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「へうげもの」に見る「箔」と「愛」の話 前編

※12巻のネタバレがあるよ。未読の人は注意してね。
最新刊の12巻で、ついに秀吉公が永の眠りにつきました。信長、利休に続く、「へうげもの」最重要キャラクターの一人である彼の死は、信長や利休のものと同様常識外れに、祝祭的な形で描かれました。吉幾三って。泣き笑ったわ。
その秀吉が死ぬ数ヶ月前、醍醐の花見の茶席で彼は、織部に己の肚の内をさらけ出しました。

利休は以前かように申したことがある…… 「死に近づく程 一層『わび』の良さがわかる」……と
この俺も一層…… わびを好むようになってしもうた……
だがのう左介…… この華々しき桜を見ても…… この上のう美しく見えるのだ…… もう見られぬやもしれぬと想えば……なおな
利休のわびもわかり 信長公の華もわかる…… 俺は数寄においてもどんどん…… 誰からも解されぬ男になっていくわ……
(第百二十七席)

華とわび。信長と利休。死が近づくにつれ、相反する二つの数寄を等しく好むようになった秀吉は、それ以前から感じていた己の孤独を一層深く募らせていったのです。
敬愛する信長公を「箔」のためにこの手で殺して以来、秀吉は心から信頼できる人間を作ることが極めて難しくなっていました。臣下にも秘して信長討ちの謀略を進めていた秀吉ですが、肉親には先立たれ、師とも父とも仰いでいた利休とも袂を分かち、伽の相手は腹に一物を抱えている。晩年の彼には、心のうちをさらけ出せる友と呼べる人間は、織部しかいませんでした。その織部を友とした経緯も、織部に「懺悔し」「脅すことで」「他に誰もおらぬ肚から話せるものを側に置き 釘を刺した」というもの。友と呼ぶにはあまりにも哀しく非情な繋がり。秀吉の言葉を借りれば「血を吐くが如き努力を重ね」た繋がりです。
そして彼は、今わの際でそのことを悔いています。

俺と上様は互いに利を受け 与える遠慮なき間柄であったと…… それをダール・イ・レゼベール…… 「愛」と仰せになったのだ……
左様な居心地の良い間柄であったものを……俺は……
俺は「箔」ほしさに野心を先じてしもうたのだ…… 「箔」がために最高の理解者をこの手に……
俺の業は未だ「箔」を求めておる………… 朝鮮を……皇帝の座を…………
されど……… 気付いた…………
生涯を賭して求めた「箔」の最たるものとは…… 愛すべき友だと
(第百二十七席)

「箔」そして「愛」。一見相反するようなこの二つ。秀吉はいったいどのような思いでこの言葉を吐いたのでしょう。


作中で何度も出てくる「箔」は、明確な定義があるわけではありませんが、「肩書き」や「評判」などと同義と推測できます。古くからの名器についた「箔」。名家の武将としての「箔」。天下人としての「箔」。「金箔」が、金を何かの表面に付着させるために薄く展ばしたものであるように、「箔」とはある実体の表面を飾り立てるための外的な何か、と考えてよさそうです。
華を好む信長は「箔」を好み、彼の「箔」観は

世を治むるには「武」のみならず「箔」がいる
織田にとって「箔」とは朝廷であり名物群よ 時には朝廷をも圧倒する「箔」が必要になる 今こそあらゆる力を織田に結集し全国を束ねねばならん
(第十九席)

というものでした。豪華絢爛な安土城を建て、古今の名物群を集め、朝廷をはじめとする貴族筋を自分の下に置こうとする。「武」は恐怖で他人を従属させますが、「箔」は畏怖で他人を魅了し、平伏させます。他人の精神に強制的に働きかけるもの。それが信長にとっての「箔」です。
わびを追究した利休は「箔」を嫌い、徹底的に無駄を排した末に黒へと至りました。

万事何事も続けていれば 無駄を見つけてうるさく感じるものです その無駄を省いて省きこみますと…… 最後はこの色のごときものになるのです
この黒こそが私の理想とする色であり 理想の生き方なのでございます
世に言う「名物」はすべて渡来の品…… その価値を破壊してでも…… 私は黒こそが至高だと証明したく存じます そしてそれが止むに止まれぬ業なのです
(第八席)

