ポンコツ山田.com

漫画の話です。

『葬送のフリーレン』旅でフリーレンが知るもの、気づくものの話

先日発売された1巻を読んで以来、評価うなぎのぼり中の『葬送のフリーレン』。

レビューは前回の記事で書きましたが(魔王を倒しても世界は続く 自分と仲間を知りなおす旅『葬送のフリーレン』の話 - ポンコツ山田.com)、そこで書ききれなかったことについて。

後日談の始まり

本物語は、主人公フリーレンの仲間であったヒンメルが寿命で亡くなったことから駆動しだします。彼の死に際して、「自分は彼のことを何も知らなかった」とフリーレンが涙を落としたことで、旅の目的である魔法収集に、人間を知ることも加わったのです。
「私はもっと人間を知ろうと思う。」
さて、そんな新たな目的ですが、具体的にはどういうことなのでしょう。生物的特徴を知るのか。平均寿命を知るのか。心的性向を知るのか。美しい面を知るのか。醜い面を知るのか。
いろいろ言えるでしょうが、私はそれは、人の思いはつながっていくことを知る、ということだと思います。ここでいう人とは、種族としての人間ではなく、コミュニケーションの取れる人型の存在、という意味ですが、本作では至るところにそう思わせる描写があるのです。

フリーレンとはどんな女か

そもそも主人公のフリーレンは、作中で非常な長命とされているエルフであり、比喩や言葉の綾でなく既に1000年以上生きていて、まだまだ生き続けることが示唆されていますが、その長命ゆえに、他の種族と時間感覚が大きく違います。10年にもわたる魔王討伐の旅も、彼女にしてみれば「短い間」。半世紀に一度の流星群での再会も、一週間後の約束とさして変わらない。人間スケールでの時間が及ぼす影響に思いが至らないのです。
10年が「短い間」の彼女にとってみれば、ほとんどすべての人との付き合いは、袖すりあう程度のものと言えるでしょう。普通の人間が、たまたますれ違った人や電車で隣り合った人に影響をまず受けないように、彼女にとって出会う人から受ける影響は意識するのが難しい、というより、彼女自身に限らず誰かが誰かに影響を与えるという事実を実感することが難しいのです。フリーレンの、自他の感情の機微への興味のなさは、そういうところから由来すると考えられます。だから、人が人に影響を与える、誰かの思いが別の誰かにつながっていく、ということは、彼女にとってピンとこないものでした。
でも、ヒンメルの死をきっかけに人を知ることを決意したフリーレン。世界中を旅する中で人と出会い、表面上は、20年経っても変わってないように見えますが、実は変わっていたのか、それともハイターの養女であるフェルンと出会ってから変わったのか、彼女の眼には、人の思いがつながっている景色が確かに映るようになりました。

つながる人の思い 仲間たちの間にあるもの

たとえばそのフェルンですが、彼女がハイターに育てられるきっかけとなったのは、「勇者ヒンメルならそうしたから」。もともとは、フリーレンからも「進んで人助けするような質じゃあるまいし」と言われるようなハイター。でも、そんな彼が、今まさに死のうとしているフェルンを見て、こう声を掛けました。

もうずいぶん前になりますか、古くからの友人を亡くしましてね。
私とは違ってひたすらにまっすぐで、困っている人を決して見捨てないような人でした。
(中略)
ある時、ふと気が付いてしまいまして。
私がこのまま死んだら、彼から学んだ勇気や意志や友情や、
大切な思い出までこの世から無くなってしまうのではないかと。
(1巻 p61~63)

フリーレンは「ヒンメルじゃあるまいし」とハイターに軽口をたたきましたが、まさに、彼を思ってハイターはフェルンを助けたのです。
そして助けられたフェルンもまた同じ。若くして一流の魔法使いとなった彼女も、身に着けた魔法について、口では「一人で生きていける力さえあればなんでもよかった」と言っていますが、そこには、自分を救ってくれたハイターが教えてくれた、という嬉しい体験が大きく影響しています。「魔法使いでも何でもいい。一人で生きていく術を身に着けることが」「最大の恩返し」なのだとしても、 それが魔法使いであった理由は、ハイターとの思い出なのです。
また、後の旅でアイゼンがフリーレンを彼女の師匠フランメが残したものへと導こうとしたのも、彼が生前のハイターとやり取りをし、フリーレンの手助けをしたいと相談していたからです。
さらに、フランメの残した遺跡で待っていたものは、1000年後のフリーレンが必要とするだろうとフランメが案じ、残していた研究です。
このように、彼女があらためて仲間とかかわる中で、人の思いが時間や場所を越えて通じているところを、彼女は目の当たりにしているのです。

