ポンコツ山田.com

漫画の話です。

『逃げ上手の若君』アニメでわかる、漫画にこめられた濃密な情報量の話

 『逃げ上手の若君』のアニメが始まり、連載デビュー作から3作全てがアニメ化という偉業をあっさり成し遂げている松井優征先生、やっばいすね。

 そのアニメを視聴したのですが、1話を見た感想は「丁寧に作っているな」というもの。なんというか、動きやセリフに余白というか間(ま)を感じました。で、その後に原作1話を読んでびっくりしたのは、情報量が濃密だということ。コマの中の絵の密度だったり、セリフ量だったり、展開の速さだったりと、1話50p強を読んでこんなに疲れるものかと思いました。そんな情報量の話をアニメ1話分でやったのだから、余白や間を感じるというものです。

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『だんドーン』「呪術師」吉田松陰と受け継がれる呪いの話

 先週発売された2024年32号のモーニングに掲載された、泰三子先生の『だんドーン』の番外編、「番外長州編 松の下の若人たち」。長州にて松下村塾を開き、志士たちの師として明治維新に大きな影響を与えた吉田松陰と、その弟子の桂小五郎を主人公に描いた話です。

 歴史で幕末を習えば確実に名前が出てくる吉田松陰。上記の通り、松下村塾を開いて志士の精神的指導者となったことや、安政の大獄によって刑死したことくらいまでは学校の授業で習いますが、それ以上を知るにはもっと突っ込んだ本を読んだりせねばならず、恥ずかしながら私は今回の話を読んで、吉田松陰がこんなアナーキーなマネをしていたことを初めて知りました。
 友人との待ち合わせに遅れるからと脱藩したり、ロシアの船に密航しようとしたり(ロシア船の予定が狂って早くに出港してしまったため乗船できず)、アメリカの船に密航しようとしたり(乗船までしてアメリカに連れて行ってくれるよう船員に直談判するも断られ下ろされる)、言わなくていい間部詮勝の暗殺計画をゲロって死刑になったり。えぇ…何この人……。
 教科書的な記述しか知らない歴史上の人物が物語になると、その人がかかわった出来事はどのような理念に基づいてなされたのかや、どのような人とつながりがあったのかなどが知れ、言葉だけの人物ではなく、歴史の中に確かに存在した血肉を持つ人間として見えてきて、フィクションという前提は意識する必要はありますが、面白いですよね。ホットなところで言うと、アニメ化した『逃げ上手の若君』の北条時行なんかもそうですが。

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『富めるひと』『遠い日の陽』ひとの抱えるやましさとそれを薄れさせる別の価値の話

 以前も別の読み切りについて感想を書いた横谷加奈子先生の新作読み切り『富めるひと』。
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 9歳のときに余命一週間と突如宣告された自分のため、3億円かかる手術の費用をどうにかして賄おうと貧しい両親が宝くじを買ったらまさかの10億円当籤。無事手術は成功し、両親は余ったお金で投資をして財を成したため、一転勝ち組人生になった主人公・関口真広は、何不自由のない生活を送りながらも虚しさを抱えながら生きていたが、あるとき、引きこもりにならないためにとしていたバイト先で、苦労人の大学生・森谷と出会う…
 というところから始まる物語。
 冒頭3pのキッチュで雑なスピード感のつかみが強くていいのですが、その急展開の後にじりじりじわじわと進んでいく関口の心の動きがいい意味で息苦しく、思わず喘ぎながら読み進めてしまいます。

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『好きな子がめがねを忘れた』二人が贈り合った「祝福」の意味とそれが込められた大切なものの話

 ついに最終巻が発売された『好きな子がめがねを忘れた』。

 最後まで口から砂糖を詰め込まれるような甘さに、用法用量を守りつつ少しずつ摂取しましたが、大団円に山田さんもニッコリ。特典小冊子の書き下ろしで更にニッコリです。

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愛を何度も書き直せ! 心情を読解した先にあるもの『超客観的基礎ラブロマンス概論』の話

 ラブレターの書き方教えて。
 高校で現代文を教える教師・通称タナセンのもとに、教え子の女子高生・海堀がやってきて、そう頼み込んだ。突飛な頼みごとに面食らい、面倒ごとはゴメンと即座に断るタナセンだが、若さゆえの粘り腰ですがる彼女に根負けして添削してやることを了承した。
 かつて、ある生徒の内面に踏み込みすぎたあまり、その子を深く傷つけてしまった過去を持つタナセンは、以降生徒への深入りを避け、今回の海堀についてもテキトーにあしらうつもりだった。でも、あまりにもド下手くそな彼女のラブレターはタナセンの国語科教師心に火を着け、何度も書き直しながら惑う彼女の姿はタナセンの教師としての心に火を着けた……
tonarinoyj.jp
 ということで、ココカコ先生原作、犬童燦先生作画の読み切り『超客観的基礎ラブロマンス概論』の感想です。
 自分の中の恋心をどう扱えばいいのかわからない女の子と、かつてのトラウマで教師という職業に希望を見出すことをやめた男。そんな二人のラブレター書き方指南の物語なのですが、コミカルにわちゃわちゃしながら、でもあるポイントを境に一転、自分の心情を読み解いていった先に何があるのか真正面から真直ぐに描かれているのが、とても印象に残る作品です。爽やかさとコミカルさに包まれて終わる読後感。

