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漫画の話です。

「不気味で素朴な囲われたきみとぼくの壊れた世界」について、重大なネタバレを含みながらも言いたいことがある

CAUTION!
以下の文章では、「不気味で素朴な囲われたきみとぼくの壊れた世界」について、作品の根幹に関わる重大なネタバレを含んでいます。未読でかつ今後読むつもりの方は、以下の文章を読んだ場合に作品の楽しみを決定的に損なう場合があります。くれぐれもご注意ください。一応読む気のない方にも内容がわかるような書き方はしてあります。あんまいないとは思うけど。
では以下収納。










という出だしから書いていこうと思いますが、今回の作品で最大に言いたいことは挿絵です。
編集サイドから「こういうカットを描いてくれ」という具体的な指示があったのか、それともイラストレイターであるTAGRO氏の方が主導的に絵を描いたのかわかりませんが、ちょっと作品的にフェアじゃないカットがいくつかありました。

(同書 p22)
この絵ならまだいいです。ぎりぎりのところで譲歩しましょう。こういう服を着る人もいるかもしれません。

(同書 p8)

(同書 p23)
でもこれはさすがにアウトじゃないですか?この二枚では、はっきりと迷路さん(バックアップ)は右前のシャツとジャケットを着ています。
いるかもしれない「この作品を読んでないし読む気もないけど、この記事は読んでる」人のために説明をしておくと、この作品の最大のオチは、最初からずっと「女性である」と意図的に誤認させるように書いてきた病院坂迷路(画像の人間でもあり、表紙の人間でもある。本作のほとんどで一人称語り部を務める)が、オチで「読者はこいつは女だと思ってたかもしれないけど、実は男性でした。ドッギャーン!!」とひっくり返されるものなのですが、そのオチが適切にはまるため、読者を納得させるためには、「『女性ではない』という確証が実はそのときまでどこにもなかった」という前提が必要なはずです。挿絵の中で迷路さんに女物のシャツを着せるのは、ちょっと勇み足ではないでしょうか。


そりゃあもちろん「女物のシャツを着ているのが女性であるとは限らない」という意見は理解できます。ですが、それならなぜ表紙の絵は、こだわったようにぎりぎりで男性と言い訳がつくような格好、及び体型で描かれているのでしょうか。「長い髪をポニーテールで括ったクール系の眼鏡美人」とぱっと見では捉えられる表紙絵ですが、この「彼女」には胸がまるでありません。私も最初に見たときは「胸のないキャラだな」と思ったほどです。服装はどちらかと言えば男性的なものですが、その姿勢、容貌から女性だと判断する方が多いでしょう。
ここまでの描写なら、「実は男性でしたー」と言われても、「くっそー、そういえば確かに女性とは言い切れない描き方だ」というように読者を歯噛みさせることができますが、右前の服を着ていては、「これいつ女物着てるじゃん」と言いがかりをつける隙を与えてしまうことになるのです(ついでに言えば、表紙の「彼女」は腕時計を内向きにつけています。これも避けるべき描写でしょう12/12追記;コメント欄の指摘より、男性教師でも腕時計を内側につけることはあるそうです。miyaさん、ありがとうございます)。
男性が女物を着ていけない法はありません。ですが、女物を着せることで損なわれる必然性はあります。
本来的には本作のネタ、語り部の性別誤認トリック(というかオチ)は、挿絵が使われる「ラノベ」という分野だからこそ効果的にできたものなのでしょう(「ラノベ」の定義云々を言い出すとしちめんどくさくなるので、それはおいといて)。西尾先生は、そこらへんを充分に自覚していたに違いありません。おそらく作中には、語り部である病院坂迷路の容貌を形容する言葉は一度もでてきていないはずです。ですから、読者は「彼女」の容貌を挿絵からのみで想像することになります。いや、挿絵という極めて具体的なイメージを与えれた以上、「想像」などという自由度の高い物ではありえないでしょう。表紙や各カットの「彼女」の絵からほとんどぶれはしないと思われます。
また、この病院坂迷路は、同姓同名の実在した同じ血筋の女性の「バックアップ」(作中でそう自称しているが、具体的にどういうものであるか言及されているわけではない)であり、それを何度も繰り返すために、「彼女」自身は一度も性別を明らかにしていないにもかかわらず、本物の「病院坂迷路」と同じ女性であると読者は勘違いさせられるのです。


このように、周到に「ギリギリで言い訳の利く性別誤認」を図ってきたにもかかわらず、「実際に女物を着てしまっている『彼女』」の絵のために、折角の言い訳が説得力を薄れさせてしまうのです。私は8pの挿絵を見て即座に思いましたよ、「ああ、胸はないけど、この迷路さんは女性なんだな」って。
あるいは、もし「彼女」自身の口でもなんでも、「自分は痩せすぎ」云々の台詞・描写が出ていれば、まだこの絵でも言い訳の余地は残っていたでしょう。実際私の友人にも、古着の女物のシャツを着ていた細身のおしゃれさんはいましたから。高校の頃の話ですから、社会人にもなってそのような格好をするのはいかがなものかとは思いますけども、まあそれは「象牙の塔の人間だから」ということでエクスキューズとしましょうか。それでも、表紙の絵が男性風の服装である以上、他のカットでもそれらしい服装をさせた方がよかったのは間違いのないところです。


この作品はそもそも、ミステリのお約束として殺人事件が起こるわけですが、そのトリックの解決がメインであるわけではありません(そういえば、帯に「名門女子高を襲う七不思議殺人事件!」の惹句があるんですけど、本編で七不思議の話が出るのって結構終盤なんですよね。いいのかな、そんなの帯で明かしてちゃって追記;嘘でした。最初の「なまえ欄」で書かれてましたね)。この作品のほとんどは、病院坂迷路の性別誤認オチまでの壮大な前振りであり、同時に、もう一人の主役、むしろ真の主役である串中弔士の「人でなし」ぶりを活写するところが目的となります。だからこそ、挿絵なんかで、作者の意図していないところでその面白さを減じてしまうというのは、編集部の怠慢であるという謗りは免れなれないでしょう。本来なら、カットが上がってきた段階でストップがかかるはずです。「TAGRO先生、これじゃあ迷路さんが本当に女性になってしまいますよ」と。


時既に遅くはありますが、せめて二刷以降ではそこらへんを直してくれたらなあと願って止みません。


追記;コメント欄、トラックバック先でも、この問題についての論がなされてます(私の問いの立て方に対する反論という形で)。興味のある方は、そちらも読んでみてください。








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