つながる人の思い 土地に残されていたもの

また、直接仲間が見せたもの以外にも、彼女が旅の途中でたまたま立ち寄った場所で、めぐりめぐって仲間の思いに触れることもあります。
たとえば、かつて強敵クヴァールを封印した土地で。そろそろクヴァールの封印が解ける頃と立ち寄った彼女は、80年の封印の間に格段に向上した現代の魔法でもって、かつての強敵を難なく倒しましたが、そこで、生前のヒンメルが老体をおして毎年のように村へ立ち寄っていたことを知りました。そして「封印が解けるころにはやってくる」と、フリーレンを信じる言葉を残していたことも。村人がヒンメルを信じていたように、ヒンメルがフリーレンを信じていたことも。
たとえば、海からの日の出を見る新年祭を執り行う村で。ヒンメルらと旅をしていたときにも新年祭の時期に立ち寄った村ですが、惰眠を愛するフリーレンは当然のように夜明けに起きていられず、ご来光を見ることはしませんでした。自分が行っても楽しめないと言うフリーレンに、ヒンメルは「いいや楽しめるね」「君はそういう奴だからだ」と言いました。それから80年近く。あのときのヒンメルの真意を確かめようと、フェルン頼りで無理やり起き、なんとかかんとかフリーレンは日の出の海岸でご来光を拝みました。そこで目にしたのは、悪い意味で予想通りの「確かに綺麗だけど早起きしてまで見るものじゃない」くらいのもの。肩透かしを食い、二度寝をしようと宿に帰りかけますが、連れのフェルンはご来光に目を奪われています。そして、その顔を見て初めてフリーレンも、笑みを浮かべるのでした。「フェルンが笑っていたから」「少し楽しそう」だったのです。ヒンメルの真意はこれであり、フリーレンは、日の出そのものが楽しくはなくても、連れが楽しんでいるところを見れば楽しくなれる、そういう人間(エルフ)だということだったのです。彼女は80年越しに、それに気づいたのでした。

つながる人の思い もうつながっていたもの

で、そのフリーレン自身に、仲間たちからつながっている思いがあったのか。実はこれが、すでにあったのです。
たとえば、死が目前に迫ったハイターに対し、フェルンのためにも、フェルンにきちんと別れを告げ、たくさんの思い出を作るよう諭しました。これは、ハイターが勇者ヒンメルならそうしたようにとフェルンを救ったように、フリーレンも彼のことを思い出したからです。
たとえば、ヒンメルの銅像の周りに植えようとした蒼月草。これはヒンメルの故郷の花ですが、かつての旅の途中で彼は、この花を「いつか見せてあげたい」とフリーレンに言っていました。それを思い出したから彼女は、彼のかつての願いをかなえてあげたいと、もう絶滅して久しいと言われていた蒼月草を探したのです。
そしてなにより、彼女が趣味として世界中を回っている魔法収集。それが趣味になる前は、「もっと無気力にだらだらと生きていた」のですが、「私の集めた魔法を褒めてくれた馬鹿がいた」、それだけの理由で彼女は、世界中を回るようになりました。その馬鹿とはもちろんヒンメル。彼の言葉が、思いがあったから、フリーレンには趣味という人生の潤いができたのです。
前出の新年祭の件でも、フリーレンは、仲間が楽しんでいるところを見ると楽しくなる質だと述べましたが、この件でも、ヒンメルらが彼女の魔法に楽しそうな様子を見せたから、彼女自身も楽しくなったのでしょう。それこそ、世界中を旅する原動力となるほどに。


このように、フリーレンの旅の目的である「人の思いはつながっていくことを知ること」ですが、それは外にしかないものでなく、幸せの青い鳥よろしく、すでに彼女自身にもつながっているものなのです。ですから、言ってみれば、旅の目的は「知ること」でもあり、同時に「気づくこと」でもあります。ヒンメルのことを何も知らないと涙した彼女ですが、何も知らないわけではありません。何を知っているか気づいていないだけなのです。
1巻の終りで、かつての旅で倒した魔王の本拠地へ行くことになったフリーレンたち。彼女がそこで知ることは、気づくことはいったい何なのでしょう。
すげえ楽しみ。



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魔王を倒しても世界は続く 自分と仲間を知りなおす旅『葬送のフリーレン』の話

