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漫画の話です。

好きなものを描け! そして食え! 芸術はパクパクだ!『馬刺しが食べたい』の話

 テーマが「自分の好きなもの」だっただから他意なくそれを描いた。それだけのはずだった。なのになぜこんなことに。
 梅野かえでが描いた馬刺しの絵は、見事最優秀賞に輝いた。その絵が校内に飾られたことで、彼女の馬刺し好きは学校中に広まってしまった。華の女子高生には少々ダメージが大きい事件だが、それ以上に彼女を驚かせる事件があった。その恵体と、目つきと愛想の悪さで校内に悪評とどろく男・竹内聡巳に呼び出された彼女は、思いもよらないお願いをされる。どうか俺のために料理の絵を描いてほしい、と……

 ということで、桜井さよる先生の『馬刺しが食べたい』のレビュー。たまさか描いた馬刺しがバズった女子高生と、その見た目から恐れられながらも実は家族思いで超絶偏食家の男子高生が織りなす、「好き」が生み出す魅力と自己肯定の物語です。
 あなたが好きなものを描け、と言われたときになにを描くか。
 推しのアイドルを描く人もいるでしょう。愛用する物品を描く人もいるのも自然です。好きな食べ物を描く人がいたっておかしくない。
 でも、いくらそれが自分の好きなものだからって、馬刺しを描く女子高生はきっとあんまりいない。別に華の女子高生が馬刺しを好きだってなにもおかしくないですが、作中でも「うちのお父さんも華の女子高生と同じ好物で嬉しいって言ってたよ」とあるように、世間的にはアダルティな方々が好む食べ物。「自分の好きなもの」をテーマに描いたときにそれを選べば、華も恥じらう華の女子高生とて「全学年に馬刺しの人だと認知される」事態になってしまうのもむべなるかな。
 そう、梅野かえではいまや「馬刺しの人」になりました。

 でも、それが最優秀賞に選ばれる絵になるくらいの「好き」が生み出すものは、そんな周囲の評判だけではありません。一人の男に食欲を湧き起こすこともできるのです。
 子供の頃に母親の絶望的な手料理を食べさせられたことから超絶偏食家になってしまった同級生の竹内聡巳。弁当の中身が白米とたくあんだけというくらいに偏食家の彼は、他の食べ物を口にすると即座にもどしてしまうレベルなのですが、校内に飾られた彼女の馬刺しの絵を見て「初めてお腹が鳴」り、「初めて食べ物を食べたいと思」い、お米とたくあん以外のものを「初めて食べることができた」のです。
 だから竹内は梅野に頼み込みました。「偏食を克服したい 助けてくれないか」と。
 自分の馬刺しの絵にそんな力はない、と梅野は固辞しようとしますが、竹内は「あの馬刺しは梅野さんの力強い色使い 食欲ををそそるアングルのセンス! 梅野さんにしか描けない絵の魅力があるんだ!と熱弁します。「梅野さんの絵は唯一無二の力があると思うんだ 本当に素敵だ」と。

 こうして、プロポーズにすら似た熱烈なラブコールに折れた梅野は、竹内のためにまずはハンバーグの絵を描くことに……と物語は進んでいくのですが、この作品にずっと伏流しているのは、「好きなものだから生まれる魅力がある」ということです。
 象徴的なのはもちろん梅野の描いた馬刺しの絵。絵が好きで、馬刺しも好きな彼女が描いた馬刺しの絵は、公募展で生まれて初めての最優秀賞をもたらしましたし、それだけでなく、一人の男の偏食すら治すという力までありました。全校生徒が即座に精肉店に駆け込んだわけではないので、見た人にその絵がどういう形で届くかは千差万別ですが、偏食に悩む竹内の腹を鳴らすくらいには、彼に刺さったのです。
 偏食家でありながら料理が好きな竹内が作ったカツ丼は、味見をしてないにもかかわらず、彼の家族のみならず梅野にも刺さりました。「なんか新鮮で不思議な感じ 竹内くんがごはん食べられて笑顔になる気持ち分かるかも」と、今まで食べたカツ丼とは違うと評しています。
 そして、梅野が第5話で描きあげた絵が竹内に何をもたらしたかは、ぜひ本編を見て確認してほしいです。
 ただやっているのではなく、好きなこと(もの)を好きだからするというその気持ち。それが生み出す力を肯定的に描いています。

 また、この作品では、好きなもの(こと)を自分で好きになりきれないというコンプレックスが見え隠れします。
 梅野は絵を描くことが好きだけど、自分よりずっと絵が上手い姉がいるおかげで、それを堂々と表明することに後ろめたさを感じていました。
 竹内は料理が好きだけど、偏食家の自分ではそれを味見できないことが「夢さえも潰れる」ほどの悩みでした。
 で、その悩みの解決方法、というか、そもそも自分がそれを好きであるという根源に、「周りが自分がそれ(絵を描く、料理を作る)をすることに喜んでくれる」という外発的な理由を肯定的に描いているのが印象的です。
 自分の好きなことを語るときはしばしば、他の誰が言おうと自分が楽しいから、という内発的な理由こそがよしとされます。そうじゃないと続かないぞ、みたいな。
 それもわかりますし、この作品でもその点を否定していませんが、

「次回作楽しみにしてる」
そんなこと言われたら
次はイカの塩辛とか描きたくなっちゃうな
(53p)

姉ちゃんみたいに親に褒められたいからやり続けてた
いや違うな
姉ちゃんと少しでも仲良くなりたかったから
初めはその一心だった
(126p)

はあ? そんなの楽しいからにきまってるじゃん
私の絵を見た人の反応を見るのが好きなだけ
(128p)

 と、他人の目や言葉を意識した動機付けを屈託なく描いています。
 でも、実際そうですよね。やってて自分で楽しくないことは続かないけど、自分が楽しいだけで続けられるほど強い人間はそういません。他人から褒められて、評価されて、次も期待してるよなんて言われて、そういう自分をアゲてくれるニトロが適宜供給されることで、なにか発表するような行為は続けられるのです。そこらへん、正直でいいな、と。

 まさに、作者が絵を描くのが好きだし、食べること好きだし、人から評価されるのも好き!と己の好きを詰め込んだような作品と言えるでしょう。顔のふくよかさが様々な面で描写される割に作中では一切触れられず、エピローグの卒業数年後ではしれっとスッキリしてるあたり、そこらへんにも作者の隙があるのでしょうか。とりあえず、馬刺しは食べたくなりました。
 1巻完結のおすすめ漫画です。
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