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漫画の話です。

伝統を紡ぐ職人芸『王様の仕立て屋』の話

イタリアはナポリの泥棒市の隅っこで、小さなサルト(仕立て屋)を営んでいる日本人・織部悠。一見風采の上がらない彼だが、その実、「ミケランジェロ」とあだ名されたイタリア屈指の名職人、マリオ・サントリオが唯一認めた弟子だった。名だたるアルトが匙を投げた無茶な注文が舞い込んでは、お客のことを第一に考えたオンリーワンの仕立てで満足させる。ナポリの粋を伝える職人芸が今花開く……

ということで、大河原遁先生『王様の仕立て屋』のレビューです。
もともとスーパージャンプで連載されていた作品ですが、スーパージャンプビジネスジャンプの合併による新雑誌創刊のために32巻で一旦完結、2011年12月21日創刊予定の「グランドジャンプPREMIUM」で新たに連載再開の予定です。打ち切りの憂き目に遭わなくて本当によかった……
初連載が『かおす寒鰤屋』という骨董を扱った作品だった大河原先生(まあそれは打ち切りになってしまいましたが……)。職人の粋や、時代を超えて生き残る物などへの愛着は、その当時から見られるわけです。
服飾をテーマにした本作も、ただ漠然と服ではなく、フルオーダーによるクラシックスーツを主軸としています。流行の周期の早いモードや、大量生産による既製服ではなく、手縫いのフルオーダーによるクラシックスーツ。採寸し、生地を選び、仮縫いを繰り返し、注文主ただ一人のためのオンリーワンとなるような服を作るのです。しっかり採寸をして作られたスーツは、着る人に快適な着心地と素敵なシルエットを約束し、変化の少ないクラシックならば10年後、20年後にも変わらぬ付き合いができます。決して安い買い物ではないが、一生物。それがクラシックスーツです。
それを作るのが、主人公・織部悠。ナポリの裏路地でサルトを構える日本人という時点で胡散臭いことこの上ないのですが、いざ針と糸を持たせれば老練な職人も舌を巻く手さばき。とはいえ胡散臭いのは事実ですから、一見さんではちと信用しがたい。サルトの間では有名ではあるものの、一般には無名の存在。なもので、ほとんどの客は名だたるサルトを訪れるのですが、あまりにも急を要する注文や、普通の職人じゃお手上げの無茶な注文があると、悠のサルトへ回されてくるのです。相応の特急料金はいただくものの、その素晴らしい出来に客たちは深く満足します。
とまあこれが基本のお話の構造。作者の趣味であろう落語や古典に基づくベタな義理人情話で作られた客の無理難題を、悠がスーツで解決。その構造だけを大雑把に言ってしまえば、『美味しんぼ』スーツ編ですね。
主人公は悠ですが、靴職人見習いのマルコ、フランスモードブランドの御曹司・セルジュが居候で転がり込み、ナポリに進出してきた新興のカジュアルブランド「ジラソーレ」、フィレンツェの大ブランド「ペッツオーリ」などとも因縁が絡み、ナポリの貴族から注文を受ければそれが縁でイギリスに行くわ、日本に行くわ、フランスに行くわ、アメリカに行くわと、世界を股にかけています。スーツに対するそれぞれの国の考え方が見られて興味深いですね。スーツに限らず、その土地や注文を持ち込んだ客に絡んだ薀蓄もふんだんにあります。
さて、この作品で私がいいなと思うのが、伝統というものに対するスタンスです。以前の記事(「王様の仕立て屋」から考える「伝統」の話)でも触れましたが、本作では悠が学び、作るクラシックスーツの伝統を、動的なものとして捉えています。
スーツの起源は英国の軍服に端を発しますが、広まる過程でその土地に適した形へと姿が微妙に変わっていきました。寒いイギリスと温暖陽気なナポリでは、求められるスーツは違います。英国式のガチガチなスリーピースでは、イタリアを快適に過ごすにはちと暑苦しいのです。気候だけの話ではなくその国の国民性、どころか都市のレベルでも好まれるスーツは変わってきます。威厳あるスタイルを好むロンドン、華やかさを求めるパリ、肩肘張らないのが好きなナポリ、同じイタリアでもナポリよりは格式が欲しいフィレンツェ、とこんな具合。
だから、これが正統それは異端と言い張る意味がない。そして、その土地にあったスーツは、誰かが生み出したのではなく、いつの間にかそういう形になっていったものだし、今現在も変化し続けているもの。共時的にも通時的にも、伝統は常に動的変化の渦中にあります。「伝統」は確固として存在するものではなく、いつの時代にもその「伝統」的な作業をしている人間がいて、その結果「伝統」的な作品が生み出される。行動をする人間の中にこそ伝統は息づいているのだと。
オンリーワンの仕立服だけに、その客の体型、好み、シチュエーションで求められるスーツは違う。一着たりとも同じスーツはない。それはまさに、「伝統」を息づかせている人間と同じ。この作品は、伝統的な仕立服を描くことで、同時にそれに従事する人間をも描いているのです。
そのスタンスが私の性に合うから、スーツによる無理難題の解決がちょいと無理筋だなと思っても、それはそれとして面白く読めます。もうちょっと絵が巧かったらなあと思いながらも、興味深く読めるのです。
個人的には、最初期は少々癖が強いので、5巻のイギリス編あたりから読みやすくなるかなと。ナポリ仕立てやビジネススーツなど、テーマを絞って集められた選集を読むのもいいかと思います。創刊雑誌での新章はどうなるのか、楽しみでげすよ。


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