勇者ヒンメルらは10年の旅の末に魔王を倒し、世界に平和がもたらされた。祝祭の日の夜、パーティー4人で50年に一度の流星群を見て、魔法使いで長命のエルフ・フリーレンは、また皆で50年後に見ようとこともなげに言う。そして50年。世界中を放浪していたフリーレンが戻ってくれば、順当に年を重ねたかつての仲間たちがいた。50年ぶりの流星を見て、ヒンメルは天寿をまっとうし、その葬儀でフリーレンは涙する。ヒンメルが死んだことにではなく、死んだヒンメルのことを何も知らなかったことに。そして彼女はまた旅に出る。もっと人間を知るために……

ということで、原作山田鐘人先生、作画アベツカサ先生の『葬送のフリーレン』のレビューです。
存在を全く知らなかった作品なのですが、単行本発売に合わせて作画のアベ先生がTwitterでアップした1話2話をたまたま目にし、「これはすごい作品だ」と勇んで単行本を購入、1巻を通読。期待をいささかも裏切らない、素晴らしい作品でした。
物語は、世界が救われたところから始まります。魔王討伐から帰る勇者一行の凱旋。人間の勇者ヒンメルと僧侶ハイター、ドワーフで戦士のアイゼン、そしてエルフで魔法使いのフリーレン。魔王が倒され、世界にもたらされた平和。ハッピーエンドの後日談が、この作品のスタートです。
世界が平和になっても、いや、平和になったからこそ、人々は日常に戻ります。それは、魔王を倒した勇者たちも例外ではありません。功労として褒賞や位階をもらいつつ、それを踏まえて日々を生きていきます。仲間が王都や郷里に居を構える中、フリーレンは、世界中を旅して趣味の魔法収集をすることにしました。50年後に再び訪れる半世紀流星をまた皆で見ようと約束して。
50年。それは人間にしてみれば遥か彼方の話です。作中で明言はされていませんが、魔王討伐時におそらく20代のどこかであろうヒンメルとハイターにとっては、今までの半生をもう二回繰り返して追いつくかどうかという年月。自分が生きているかどうかも定かではありません。しかし、長命なエルフ特有の考え方なのか、まるで一週間後の約束をするようにフリーレンは、50年後にまた会おうと言うのです。
半世紀が過ぎ、約束通り戻ってくれば、そこにいたのはすっかり老いぼれたヒンメル。背は曲がり、頭は禿げ上がり、杖にすがって立っているかつての勇者です。同じく人間のハイターも順当に年を取り、もともとひげ面だったドワーフのアイゼンは、ぱっと見ではわからぬものの、マントの下の腕の筋肉は衰え細くなっています。変わらぬのはフリーレンばかりなり。
かつて王城での祝祭の日に見た流星群、もっときれいな場所で見せてあげると50年前に約束したフリーレンは、仲間たちの加齢を考えていませんでした。流星見物の穴場まで一週間の行程、かつての勇者ご一行であれば鼻歌交じりのピクニックかもしれませんが、その身に老いを刻んだ彼らであれば、それなりに覚悟と準備のいる旅だったでしょう。変わらぬのはフリーレンばかりなり。
道中ではかつての旅路を偲び、人生を振り返るように思いをはせる仲間たち。フリーレンの言葉通りの、満天の流星群を万感の思いで仰ぎ見たヒンメルは、今生の思い出と焼き付けたか、王都に帰りしばらくして、不帰の旅に出ました。
仲間のみならず、多くの民衆が勇者の死を惜しむ中、フリーレンもまた、涙を流します。けれどその涙は、別れを悲しむ涙ではありませんでした。

…だって私、この人の事何も知らないし…
たった10年 一緒に旅しただけだし…
…人間の寿命は短いってわかっていたのに…
…なんでもっと知ろうと思わなかったんだろう…
(1巻 p33,34)

旅を共にした仲間なのに、彼のことを全然知らない。その事実こそが、彼女に涙を流させたのです。
もっと知りたかった。もっと知るべきだった。
ヒンメルの葬儀を終え、彼女はまた旅に出ます。魔法収集と、今度は、人間を知ることも目的として。