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元神様で今は弁当売り 『邪神の弁当屋さん』の話

 彼女の名はレイニー。元神の現弁当屋さん。30年前に彼女が原因で戦争が起きたことの罰にと、彼女は人間になってお弁当を売ることにしたのだ。今日も彼女はお弁当を作り、売る。愚かな人の営みを面白いと思いながら…
https://yanmaga.jp/comics/%E9%82%AA%E7%A5%9E%E3%81%AE%E5%BC%81%E5%BD%93%E5%B1%8B%E3%81%95%E3%82%93?reading=06Z1100000000293FREEyanmaga.jp
 ということで、ヤンマガwebの1話目連載コンペの一作品、イシコ先生の『邪神の弁当屋さん』の感想です。
 元Twitterのおすすめで流れてきて試しに読んでみたら、とても私好みの作品でした。意外に元Twitterのおすすめは侮れない。

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『その着せ替え人形は恋をする』(哀れにも)本当の意味でハニエルとなった海夢の話

 まだしつこく『着せ恋』の話。五条君の後悔については前回こってり与太話をしましたが、今回はそのときの海夢サイドの話。あのときの海夢て、美しくも悲しい存在だったんじゃねという話。

 海夢を依り代に顕れた「ハニエル」を見て五条は後悔と絶望に打ちひしがれた、と前回書きましたが、五条の心がダークサイドに堕ちようとしているまさにその時、海夢は五条の言葉を支えにハニエルとなっていました。

(13巻 p103~105)
 この流れからシームレスに、後悔と絶望が湧き上がる五条の視点へと変わります。
 ここで、海夢の信頼と五条の後悔がパラレルになっているのがとても面白いんですよね。なぜって、これがパラレルで描かれていることで、ある構図がやはりパラレルに浮かび上がってくるからです。
 その構図とは、「愛する悪魔に手が届かなかった哀れな天使」という、溝上が評したハニエル像。このハニエル像が、『天命』の中に描かれている(とされる)ハニエルと同時に、その衣装に身を包んだ海夢にもなぞらえることができるのです。

 『天命』と『その着せ替え人形は恋をする』、両方の13巻冒頭にあるモノローグは、

彼が連れてくるのは
【死】のみだ
愛を求めたところで
返ってくる訳がないだろう
(13巻 p1)

 というもので、これを溝上は「ハニエルを見る俺達有象無象と…ハニエルに対しても言っている」と解釈していました。
 天使であるハニエルは神に仕える者ですが、天界に侵入した悪魔を目にして以来、それに心を奪われ神への服従心を失い、天界を追放されました。人間界に堕ちたハニエルは、愛と美を司るという言葉どおり、会うものすべてを虜にしますが、それらの心など欠片も斟酌せず骸に変えていきます。

 人間はハニエルを愛しても、ハニエルから愛は返ってこない。
 これが『天命』で断片的に描かれるハニエルと人間の関係性であり、五条が海夢に指示したとおりのものです。「自分がハニエルに愛されていないと分かるほどに」「無感情に微笑んで」、「「それでも構わない」と虜にさせるように振る舞って下さい」というやつですね。

 そして同様に、ハニエルは悪魔を愛しても、悪魔から愛は返ってこない。
 これについて、溝上の言葉以上の説明は作中にありませんが、少なくともそういうことになっている。人間とハニエルの間にある非対称性が、ハニエルと悪魔の間にもあるというのです。

 そしてさらに同様に、海夢は五条を愛しても、五条から愛は返ってこない。
 少なくとも、海夢がハニエルになっているこの瞬間は。

 上で引用した画像のように、海夢は自分が愛するキャラクターの衣装に身を包んでいるその時に、それを作った人、すなわち五条の望むとおりに振舞えているかと不安になりますが、まさにその五条から掛けられた言葉を支えに己奮い立たせています。普段彼女がまき散らせている激熱ながらも浮ついた感情と違い、冷静ながらも深く深く思うその気持ちは、愛と呼んで差し支えないでしょう。
 でも、海夢が五条を愛を向けているその時に、五条から海夢へ愛は向けられていない。彼が抱いていたのは、「ハニエル」の実在を目の当たりにして実感した、本当に彼(女)から愛を向けられることはないのだという絶望でした(私の前回の記事を踏まえれば、ですが)。ここでの二人の間にも、残酷なほどの非対称性が立ちはだかっています。
 それゆえにこのとき海夢は、「愛する悪魔に手が届かなかった哀れな天使」であると同時に、「愛する五条に手が届かなかった哀れな海夢」だと言えるでしょう。

 だから溝上は、そんなハニエル=海夢を「可哀そうに」と言った。
 海夢が自身を「哀れな女」を思っていたかと言えばそんなことはないし、溝上が海夢と五条の関係を知る由もないのですが、「でもそう・・じゃなきゃこのハニエルは完成しなかったし ここまで人の心打たなかった」とまで口にした彼には、「そう」である何かを感じ取れていたのでしょう。
 『着せ恋』はキメ絵の説得力が強い作品ですが、このエピソードでのハニエルは出色の出来栄えです。読者も無意識にであれ、人間/ハニエルハニエル/悪魔=海夢/五条の関係性を読み取っていたからこそ、作中に描かれる海夢=ハニエルの無感情な微笑みに、作者の純粋な画力以上の凄みを感じ取っているのだと思うのです。
 そりゃあ何周もしちゃいますよね、このエピソード。たぶん13巻だけで6、7回は読み返してる。

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