- 作者: 豊田徹也
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2005/11/22
- メディア: コミック
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まあそれどうでもいいのだけど、「アンダーカレント」。タイトルのつけ方が絶妙だ。
undercurrent
1 下層の水流。底流。
2 (表面の思想や感情と矛盾する)暗流
講談社 英和中辞典より
と、表紙をめくった最初の頁にわざわざ書いてある。底流。暗流。表からは見えない、隠れたもの。この作品の主要なキャラクターである三人にも、表からは見えない何かが心の底に流れている。それは意図的のものもあれば、無意識のものもある。
銭湯を営む主人公の女性・かなえは、夫に蒸発された。結婚して四年目のことだった。思い当たる節は何もない。円満な生活だったはずだ。親のいないもの同士、お互い気持ちがわかると言っていたのに。でも、夫は何も言わずいなくなった。
そんな彼女には、ある過去がある。彼女が今の彼女であることを決定付けたある過去が。でも彼女はそれを知らない。覚えていない。覚えていちゃいけないものと、心の奥の方で蓋をしてある。でも、暗渠の中でも水が流れているように、彼女が覚えていなくても、過去は彼女を強く縛っていた。そしてそれは、夢を経由して彼女の意識に上ろうとする。
夫が蒸発したかなえの元に、組合から派遣されてきた男・堀。自分のことを語ろうとしない彼は、偶々派遣されたようなことを言っていたが、その実、彼女の元で働くことを自ら望んでいた。
彼には過去がある。その過去は、彼のかつての生活を蝕んでいた。彼はそれを自覚している。が、それは最終話になるまで語られることはない。
蒸発した夫。彼は最終話で初めて姿を見せるまで、一度も自ら登場しはしない。常に語られるだけの存在だった。かなえに失踪した彼の捜索を頼まれた探偵は、彼女から話を聞いて「旦那のパーソナリティが見えてこない」と言った。読み手の前に姿を見せない彼は、妻にさえも隠しているものがあった。
「珈琲時間」について書いた前回の記事で、「ダメさが転がっている作品」と私は言った。それに倣って言えば本作は「危うさが伏流している作品」だ。夫に蒸発された辛さを押し殺して働くかなえの姿には、そこかしこで自問と後悔が溢れ、過去を語らず働く堀の姿には、かなえに対する何がしかの思いが覗く。表面上はなんとか平穏を装っている日々の生活が、いつ、どんなきっかけで壊れてしまうのか、それはとても危うい。家人自らが火をつけたと思しき火災跡を見た後に虚ろな顔で湖の水面を覗き込むかなえの姿は、触れたら崩れてしまいそうなほどに脆く見えるし、そのまま飛び込んでしまうのではないかと不安になるほどに虚無が満ち満ちている。
静けさの中に危うさを孕んだまま、物語は結末を迎える。そこには救いがあるのかもしれないし、ないのかもしれない。でも、きっとある。自分の危うさを自覚し、吐露した三人には、また新たな道が見えているはずだ。
「珈琲時間」は、ほとんどの話が独立しており、それぞれの登場人物の人生からワンシーンが、過剰に煮詰められることもなく、するりと切り取られていた。その印象は「アンダーカレント」にもある。登場人物がどれだけ怒鳴っても、騒いでも、うるさくない。静かに流れる冷水を思わせながら物語は語られ、川を泳ぐ魚の背のように危うさが光る。
先にも少し触れたかなえが見る夢は、このようなものだ。
……昔からよく見る夢があってね
その夢の中で私はいつも泣いているの それは小さい頃の姿だったり 大きくなってからの姿だったりするんだけど
そして誰かがやってきて なぐさめてくれるのね でもしれが誰かはわからないんだ
それから その誰かの手が私の首をゆっくりやさしくしめていくの
それで首をしめられたまま深い水の中に沈められるんだけど そうされて私は 怖いのか安らいでいるのかよくわからないのね
ひとつだけわかってるのは それが私が一番望んでいることだってこと
それは夢の中の私の望みなのか現実の私の望みなのかはよくわからないけど
おかしな夢だよね……
(p186,7)
私たちも本作を読んでいて、自分の首にも誰かの手がかかっているかのように錯覚するかもしれない。その手の冷たさは、恐ろしいようで、優しいようで、心の奥底までそっと滑り込むかのようで、そこに何かが流れているのを示すかのようで。
表面の平穏と暗流する危うさを、奇跡のバランスで描き出した「アンダーカレント」。派手なメインストリームとは無関係なところにあるこの静かなせせらぎに、一度脚を浸してみるのもいいかもしれません。
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