とまあ、これが第1話の流れです。長命ゆえに時間の感覚が人間と異なるエルフ。旅を終えた彼女が、仲間と死に別れることで初めて気づいた、他人に対する己の無関心さ。それを悔いた彼女が、人を、なかんずくかつての仲間を知る(知りなおす)旅なのですが、同時に、彼女が自分自身のことを知る旅でもあります。
旅の伴には、ハイターがかつて助けた孤児の少女・フェルン。彼女は普通の人間です。つまり、普通に年を取る人間です。本作では、フリーレンの時間間隔に合わせてか、一話の後に平気で一年単位の時間が進みますが、それにつれて成長期のフェルンもぐんぐん成長していきます。そして変わらぬフリーレン。もうこれだけで、またフリーレンは置いていかれることがわかってしまうんですよね。かつての仲間たちと同じように、そう遠くない未来(フリーレン主観)においてフェルンからも。
もとより定命の定め、出会いの裏の別れは必定ですが、フリーレンはその形が常に一方的なのです。
そんな儚さを隠さず、さりとて前面に押し出さず、穏やかに、暖かに、爽やかに、フリーレンの旅は描かれていくのです。それはまさに、彼女がヒンメルたちと救った世界だからこそであり、ハッピーエンドの後日談だからこそできる旅なのですが、この悠然とした日々で、少しずつ蕾が開いていくように、彼女は人と自分を知っていきます。正確には、知っていることに気づいていきます。
ヒンメルの銅像の周りに彩を添えようと、かつての彼の言葉を思い出して、絶滅していたはずの彼の故郷の花で埋め尽くし。
封印していた強敵をあらためて討伐したことで、かつてのヒンメルの言葉に触れ。
魔王討伐の旅の途中で、仲間たちの中で自分だけが見なかったとある街でのご来光を、あの時あれだけ彼が勧めていたのだからと見てみようと思い。
フェルンとの旅で、彼女は仲間たちとの旅路を思い出し、同時に、そのとき自分の中に確かに刻まれていた記憶を自覚するのです。
この描きっぷりが実に穏やかで、フェルンやほかの人間との控えめな応答の中で大げさでなく見せてくれるのが、とても心地よいのです。
そして、その心地よさを壊さないままにおかしみをいれてくる描写がまた秀逸で、この世界同様に、穏やかで、暖かくて、爽やかなんです。ギャグと呼ぶには破調でなく、コミカルと呼ぶには誇張が過ぎず、諧謔と呼ぶには堅苦しくなく、ウィットやエスプリと呼ぶには理知が勝ちはしない、そんなおかしみを表せる言葉は、日本語にはまだないんじゃないでしょうか。


颯爽と登場した1巻でこのハイクオリティ。2巻以降も俄然期待。
1,2話は、アベ先生のTwitterで公開されています。


まあちょっと読んでみておくんなましよ。


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無能の日々とそれでもおいしいご飯 生と死を思う孤独のグルメ 『ご飯は私を裏切らない』の話

29歳、中卒、恋人いない歴イコール年齢。週七でバイトをして生計を立て、なんとかその日を生きている。バイトで失敗をしてはクビをおそれ、家に帰っては愚痴をこぼす相手もなく、ただ口へ運ぶ食事にわずかな幸福を感じる。どこにも通じている気のしない人生で、ただそれだけが、文字通り日々の糧……

ということで、heisoku先生の『ご飯は私を裏切らない』のレビューです。
ネットで連載が始まって即座に、静かに、だけど強烈な波紋を起こしていた本作。内容は冒頭のとおりで、主人公の「29歳 中卒 恋人いない歴イコール年齢」の女性が、バイトに行っては労働の辛さに喘ぎ、自分の無能さに嘆き、未来の暗さに呻き、ただご飯を食べている時だけはそこに幸せを感じている物語。
誰が呼んだかプロレタリアグルメ漫画
名もない彼女が毎日毎分毎秒感じている息苦しさと、それでもご飯を食べているときには幸せを感じずにはいられない人間の根源的本能。笑っていいんだか一緒になって苦しんでいいんだかわからない、何とも奇妙で奇特な味わいの作品です。
物語は主人公の独白で語られていきますが、それがとにかく後ろ向き。

29歳 中卒 恋人いない歴イコール年齢
友人なし バイト以外の職歴なし 頼れる人は誰もなし
改めて自分を見つめなおすとやばい 頭痛がしてくる 何もない人生 これからどうしたらいいのか?
(p6)

「誰にでも出来る簡単な仕事」と書いてある仕事ほどクビになりやすいのなんでだろう
簡単とされている仕事ほどある種ハードル高い
いや本当に
(p7)

働いて収入を得てご飯を食べて 身体的な生存維持はできるけど
働いて役に立ってる実感は全くなく むしろ損を与えてる そんな行動を一生続けていけるか
いつか耐え切れなくて 結局 心が先に死んじゃうのかな
(p47)

