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こどもはいつかおとなに 少しずつおとなに 『こども・おとな』の話

それはまだ子供たちが、土曜日に半分だけ、学校に行ってた頃。その頃のおはなし。家で、学校で、おじいちゃん家で。家族と、先生と、友達と、おじいちゃんと。一人の男の子・相田サトルが出会うこどもとおとなは、まだこどもの彼を、少しずつ新しい世界に連れ出していくのです……

ということで、福島鉄平先生の新作『こども・おとな』のレビューです。
主人公・相田サトルがまだ子供だった頃のお話(1〜5話)と、最終話の、大人になった彼のお話。冒頭の「それはまだ〜」の文章は、本作帯に書かれている惹句ですが、その言葉通り、この作品は過去を思い返す物語。思い返された過去の持ち主である彼はもう大人になっていて、もうセピア色になっているそれらを胸に去来させながら、最終話の大人である現在を生きている、という形になっています。
少年サトルは、世間ずれしていない男の子。先生や親の言うことは素直に聞くかと思えば、クラスメートの女の子が通るのに邪魔だったら「バカ」と言い放ったりもする。よく言えば素直で天真爛漫、悪く言えば善悪に頓着のないわがまま。そんな彼が、親や祖父、先生といったおとなと、兄のような少しおとなと、同級生のような同じこどもとのつながりを通じて、少しずつ、世界のことを知っていきます。
世界の何を知るかといえば、目に見えないルール。守るべきマナー。知っておいた方がいい不文律。誰かが教えてくれることもあれば、自分で気づくしかないこともある、そんな世界の則。返事をするときは「うん」じゃなくて「ハイ」。
バイクの後ろに乗る時はしっかりつかまっていないと危ない。
トーストにはバターとジャムを一緒に塗ると美味しい。
友達の嘘は気づいていないふりをした方がいい時がある。
挨拶をしたのに返してもらえなかったときは、お天道様にしたと思う。
「ご飯食べてる?」って聞くのは、本当に食べているかを気にしているから。
大事なこと。そうでもないこと。すぐ忘れてしまうこと。死ぬまで頭から離れないこと。世界には、人と人との間にはそんな約束事がたくさんあって、こどもから大人になるということは、その約束を知っていくということなのかもしれません。あるいは、それまでたいしたことないと思っていた約束事が、実はどれだけ大切なものなのか知ったときに、おとなになるのかもしれません。それを知っていくことが、おとなの階段をのぼっていくこと。幸せは誰かが運んでくるものと信じてれば、それはこどもなのでしょうが。
こどものサトルは、大きな感情の起伏を見せません。嬉しいことも理不尽なことも、淡々と受け容れてしまいます。ややもすればそれは、こどもらしからぬ態度かもしれません。でもそれは、約束事を自分の中に収めているところだから。見知らぬことを受け容れるためには、大騒ぎしてはいけない。ただまるっと呑み込む必要がある。きっとサトルはそれをしている。で、その様子を見ている私たちとしては、そこにいろいろな解釈の余地と、余情が生まれます。
彼がいい子なのか悪い子なのか、つかみきれないままにふつっと終る。けれどそこにこそ、もう私たちが忘れてしまった、そして普段見ることのない、こどもの素があるのではないかと思います。こどもは無邪気とか天使とか、そんなふわふわしたことがよく言われますが、自分自身を振り返ればわかる通り、こどもは本当は、おとなと同じかそれ以上に周囲の目を気にして振る舞います。だから、大げさな反応やおとなの望むような振舞なんてのは、こども自身が衝動的に感じたものではなく、周囲の目というフィルターをこどもなりに通したものであることがしばしばです。その意味で、大仰にならないまま自分が出会ったことをじっと噛み締めるサトルの姿は、普段目にしない、というよりも目にすることのできないものなのかもしれません。
最終話では、こどもとおとなのサトル、両方が出てきます。いえ、そこに明確な線はないのでしょう、おとなに見えるサトルもまだこどもだし、こどものようなサトルもおとなのかけらをのぞかせます。過去と現在が断片的に現れ、おとなとこどもが交錯する。それまでの全てのお話が収束してくるようで、非常にぐっとくるエピソードになっています。
前作の『アマリリス』『スイミング』でも思いましたが、やはり福島先生は、こどもとおとなというテーマを描くのが巧みですね。また次回作が楽しみです。


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