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漫画の話です。

「サナギさん」と施川先生についてひとまずの総括をしてみたい

サナギさん 6 (少年チャンピオン・コミックス)

サナギさん 6 (少年チャンピオン・コミックス)

サナギさん」の最終巻が発売されたのに伴い、三回にわたって「サナギさん」についてあれこれと書いてきました。
「サナギさん」に見る、終わらない日常の中の「終わり」の視点 - ポンコツ山田.com
「サナギさん」に見る、タカシくんのツッコミの変遷 - ポンコツ山田.com
「サナギさん」で一番好きなキャラ、ハルナさんについて喋ろうか - ポンコツ山田.com
考えてみれば、今まで「サナギさん」について一度も言及したことがなかったので、その蓄積していたものが爆発したのでしょうか。
いろいろなサイト様でも言われていますが、「サナギさん」はどのように形容していいのか非常に難しい漫画です。面白いは非常に面白いんだけれど、どこがどう面白くていったいどんな漫画なのか、言葉を選んでいるうちに沈黙してしまい、結局口を閉ざすことを選択せざるをえなくなる、なんとも不可思議な作品でした。
前三回は、「サナギさん」の内の一側面をあえて強調して記事としましたが、今回は一つの総括として、がっぷり四つで考えてみたいと思います。




まず最初に、この作品全体の構造を考えてみます。
基本は主人公であるサナギさんと、その他の登場人物との掛け合いをネタとしています。4コマの中で起承転結がある程度完成しており、その点では一般的な4コマと変わるところはなく、不条理ものというわけではありません。ですが、他の作品と大きく一線を画すものは、「施川テイスト」と表現する以外にない、まだ日本語の語彙内には登録されていないような着眼点と、それの昇華のさせ方でしょう。
日常に転がっている些細なことに眼を向け、そこから無限の想像力、否、妄想力でもって話を膨らませていくのです。
あるいはこうも言えるかも知れません。些細な事柄から妄想を膨らませるのではなく、些細な事柄の意味を、既成概念を、一般常識を全て捨て去って、幼児のような無垢な視線で、物事の在り様を噛み砕いて認識を再構成しているのだと。
例えば五巻の「No.157 サナギさん、夕立にあう。」の回では、フユちゃんが「雨すら知らない凄く無知な人ごっこ」なる奇行を思いつきます。そこでフユちゃんがいう台詞は

上空から液体が大量に降ってくる!
なんの液体からわからないから
怖い
この量は
怖い
サナギさん 5巻 p35 「夕立.2」より)

です。
「雨」という何の変哲もない日常の出来事も、何も知らないまっさらな眼で見ると、ひどく不気味で得体の知れないものになる。普段慣れ親しんでいるものも、改めて考えてみると空恐ろしいものであるように思えてくる。
そのようなことを端的にこのネタは表しており、このフユちゃんの台詞を受けたサナギさんも、
そう考えると確かに怖い
と心の中で同意します。
このように、物事を正の方向へどんどん膨らませるだけでなく、いっぺんゼロまで負の方向へ戻してから改めて解釈しなおすという思考方法も、施川先生は使っているのです。


もちろんそのような方法だけでなく、最初に述べたように、一つの事柄をわけのわからない方向へずいずいと深く考えていって、ネタにすることも多いです。
それは、スポーツやパンや働く車などのように、具体的なものに向かうこともあるし、非実体的な言葉だけに向かうこともあります。それは、施川先生の思いつき次第なのでしょう。


また、特徴的なのは、極めて詩的な、リリカルな空想を膨らませるのと同時に、まったくどうでもいい、小学生が思いつくようなくだらないことも思いついているという、妄想のベクトルの二面性です。
6巻の「No.191 サナギさんとつらら。」では、こんなハルナさんの妄想があります。

庇に並んだ無数の氷柱を眺めていると
牙を剥き出しにした巨大な獣の上顎のようにも見えてくる
(中略)
「遠い昔に死んだ獣の屍」そう想像したら切なくなった
あと氷柱が落ちるのを見て
「虫歯予防キャンペーンに使えそうだな」とか思った

落ちる氷柱を抱いた庇を死んだ獣に例えると同時に、「虫歯の予防キャンペーン」という小学生の日常レベルのことを思いつく。この清水の舞台よろしくの落差に、私たちは深く感服するのです。


おそらく施川先生は、なんかしらないけど思いついてしまうのでしょう。考えなくてもいいことが、ふとしたときにぱっと浮かんできて、それで一人でくすくす笑ってしまうような、そんな妄想の暴走とずっと付き合ってきたのだと思います。
少年時代ならまだしも、年を経ておっさんになり始めれば、そんな妄想を人前で披露できる機会も減ってきます。というか、世間が許してくれなくなるでしょう。そこで鬱積するうだうだした感情を、漫画で昇華させているように私は思うのです。そして、そんなもう三十路のおっさんの妄想を、中学生という一番多感で、かつ各人で成熟度にブレがある登場人物たちに仮託して喋らせているのが「サナギさん」なのだと思います。身も蓋もない言い方をすれば、三十路ののおっさんの妄想をかわいい中学生に言わせるという、ある意味プレイですよね。

中学生の級友しか登場しない、極めて閉鎖的な世界で、「サナギさん」ワールドは展開していきます。施川先生のとめどない妄想を活かすために、「図」キャラや「芽生え」キャラ、「くだらねぇ」キャラ、「学ばない」キャラ、「踏む」キャラ(後に「残酷」キャラに芸風を広げる)、「絵本作家」キャラと、百花斉放の破天荒中学となりました。この閉鎖的な空間は、閉鎖的なだけにとても安定しているんです。だから、三十路の妄想を中学生が口走っても、そこに問題を見出す者もいない。各々のキャラが各々の特性を全開に出しても、それが許される空間なんです。
だから、ネタとして昇華された妄想を体現しているサナギさんたちは、とても楽しそう。主人公であるサナギさんは、あけすけにゲラゲラ笑い、人目も憚らずシクシク泣き、我を忘れてドキドキ驚き、全力で世界を楽しんでいます。このサナギさんの姿は、妄想を昇華することのできた施川先生のアバターであると考えてもいいとさえ思うのです。


施川先生の妄想の箱庭ともいえる、「サナギさん」ワールド。
またいつの日か私たちの前にひょっこりすがたを現してくれないかなと、願って止みません。






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サナギさんありがとう企画〜バスよりもメロスよりも早いよ〜
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