自分で自分のことをどうにかするのは…
人のために何かをするよりもっと難しく感じる
辛い…
(p68)

こんなことを延々と。その文字の多さはHUNTER×HUNTERともいい勝負なりそうなくらい。漫画というよりいっそ、豊富にイラストがあるエッセイと表現してもいいくらいです。
エッセイというのはあながち間違いでなく、この主人公はまさに自由な随想として思考を広げていきます。ただし、上記の引用の通り、かなり後ろ向きに。
とにかく彼女は自己評価が低いのです。「29歳 中卒 恋人いない歴イコール年齢」という自己規定からスタートし、それに絡めとられているため、その状況から抜け出すイメージがわかない。通信制の短大に通うことを一考するシーンもあるのですが、どうせすぐに挫折すると、あっという間にそのアイデアを放り投げます。
ろくな過去がない。そこから地続きのろくでもない今がある。なら、その先の未来がろくでもなくないわけがない。そんな圧倒的論理帰結。
「今日より悪い未来が絶対待っている!!」は、あまりにもネガティブに強い彼女の確信です。
バイトとはいえ日々の糧は得られているため、差し迫った危機はありませんが、展望のない未来に漠然とした不安が常につきまといます。漠然とした不安は、希死念慮にも似た思考を導き、彼女は、どこで生まれどこで死ぬかわからないアメリカギンヤンマに憧れ、自然界の食物連鎖に組み込まれていない現代の人間に落胆し、地球上のほとんどの生命にとってその死は困窮の中で終わることに安堵する。
彼女は死にたいわけじゃない。でも、なにかしたいわけじゃない。何かのために生きたいわけじゃない。

誰かに生きろと言われているわけでもないし
生きていることに 特に意味はないけどね
(p22)

生きているから生きている。そんな惰性の暮らし。
日々目減りしていく未来から目をそらし、足元の今と背後の過去を見ながら、あらぬ方向へさまよう思考にふける。
でも、そんな彼女が少しだけ未来を考えられるのが、ご飯のこと。ご飯のことを考えれば、少しだけ明るく未来のことを考えられる。具体的には、明日はお米を研いで炊飯器のスイッチを入れておこうとか。
ご飯はおいしい。おいしいから、気分は明るくなる。

いくらとバターだけでも十分に美味
アレンジはいくらでも可能
いくらだけに
(p10)

ローストビーフいくら丼
ついいくら乗ってるやつにしたけど ローストビーフと合うの…?
温泉卵も乗ってるけど… 温泉卵といくらは混ぜて旨いの…?

普通に旨い想像していたけど 予想よりもっと旨い
やはり肉は期待を裏切らない
(p30)

良い
やっぱりチーズは最強
(p62)

とはいえ、明るくなったところで、すぐに考えだすのは生命の無常さ。たとえば大好物のいくらを前にしても、

いくらを食べていると 生き物とはこうやって小さくまれて小さく死んでいくものなんだと思える…
この世で何も為さなくても別にいいんじゃないかな…
そんな気持ちになる…
(中略)
いくらが私に囁いてくれる… 生き物の実態はむしろ死に物じゃないかなと…
殆どの生き物にとって死ぬほうがメインストリームじゃん…
(p11、12)

どこまでいってもこの彼女、生の辛さを見つめるか、あるいは目をそらすか、もしくは達観するか。いずれにしろ生の辛さから離れることはできないのです。
彼女に救いがあるのかないのか。そもそも救いなんてあるのか。救いとは何なのか。作中で彼女自身が、10億円があれば絶望なんかしないと、即物的でいてどうしようもないほどに正しい救いを求めていますが、それは夢物語でしかないと彼女自身がよく知っています。
今日より悪い未来が絶対待っている。そうわかっているのに、なにをすればいいのかわからず、そもそも本当に何かしたほうがいいのかと諦念を抱いてしまう。生きているから生きている。
それでも、ご飯は私を裏切らない。ご飯をおいしいと思った私の感情だけは、確かに私が得た何にも裏切られない真実。それが救いなのかはわからないけど。
web-ace.jp
現在3話まで試し読みできます。
読んでて前向きになったり、救われたり、そういうお話ではないと思います。少なくとも、私にとってはそうではありませんでした。ネガティブな人間のネガティブな思考が横滑りし続けていく様を特等席で目の当たりにしているような、ある種の悪趣味さすら感じるような作品です。ただ、その悪趣味さはほかの作品になかなか見られぬ魅力であり、一読する価値はあるでしょう。



