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スリーピースの欠片たち 実験4号/伊坂幸太郎・山下敦弘

実験4号

実験4号

Theピーズの曲「実験4号」へのトリビュート作品。小説と映画で。その発想はにくい。

大別して、この作品を購入する動機は、Theピーズが好きか、山下氏が好きか、伊坂氏が好きかの三つのうちどれかと断じてまず間違いは無いでしょう。
私は断然伊坂氏サイド。
正直、Theピーズの曲も山下氏の作品も、この作品を購入するまで視聴したことありませんでしたから。


以下、読みようによっては軽いネタバレになりかねない文章も出てきますので、まっさらな状態で作品を楽しみたい人はご注意ください。もちろん致命的なネタバレを書くつもりはありませんが、念のため。


まずはそのTheピーズの曲、「実験4号」の歌詞を。


ついでに、私的なライブ録音で、映像も音質も悪いけど、You Tubeより
実験4号



さて、私は最初にこの歌詞を読んだ時、ラブソングだと思いました。「ラブ」というほど積極的なものではなくても、歌詞の中に出てくる「君」は女性、恋人を指している、だからこれはラブソングなのではないかと思ったんです。
ですが、この作品では、小説でもDVDでもそうは捉えなかったようです。いや、曲としてはそう捉えたのかもしれませんが、各々の作品の主題として、恋人としての「君」を選びはしませんでした。

この作品の形態を説明しますと、火星への移住が始まった百年後の世界、「新東京」という関東の片隅に残った廃校寸前の小学校(生徒数三人、校長兼教諭一人、謎の用務員一人)と、その校庭の片隅を借りてロックの練習をしている三十代の男二人。この枠組みをまず作り、伊坂氏がロックの二人を、山下氏が小学校の生徒三人を主役にして各々作品を作ったようです。

伊坂氏の作品、「後藤を待ちながら」は、火星に行ってしまったスリーピースバンドのギタリスト・後藤の帰りを待つ、ベースの柴田とドラムの角倉のお話。
山下氏の作品、「It's a small world」は、三人しかいない生徒の一人・アビちゃんが卒業して火星に行ってしまう、その学校最後の二日間のお話。
両作品とも女性は出てきますが、私が歌詞の中で感じたような、恋人としての、重要な役回りとしての「君」ではありません。山下氏の作品では、女性が登場することに意味は持たされていますが、それでも主題としての意味ではありません。

では、この両作品の主題は何か。
それは、正にTheピーズのバンド形態と同じく、スリーピース、三人の人間による人間関係です。
「後藤を待ちながら」では、柴田と角倉が後藤の帰りを待つ。つまり、三人での人間関係の回復の話。
「It's a small world」では、三人しか残っていない生徒の中から一人がいなくなってしまう。つまり、三人での人間関係の喪失の話。
ピースの回復と喪失。
復活するトライアングルと、失われるトライアングル。
トライアングルを軸にして裏表の主題を描いたのが、この両作品だと思うのです。

ここで歌詞を顧みて、主題とあわせて考えると、重点が置かれているのは最後のサビだということがわかります。
主題に置かれているのは


続くよ まだ二人いる
何かまた作ろう 場所は残ったぜ


なわけです。

それまで歌われてきた「君」は、残った二人、残された二人、「You and Me」のどちらかにはなりません。もし「君」がこの「二人」の内の一方であったら、その関係は完全な二点を結ぶ線分のみを意味してしまい、三角形を形作れなくなってしまうからです。
それまででてきた「僕ら」、「君」、「舐め合う」は、完全に二人の閉じた関係で、三角形を作る余地はありません。
あるいは「君」を旅立ってしまう、旅立ってしまった一人と仮定することも出来なくはありませんが、それは文脈上無理があるでしょう。
それゆえに、もはやこの両作品の主題は、それまでの歌詞は瑣末なものとして、上の二行が極めて強く表しているといっていいと思うのです。


「後藤〜」では、火星に行ってしまった後藤だけど、地球には二人がまだ残ってる。スリーピースは欠けてしまったけど、二人は残っている。場所は残ってる。まだロックを出来るんじゃないか。後藤が帰ってくる場所は残ってるじゃないか。残せるじゃないか。と。
百年後では、ロックはもう前世紀の遺物で、もっと軟弱な音楽が流行っているという設定ですが、この三人はあくまでロックにこだわってバンドをやっていた三人。その意味で、誰一人かけがえの無い三人。それでも行ってしまった後藤。ロックはこれで終わってしまうのか?
そんな不安を振り切るように紡がれる二人の後藤へのメッセージが、この歌詞に託されているのだと思います。

