ポンコツ山田.com

漫画やアニメ、小説などについて、思ったことを恬淡と。

「僕らの音楽」桜井和寿×伊集院光の対談を見て

基本的にニュースぐらいしかテレビを見ない私ですが、昨日久しぶりに自発的にチャンネルを民放に合わせました。目的は、タイトルにもあるように「僕らの音楽」。有り体に言えば伊集院光
尺が30分にも満たない番組で、しかも曲を二曲も流すのなら密度的にはこんなもんかなと思いましたが、それでも比較的黒めの伊集院光が出ていたことはよかったです。よもや地上波で「松の木におじやをぶつけたような顔のブス」という言葉と、「生放送にとんでもない遅刻をして、『いっそこのまま逃げて芸能界を引退してしまおうか』『いっそ死んでしまおうか』と考えながら駅のホームで電車を待っていると、向かいのホームでデブの女二人組がものすごい形相でパラパラを踊っているのを見て、『俺まだ頑張れる』と思った」というエピソードが語られるとは思わなかった。
ということで「松の木におじやをぶつけたような顔のブス」から広がる話を少々。


対談の中で伊集院がこのフレーズを使ったときに言ったのが、おおむね以下のような話。
「ラジオは声だけのメディアで、テレビならあるブスの話をしたときにそれに近い実際の顔やCGを出せばいいけど、ラジオではそうはいかない。『だれそれに似てる』というような既存のイメージに当てはめられない顔のブスを、『松の木におじやをぶつけたような顔』という言葉でリスナーと共有できるかどうかがラジオの肝だ」
自分なりの解釈ですので細部は違いますが、だいたいこんな具合です。
ここでピンときたのは、「言葉だけで他者とイメージを共有する」という点です。そこだけを取り出せば、このようなブログとも共通するんですよね。
私がこのブログで書いてる内容は、漫画や小説を読んで気になったことを掘り下げる類のものが7割、レビューっぽいのが2割、その他1割くらいですが、私が感じたり気になったりしたものを掘り出して埃を払って磨いて、読んでくださっている方々の前に披露しても、それがきちんと、全く同一とは言わずともなるべく近似的なイメージで伝わっているかは結構不安なわけです。私はわりと画像を引用して概念の説明をしますが、画像はあくまで補助の役割でしかなく、提出しようとしている概念は結局は言葉で伝えなくてはいけないものです。
ちょっと前の記事(漫画表現の中の、光を反射しない眼について - ポンコツ山田.com)では各作品から目の画像をもってきましたが、「それがなぜそう感じるのか」ということに関しては言葉で説明するしかありません。その記事で触れた目のことを私は「光を反射しない目」「つや消しの目」と表現しましたが、ブックマークコメントにもあったように、サブカルの世界では「レイプ目」という呼称がありますし、もっと一般的には「虚ろな目」という言い方ができるものです。なぜ既存の言葉を使わなかったのかといえば、「レイプ目」に関しては知らなかったのもありますが、「虚ろな目」という表現では「心の空虚さ」のイメージが最初からついてしまうので、それを嫌ったからです。そのイメージとはそぐわない事例があるために、価値中立性の高い「光を反射しない目」「つや消しの目」という表現を用いました。この場合の価値中立性は、表面的な事実のみを表している、という意味ですかね。
では果たしてこのような言葉を使ったことで、私がもったイメージは不必要に形を変えずに読み手にまで届いたのかどうか。それはやっぱりどこまでいっても100%の断言ができるものではありません。それでも私はイメージの過不足をなるべく埋めるために、言葉を選び、費やし、あるいは削いで、論を展開しています。
これは「松の木におじやをぶつけたような顔のブス」のやりかたとは逆ではあります。あっちはイメージを膨らませやすい言葉で、受けてなりの「松の木(以下略)」をそれぞれ思い浮かべるわけですが、私の場合はなるべく送り手とそれぞれの受け手の間でぶれの出ないように言葉を並べているからです。
これは、時間制限もあり、なによりテンポ、面白さが要求されるラジオのトークと、特に字数の制限はなく、面白さは必要だけど同程度には正確さも必要とする仮説展開では、目的とするところが違うので当然といえば当然なのですが。それでも、「言葉で他者とイメージを共有する」という点では同じなわけです。
個人的な性向の面から言えば、私がイメージを強く喚起する「松の木(以下略)」的な言葉を上手く用いることができないために、その反対方向の今のスタイルに落ち着いているというのもあるかと思います。特にブログだとそうですね。私はなぜか漫画のレビューというのが苦手で、自分の個人的な感想を書くより、批評的な観点で気になる点を掘り下げる方が考えをまとめやすいんです。そして逆に、小説の場合には批評的な観点より普通のレビューを書くほうがやりやすい。私はなんらかの批評を特別に学んだことがあるわけではないので、どちらがやりやすいということはないと思いますし、むしろ本棚に並んでいる本を見れば、文学批評の方が性に合ってるだろうとさえ思われます。加えて私は絵心がさっぱりない人間ですので、なんで漫画のほうが色々気がつくのだろうと当人からして首をひねるばかりです。


最後のほうはちょっと横道に逸れましたが、「言葉で他者とイメージを共有するには二つの道があるよ」ってことと、「言葉の選び方、論の立て方には個人の性向が大きく関わってくるものだね」ってこと。あとは横道の話題から「人間何が向いてるか、当人でもわからないものだ」ってことですかね。








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