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漫画の話です。

『ブルーピリオド』熟練度の向上とクリアになる世界の解像度の話

コミックDAYSに登録して以来、電書のアフタで最新刊分くらいから追い始めた『ブルーピリオド』、思い立って無料の1話を読んだら、その日のうちに本屋へ走ってました。

チョイ悪で社交的で勉強もできて、要領よく日々をこなしているけど、でもいつも心のどこかが醒めている自分に飽いていた主人公の男子高校生・矢口八虎。そんな彼が、たまたまとった美術の授業をきっかけに、絵で自分の気持ちを他人に伝えられたことで芯から心震え、「もっと絵を描きたい」と美大への進学を決心するのがこの物語のスタートです。

今まで美術にまったく興味がなかった八虎。選択授業で美術をとったのも、作品を出しさえすればそれなりの点がもらえるからという後ろ向きな理由ですから、絵をもっと描きたい、美大に行きたいと決心したはいいものの、美術のイロハも知りません。ですが、もともと勉強ができただけあって頭の良さには定評のあった八虎、美術教師の佐伯に基礎から教えてもらい、情熱に任せてガンガン描きまくることで、見る見るうちに上達していきます。

その過程で興味深かったのが、八虎の絵(美術)に対する認識の変化です。物語の当初、すなわち美術について何の興味もなかった頃の八虎は、

俺はピカソの絵の良さがわかんないから
それが一番スゴイとされる美術のことは理解できない
よくわかんない
俺でも描けそうじゃない?
(1巻 p1)

と実に不遜な発言をしています。
「俺でも描けそう」
絵に限らず、門外漢であればあるほど簡単に口にできてしまうセリフですが、それはやはり門外漢だからこそ言えてしまうもの。一歩でもその道に踏み込めば、過去の自分の言葉を思い出し枕に顔をうずめてじたばたすること請け合いです。
作中でも、初めて「これを表現したい」と心の底から思った八虎が、その表現したいものを絵にしようとしてもまるで思いどおりにならず、理想と現実の齟齬に歯噛みしています。

八虎は美術部に入部し、佐伯や他の美術部員らから、遠近感を出す技法や、物体の捉え方、影の付け方など、どうすれば絵がうまく見えるかの基礎的なところを教わります。それにより、彼自身の絵の技術も向上していくのですが、その過程で、天から与えられた才能でちょちょいと作られていたと思っていた絵には、きちんと理屈があり、理屈を現実の形にするための修練が必要であると知っていくのです。

また、理屈を知る以外に、作品を模写することで見えてくるものもあります。模写とは、ただ真似することではありません。徹底的に作品を見ることで、作者の意図を読み取ることです。
キャンバスに塗られた絵の具の一筆をとっても、どこからどこへ、どの角度で、どのくらいの力強さで筆を走らせたのか。作品の要素を抽象化し、なぜこのような構図をとったのか。なぜこのような構図をとらなかったのか。
作者が作品に込めた意味と、作品を作る際の意図は別物です。意味は究極的には作者の心の中に、あるいは鑑賞者各々の中にしかありませんが、なんらかの意味を込めるべく作者が作品に対しふるった意図は、理論として、あるいは技術として抽象化・普遍化できるものがあります。それを模写により読み取ることで、自らの一部にすることができるのです。

こうして八虎は、絵を学べば学ぶほど、今まで見てはいたけれど観てはいなかったものに気づくようになっていくのです。


絵などの芸術作品に限らない話ですが、このように、今まではできあがったものしか目にしていなかった身の周りのものでも、それにまつわる情報を知ることで、より広がりのある存在として見えてきます。具体的には、それを作るためにかけた時間、必要な道具、それを成り立たせている理屈、作るにあたりその理屈を選んだ理由、あるいは他の理屈を選ばなかった理由などを知ることで、完成品の背後には無限と言えるほどに広い世界が広がっていくことに気づくのです。
私たちが普段接している世界も、見えている表層を一枚剝げば、膨大な時間と人の知恵が集積されているのです。

私がやっているジャズでも、ただ聞いているだけではただ「すげー」という感想しか出てきませんが、いざ自分でもやってみようと思うと、このプレイヤーが吹いているこのフレーズはどういうスケールで構成されているのか、そのスケールがどういうコードに乗っかっているから気持ちよく聴こえるのか、それをできるようにするためにはどんな練習をすればいいのか、このプレイヤーは誰に影響を受け、また誰に影響を与えているのかなど、無数の学ぶべきことが見えてきて、そして同時に、今まで自分がただ聞いていた完成品としての音楽が、どれだけの修練と理屈の上に成り立っているのかがわかってくるのです。
こうして人は、世界に対する解像度を深めていきます。ビットが増えれば増えるほど映像がきれいになっていくように、ある分野に対する情報が増えれば増えるほど、その分野をはっきりと理解できるようになります。

これを別の見方をすると、その分野を知れば知るほど、その分野について知らないことが増えていくとも言えます。それについて何も知らなかったときは、ただ漠然とした一つの「なんかよくわからないもの」ですが、知れば知るほど、「これは知ってるけどあれは知らない」、「あれとこれをつなぐのはこの理屈だけど、それとこれをつなぐものがわからない」のように、知らないことわからないことが具体的になっていきます。具体的になった問題点はより解きやすくなり、それが解けることでまた新たな疑問点がもこもこと湧いてきます。こうして、知れば知るほど知らないことが増えていくのです。


芸術はしばしば創作者の心の自由な発露であり、なんでもありであるように言われます。それは間違いではありませんが、しかし、自由だから好きなようにやれと言われて好きなようにできるほど、人間は強くないのです。自由に自分の心を表現するのに、それを表現するための方法を学ぶに如くはありません。

絵って思ってたよりずっと自由だ
けど技術があればもっと自由に飛べそうだな
(2巻 p133)

一般ピープルから見れば、芸術で飯を食ってるような人はさぞ才能がおありなんでしょうと思うものです。でも、その世界に入れば、才能なんてものにあぐらをかいている人間が安穏とできる世界でないことはすぐにわかります。才能がないと嘆く暇があったら、涙をふく前に少しでも手を動かし、愚痴をこぼす前に一つでも学んでいかなければいけない。そんな世界だということが、美大という狭き門に挑戦する人間の姿をとおして描かれています。

自分は感情と理屈を表現するのがうまい漫画が好きなんだなと最近気づきました。
もちろん本作もその一つ。手元にあるのはまだ2巻までですが、きっと今年の内に全巻揃えていることでしょう。ふふふ。



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