翻って「It's〜」では、卒業してしまったら生徒が二人になってしまう。スリーピースが欠けてしまう。それを一番痛感しているのは、残された二人ではなく、旅立ってしまうアビちゃんなんです。残された二人にしてみれば、スリーピースは欠けてしまうけれど、それ以降も二人は残る、残らざるを得ない。関係は続いていくのです。ですが旅立つアビちゃんにとっては自分が新たな世界に行くことで、もう自分はスリーピースには入れない。関係を壊して旅立ち、以後その関係に立ち入れなくなってしまうのです。立つ鳥跡を濁して去らざるを得ないその感覚の分だけ、アビちゃんはピースの喪失に責任を感じずにはいられません。
ために、アビちゃんにとって上の歌詞は、二人への祈りを意味します。

自分はまた地球に必ず帰ってくるから、そのときまで場所を残しておいてくれ、必ずまた帰ってくるから。

ずっと一緒だった(のに、ここへ残していってしまう)二人の未来へ、現在のアビちゃんからの切ない祈り。それがこの歌詞です。


残された二人からのメッセージと、残された二人への祈り。
私は、この両作品を続けざまに鑑賞して、そんな対照的な方向性を感じました。
「実験4号」の曲自体には、そんな近未来の匂いなんてさせていないのに、あえてオリジナルな設定をかぶせてきて、さらに歌詞が本来歌っていたであろう意味すら避けて主題を作ってしまう。
ひねくれ者というか、常人ならざる主眼というか。



以下普通の感想。

相変わらず伊坂氏の筆致は冴え渡るなぁと感じた「後藤を待ちながら」。そもそも、そのタイトルのセンスからして、凡百の人間が千年経っても辿り着けない万里の径庭の彼方にあるものだと思います。
「後藤を待ちながら」だよ?
かっこよすぎる。
内容も「The伊坂」って感じの、私の大好きなストーリー。上で展開した話のように歌詞と内容を絡めたのにはぶるぶるきました。変化球気味なのにとても素朴。それが私の好きな伊坂氏の作品に共通する点です。基本どれも好きだけど、特に好きな「チルドレン」、「死神の精度」、「陽気なギャングが地球を回す」、「砂漠」なんかに見られる印象ですね。

あと、作品中に「ロックンロールを意訳すると?」という問いが出てくるんですが、Theピーズではなく、The Blue Heartsファンの私としては、「日本語に訳せない英語があります。それはロックンロール!!」 (まあこれはハイロウズ時代の言葉のようですが)という甲本ヒロトの言葉を思い出さずにはいられません。作中でもなんやかやと試行錯誤してますが、やっぱりこれって言葉で言い切れていないんですよね。
伊坂氏もブルーハーツが好きなのか非常に気になるところ。


山下氏の作品は初見なんで、ほかの作品がどうなのかは解りませんが、なんだかいい意味で暴力的に伝えてくるものがありました。なんでもないように見せて、ぐさぐさと意味を送ってくるんですよね。
自分が、ああいう過疎的な環境にひどく弱い(容易に感情移入して、見てられなくなる)せいもあるんですけど、寂しさをなんでもない顔して送ってくるのはずるい。
映像作品を鑑賞することが極端に少ない人間なんで、感想が貧困になってしまい申し訳ないですけど、これは最近味わってない感覚でした。

100ページに満たない小説と、40分少々の映画で2980円。高いか安いかは微妙っちゃ微妙なラインですが、私は買いだと思いますよ。伊坂氏の作品は、別の本で短編の一つとして収録されることは無いだろうし、山下氏の作品もレンタルされることは無いでしょう。かなり特殊な形態の商品ですから。
どっちかが好きなら買いです。どっちかを楽しむことでもう一歩を楽しむ道も開けますから。


追記:どうやら「後藤を待ちながら」は、「ゴドーを待ちながら」という戯曲のもじりだそうで、他にも同名の小説、漫才のネタなどがあるらしいです。知らなんだ……






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