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『ひばりの朝』ひばりを通して浮かび上がる人々の話 富子編

帯に「怪作」の惹句がある、ヤマシタトモコ先生『ひばりの朝』の完結巻。

ひばりの朝 2 (Feelコミックス)

ひばりの朝 2 (Feelコミックス)

なにをもって怪作と呼べばいいかはわかりませんが、読んでてひどくぞわぞわしたのは確かです。なぜか足の裏がじくじく疼きました。ほら、作中で相川君が予期していなかったひばりの一面を目の当たりにしたときに耳の裏が痛くなってたじゃないですか。あんな感じで、自分の心では受け止めきれない感情に身体のほうが反応してたみたいな。
本作の中心人物は当然ひばりなわけですが、中心である彼女は、物語を主体的に動かす存在ではなく、彼女を見る周りの人間がどう動くか、という意味での中心でした。渦の中心のように、彼女自身はほとんど動かず周囲の人間が彼女を見てやいのやいのと色々なことを考え、感じ、言い、動いていたのです。
彼女の従叔父にあたる完、完の彼女の富子、二人の学生時代からの友人である憲人。ひばりの両親。クラスメートの美知花、相川。教師の辻。彼ら彼女らは、彼ら彼女らの視点でもってひばりを見ていました。この作品は、彼ら彼女らがひばりに対して向けていた視をあぶり出し、それを通じて彼ら彼女らがどのような人物なのかを抉り出す物語だといえると思います。今回は、その中でも特に富子にスポットを当てて、彼女がどのような人物だったかを考えてみましょう。


富子。彼女は完と大学時代から7年も付き合っているのですが、それ以前からずっと抱えていたコンプレックスがありました。それは、自分の体に価値がないんじゃないかという悩み。周囲からは「さばさばしてる」「姐さん」「性的なにおいがしない いい意味で」と言われ、表面上では受け流しつつも、心の裡では失望にあふれていました。

あんたがたおんなのこ・・・・・にはわからないわよ
かわいいものがよくお似合いで 小さくて丸っこい 黙っていたって男に愛される
あたしとは違う
あたしとは違ういきもの
(1巻 p72)

自分は「かわいいものがよくお似合いで黙っていたって男に愛される」ような「おんなのこ」ではないという思いは、ずっと富子の心を蝕んでいました。だからこそ、「かわいいものがよくお似合いで黙っていたって男に愛される」ようなひばりを見て、彼女が完の、自分に初めて「女の値段(=「かわいい」)をつけてくれた完の隣にいることに嫉妬したのでした。富子の隠された(あるいは他の人間の目には入っていなかった)「おんなのこ」への嫉妬は、ひばりを通して浮かび上がります。
また富子のコンプレックスは、無神経な完だけでなく、憲人からも刺激されます。ひばりが父親から性的虐待を受けていることに半ば確信を得たtalk.8で、憲人は富子にこうのたまいます。
「おまえ同じ女だろ!?」
それに対して富子はひどくショックを受けます。
「「おなじ女」? だれとだれが?」
ここで言われた「女」は、憲人と富子にとっておそらく異なる意味を持っていました。憲人の言った「女」は、生物的な意味合いが強いものでしたが、富子にとっては生物的な意味はもちろんのこと、「かわいいものがよくお似合いで黙っていたって男に愛される」、すなわち庇護される・欲望される対象としての存在であるという意味も含意していたのでしょう。いわばsexとしての女とgenderとしての女です。
今まで完にしか「女の値段」をつけられてこなかった富子は、自分を「女」としての価値がひどく低い存在と考えており、それが彼女の心に深い影を落としていました。それゆえ(富子の目からは)「女」としての価値があふれんばかりのひばりと同一視されたことに、ひどくショックを受けたのです。
あんた(=憲人)はあたしのことを何も知らないで、あたしとひばりが同じだというのか。あたしが今までどれだけ「おんなのこ」を羨ましく思い、どれだけ憎んできたと思っているのか。あたしがあの子みたいな「おんなのこ」じゃなかったおかげで、どれだけ心無い言葉を投げつけられたと思ってるの。
コーヒーカップを割った時の富子の心中は、このようなものだったのではないでしょうか。その直前の憲人の、数度しか会ったことのないひばりに対して異常なまでに親身になろうとしてる姿も、富子にとっては気に食わないものだったはずです。憲人が顔見知り以下の存在でしかないはずのひばりを「何とか」してやろうとしたことは、ひばりが庇護される対象=「おんなのこ」であることをこの上なく見せつけるものだからです。
あるいは、もしかしたら憲人の言った「女」も、富子と同じ意味合いのものだったのかもしれません。つまり彼にとっては、ひばりも富子も「かわいいものがよくお似合いで黙っていたって男に愛される」存在であったということです。
憲人が富子に好意をずっと持っていたことは作中で明示されていますし、最終的に二人は付き合っています。そう考えれば「おなじ女だろ!?」「「おなじ女」? だれとだれが?」のやりとりは、憲人の富子に対する恋愛感情がすれちがったものだと言えるかもしれません。