「箔」を嫌う利休も、華を拒むわけではありません。ただ、「華は咲き乱れるのではなく」「一輪あらばよろしい」ものだととらえていて、それは咲き乱れる朝顔をすべて摘み取り、一輪だけ床の間に飾ることで朝顔の形や色を強調し「個」の美を際立たせたことにも現れています(第四十席)。
秀吉の茶道筆頭として権勢を得た利休のわびは、あまねく全国へ広がりました。店先から派手さをなくし、枯れた雰囲気を出すことで売り上げが伸びるほどに、わびの嗜好は高まっていきました。ですが、徹底的に無駄を排する利休のわびは、その真髄を体得するには厳格でストイックに過ぎました。いつ何時客が来てももてなせるよう常に心がけていられる人間などほんの一握り以下で、結局のところ世に流布したのは、上辺だけの似非茶人だったのです。
「箔」とは非常にわかりやすいものです。先に書いたように、「箔」とは人の評判。言ってしまえば、世の風評にさえ通じていればそれでよく、自身が目利きにある必要はありません。その魔力は非常に強く、利休の一番弟子にして友人だった山上宗二でさえ、先人の遺した名器の「箔」から逃れることができず、関東の北条方で才はなくとも熱気あふれる武士たちと一座建立を得ることで、ようやく既成の枠から出ることができました。
そもそも利休自身でさえ、自らの打ちたてたわび(=黒)が「箔」となっていたことに無自覚でした。わびが「箔」、すなわち表面に貼り付ける見栄えのためのものとなったからこそ、上辺だけを真似た似非茶人が生まれてしまっていたのですが、ノ貫の言うように、己が業の炎に焼かれていた利休にはそれが見えなかったのです。
さて、信長に心酔し、利休を師と仰いだ主人公・織部は「箔」をどう扱ったか。
当初の織部は、武人としての己、茶人としての己を定めきれず、「箔」を求めていました。ですがそれは、名器そのものではなく、それを多く手にする信長への憧憬、同一願望だったのです。

今わかった…… 俺の名物への想いとは…… 信長様への憧れだったのだ
名物という「箔」を身につけることで 信長様に巣故意でも近づけると想うていたのだ……
しかし…… 憧れる先を失い身の程を知った今…… 「箔」をつけることに空しさを覚えてしまう
(第三十一席)

後に、利休の弟子である織部は、無論のこと利休のいうわび数寄に傾倒しました。利休の作った待庵を真似て渋庵を作り、黒焼き茶碗も陶工たちに作らせます。しかし、次第に彼の数寄は、利休のわび数寄とは別の方向へ進んでいきます。聚楽第屋敷を過剰に襤褸く建て、大茶会では竪穴式住居で茶席を振舞う。この数寄を利休は「過ぎたるはなお及ばざるが如し」と喝破し、織部の意気を強く挫きました。
ですが、わびに己を失っていた利休が過ちに気づき、彼の前で膝を折ったとき、織部は言いました。

先日の宗匠の茶に招かれ…… それがしは己を卑下するのをやめ申した……
宗匠ほどの御人でも蓋の如く不完全ならば人は皆不完全…… むしろそこが面白いのだろうと
(第六十二席)

面白さ。へうげ。実は、それこそが織部が、いえ、この作品が一貫して求めていたものでした。第一席にて平グモを目にして以来、織部が名器や名物に目を奪われるときは、必ずと言っていいほど彼の心を強く動かす情動がオノマトペで表現されていました。己の心をときめかせるもの。それこそが織部が一貫して欲していたものであり、それがたまたま「箔」をまとっていたり、わびに削ぎ落とされたりしていたのです。
素晴らしいものを見たときに心が躍るという、実に始原的な情動。他人の評判という外的な「箔」や、無駄という無駄を排し静的なものへと収束していくわびとは、織部の数寄は根っこが同じではなかったといえるでしょう。
開眼した織部は自分の数寄をさらに推し進め、信長の「箔」と利休のわびをくぐりぬけたものとしての感性を発揮します。

先人たちが見出した高麗井戸茶碗を筆頭とするわびの価値を…… 私が無駄を排し黒くすることで至高のものにしたと自負しております……
そして今あなたが…… 排したはずの無駄……即ち「自慢」と「箔」を含む染付けを…… 不完全な筆致にて器肌になじませ新たな風情を生み出したのです
(第七十八席)

完璧の中の作為的な穴。不完全ゆえの美。宗匠を自らの手にかけた後の織部はさらに磨きをかけ、天性の作為なき美に対抗する、人間の必死な劣情こそ美しく価値があると見出しました。

「いわば神が創り賜うた偶然の産物…… 野に佇む樹や石の美しさと同じと見てよい」
「なるほど…… だとすると…… いかな腕の良い陶工でもこれには追いつけぬわけですな…… 神が創りし天然の形や風情には敵いませぬゆえ…………」
「それでも追いつかんとする人間の必死さがより面白いと思わぬか?
今日の徳川様に何を見た……? あれこそまさしく………… 神の偉業に追いつかんと必死に鼓舞せし故のゆがんだ姿! まるで古の土器が如き…… 興福寺の仁王像が如き姿ぞ!!
今焼にも同じ姿を…………同じ劣情を求めたい それを表した物こそ…… 最上の腹よじれるわび器となるのだ……
ひずむを待つでなく 自らゆがませるのだ!!」
(第九十七席)

こうして織部にとっての「箔」は、ただ漫然と世間の口の端に上るものではなく、上ったうえでそれ込みの面白さを器に与えるものとして、意味を変えました。


と、ここまでで信長と利休の「箔」とわび、それを受け継いだ古田織部の感性について書いてきました。ですが信長と利休の二人を受け継いだ人間はもう一人います。それが冒頭で触れた秀吉です。彼にとっての「箔」は。そして彼が信長と織部に感じた「愛」とは。そんなことを後編で書こうかと思います。最近更新ペースが落ちてますが、なるべく早めに。



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