YouTubeで最近のアニメを視ていたら、作品内で「白雪姫」をやっていた。しかし、その中の台詞にないんか違和感を覚える。それがなんだと思ったらあれだ、「七人の小人」を「七人の妖精」と言い換えていたのだ。
まさかまさか、「小人」は倫理規定に引っかかる、身体にしょうがい(最近は平仮名で書くことをよく見るが、おそらくそれ自体もそうなのだろう)をもつ人への差別につながる、とか言い出すんじゃなかろうか。
おいおい待ってくれよ。小人は小人だろ。そこにいったいどんな差別要素があるってんだ。
童話に即して言えば、小人は人間以外の存在として描かれていて、それは単にお姫様、王様、お妃様、城の猟師、森の動物、魔女、小人、と、他の登場人物とまったく同列に扱われうる存在じゃないか。確かに民俗学的な系譜を辿れば、小人だって妖精の一つに違いない。西洋で「ドワーフ」や「ホビット」、「ノーム」、「ゴブリン」などと称される存在だ。しかし、それらを端的に日本語で表せば「小人」に他ならない。「妖精」と表現した場合、日本ではたいがい「中性的な顔立ち、蝶のような羽、飛んでる」などの連想を伴う(多くの場合、幼少期に読んだ童話などの挿絵のためであると思うが)。森の中に家を作り、主に狩りや植物の収穫で生活をしているであろう白雪姫の小人とは似ても似つかない。そこをいっしょくたにしてしまうのは、イメージの貧困化じゃないだろうか。
童話の言語規制と言えば「ちびくろサンボ」が有名だけど、あれだって黒人差別だとか何とか。
どこがだ。いい話じゃないか、「ちびくろサンボ」。少年の勇気と知略のお話だぞ。
いったい何のゆえに規制されたのか。黒人が主人公であることか。それとも「ちびくろ」がいけなかったのか。あるいは挿絵がニグロイドの特徴を誇張しすぎていたことか。
いったいどの方面から規制の要請がかかったのか。黒人の皆様か。世界の人権団体か。日本の自称博愛主義者たちか。
それが当の黒人たちから出たものでなければ俺は納得しないぞ。後者二つから規制の要請が出たのであれば、それは断じて差別をなくすためではない。差別をないものとして決め込むためだ。
「気を遣うことが一番の差別なんだ」とは誰が言った言葉か知らないが、物事の正しい側面を言い当てていると思う。
「小人」を「妖精」に言い換えたところで、「ちびくろサンボ」の出版を停止したところで、それで差別がどうにかなるわけではない。しかし、そうしようとする動きがあり、事実そうされている。ということは、そうすることで何がしかの差別がなくなると信じているひとがいるのだろうか。いったいどういう理屈でそれで差別がなくなるのか、ぜひとも教えてもらいたい。
俺に言わせれば、彼らはそれで差別をなくそうとしているのではない。差別を見えないように隠しているだけだ。漫画的描写をすれば、散らかっている部屋のゴミを、とりあえず押し入れの中にぶち込んでいるのび太君的発想。静ちゃんが帰りさえすれば、押入れからゴミが雪崩れてきて酷いことになってももまあいいや的な。
結局のところ、その言葉を使って気分を害した人がいるのかという話なんですよ。
ある番組内でSMAPの五人が話している時に、中居君が「シンゴは中卒だから」と言った。その場で言われた当のシンゴ君が怒ったりなどは全くない。グループ内での親しさゆえの軽い表現であり、中卒は中卒、「学歴が中学校卒であるもの」という意味でしかない。しかし、CM明けに中居君が「先ほど不適切な発言があったことをお詫びします」というコメントをした。
おい。いったいだれがいつその言葉を不快に感じたんだ。誰に対して中居君は謝ったんだ。
まったく世のメディアは不可解なもの。
いや、むしろ不快なもの。
まったくかなしいもの。
一言コメントがある方も、こちらからお気軽にどうぞ。