続くtalk.9を読んだときに、初めは意味がわからなかったのが、割れたコーヒーカップが逆再生されるように戻りかける心象風景です。これは何を意味しているのだろうかと。
けれど、何度も読み返し、「女の値段」が低いことへのコンプレックスをもっていた富子が、何の気なしに憲人が漏らした言葉「…やっぱおれ富子とつき合えばよかったよな」で、憲人も自分に「女の値段」をつけてくれる人間なのかと意識したシーンだと気付いて、膝を打ちました。これは、覆水を盆に返そうとしている彼女の心なのだと。「覆水盆に返らず」は英語で言えば"It's no use crying over spilt milk(こぼしたミルクを嘆いても無駄)"ですが、富子はこぼしたコーヒーを元に戻したがっているのではないかと。
初めて「女の値段」をつけてくれた完に「ころんと落ちてしまった」富子ですが、あの時もっと周りを見ていれば、ほかにも「値段」をつけてくれる人がいたのではないか。その人はひょっとしたら、無神経な完よりもあたしを幸せにしてくれていたのではないだろうか。そんなことを思って「…コーヒー 頼みなおそうかな」と呟いたのかなと考えました。
追記(7/13):「頼みなおそうかな」の後に、結局「……コーヒー …やっぱいいわ」と言ったのは、こぼしたコーヒー(=憲人)ではなく今も残っているコーヒー(=完)の方に「蝕まれて」いる自分を「補い」に行ったということなのでしょう。
このシーンについてはtwitter上でのやりとりで、富子は憲人の発言「なんで完とつきあったの」から彼へのときめきを思い出し、幻想のコーヒーがそのときめきの復活を表している、という意見をうかがいました。その解釈も十分できるなと思いましたが、上述の「……コーヒー …やっぱいいわ」を考えると、その両方がダブルミーニングとしてあるのではないかと思ったりなんだり。(追記ここまで) 


tlalk.10で、ひばりに噂を聞いたことを伝えた富子。彼女はなぜそれを伝えたのでしょうか。そして、それを聞かされたひばりの表情を見て、なぜショックを受けたのでしょうか。
前者はきっとささやかな復讐。富子は完の無神経さにキレてから彼とは距離をとっていたものの、憲人から「女の値段」をつけられて女としての気分が持ち直し、仲直りでもしようかなと家に行ったところで予想外に出くわしたひばりに、「あなたの知られたくない秘密を私は知っているのよ」とにおわせることで胸をすっとさせたかった。
後者はきっとやりすぎてしまった罪悪感。深く考えずに言った言葉は相手の痛すぎるところを突いてしまい、そこからこぼれたひばりの表情は自分の望んでいた程度をはるかに超えてしまっていた。
顔にひびが入ったかのようなひばりの表情に富子はただならぬものを悟りましたが、それに一切気づかずたわけたことをぬかす完には絶縁とあいなりました。


そしてそれから数年後。final talkで富子はひばりと再会しました。この話はひばりの視点で描かれているため、富子の内心は描写されません。あくまでひばりから見た富子です。その富子は、明るく、余裕があり、爽やかささえ漂わせているように見えました。
富子にとってひばりは愛憎合い半ば、というとちょっと違いますが(すくなくとも愛はない)、いくぶん屈折した感情を抱いた相手だったはずです。誰の横にでも座れるだろうに、自分には一つしかない男(=完)の隣に勝手に座った「おんなのこ」。セーテキイタズラをされているという噂を聞いて、半分冗談の意趣返しで口にしたらそれが決定的なものであったために大きく傷つけてしまった相手。富子にとってひばりはその両者だったはずなのです。
でも、数年後の富子は明るくひばりに接していた。「おんなのこ」相手に余裕があった。それはきっと、富子に憲人という恋人ができたから。「女の値段」をつけてくれたのが完一人ではない、自分にはちゃんと「値」がつく。その事実は富子に「女」としての自信を与えたことでしょう。
また、富子のひばりに対する印象は、セーテキギャクタイを受けていることを確信したところで止まっていました。つまり、「不幸なひばり」というのが彼女の印象のラストアップデートだったわけです。「『おんなのこ』でありながらセーテキギャクタイを受けて不幸なひばり」に、「女の値段」がついた自分は大人として声をかけてあげる。このような底意地の悪さが、ヤマシタトモコ先生本人が言うところの「よし、これは気持ち悪いぞ。じつに気持ち悪い」 なのかもしれません。違うかもしれません。


ひばりを通して浮かび上がる富子。それは、「おんなのこ」に対するコンプレックスを持ち、そのコンプレックスはなまじ一人の男性に愛されたために妙に拗れ、そして複数の男性に愛されることでそのコンプレックスを解消できた女性であった、とひとまず言えるでしょう。この拗れ方の描き方が実に唸らせるものであるなあと、何度も読んで思った次第です。


今回は富子編ということでしたが、次回以降他のキャラクターに焦点を当てたものを書くと思います。書くんじゃないかな。まちょいと覚悟はしておけ。



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