22日に発売されました。
「ヴィンランド・サガ」が好きな人は「もやしもん」も好きになりそうだし、その逆もある気がします。
この機会に一読してみてはどうでしょうか。
両方ともかなりお薦めです。
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