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『君が肉になっても』「君」の名は……の話

先日レビューした、とこみち先生の『君が肉になっても』。
yamada10-07.hateblo.jp
その中では触れなかったんですが、このタイトルについて、ちょっと考えたことがあります。
それは、この「君」ってだれのこと?という疑問です。
普通に考えれば「君」は、肉の塊になったまきで、そう呼びかけているのがひななのでしょう。君がたとえ肉に、バケモノになってもそれでも私は一緒にいる、最後までずっと一緒にいるよ、という、物語の終盤をひなから見たタイトルです。グロくも悲しく美しいタイトルですね。
ですが、これを逆転させることもできそうだと思うのです。すなわち、まきがひなを「君」と呼び掛けているのではないかと。
そうすると、君にが肉になるとは、ひなが肉に、つまり、バケモノになったまきの食べ物になる、ということです。実はこの作品、タイトルの英訳も"Even if you become meat"で、"meat"とは、魚肉や鶏肉と区別した食用の肉を意味します。それを踏まえると、"become meat"とは、食べ物になるということ。たとえ君が食べ物になったとしても。このタイトルは、生命を貪り食うバケモノになったまきの視点であってもおかしくなさそうです。
であれば、「肉になっても」の続きはなんでしょう。ひなが食べ物に見えても私は食べない? ひなを食べてしまっても私たちは友達?
最終話で、もう私を食べてもいいよと言うひな。ひながいなくなったら生きていけないというまき。人間でいるときのまきの気持ちはそのとおりなのでしょう。ひなを食べるなんてとんでもない。でも、ひとたびバケモノになったとき、そこにひながいたら、まきは捕食を止められるのでしょうか。それはおそらく否。もっと小さく、飢えがそこまででなかったときでさえすんでのところでひなを助けたに過ぎないのに、しばらく生命を食べていない状態でひなを見つけたら、理性が仕事をするとは思えません。
だからきっと、もしそのときが訪れたらまきはひなを食べるでしょうし、それをしてしまったまきは、自分で言ったとおり、もう生きていくことはできないでしょう。
そしてたぶん、そのときが訪れるのは、ひな自身の考えによるもの。もう限界になったまきの前に、自らを差し出すひながありありと想像できます。ネコよりはまきで、他の友達よりはまきで、自分で誰かに手をかけるよりはまきで、と天秤を傾けてきたひなが、最後にもう片方の皿へ自分自身を乗せることは、物語の中の彼女を考えると実に自然です。
さらに言うなら、まきはそれすら想像してるんじゃないかなと思います。きっと、ひなは自分に彼女自身を食べさせる。自分は彼女を食べずにはいられない。そして元に戻れば後悔と自責(と実際的な食糧不足)でそのまま死ぬ。最後にひなを食べて、そのまま。
だから私は思います。まきから見たタイトルの続きは、「君が肉になっても」ずっと一緒だよ、なのだと。奇しくもそれは、ひなから見たタイトルの続きと同じです。少し違うのは時間軸。ひなが見ているのは物語の終り。まきが見ているのは物語が終わった後。
本編最後のページで、手をつないでこちらに背を向けて歩く二人。その歩みはたぶん同時に止まれないのですが、それでも二人は一緒に歩くし、最後まで一緒なんですよ。最後まで。
何度でも言いますけど、救いがないのに穏やかな終わりって、最高ですね。



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人喰いのバケモノになっても、世界で二人きりになっても『君が肉になっても』の話

女子高生・ひなは、ある夜街を歩いていると、路地の奥になにやら蠢くものを見つけた。肉の塊としか表現しようのない大きな蠢くもの。それはなにかを食べていた。噎せかえるような血臭もした。夢かと思ってしまうような光景の中、ひなは気づく。それには、友人のまきがいつもつけている、特注品のピアスが付着していた。果たして翌日、ひなはまきに、その光景をおさめた写真を見せてみた。まきは言う。「なんで私の夢の写真持ってるの?」と。こうして、肉が肉を食う悪夢の幕が開けていった……

ということで、とこみち先生の新作『君が肉になっても』のレビュー&感想です。「ともだちが人喰いのバケモノになりました」が惹句の、ホラーサスペンスでサイコサスペンス、そして、さびしく美しい青春の物語です。
そう、さびしさと美しさ。それがこの作品の魅力であると私は思います。
なにがさびしいのか。それは、救いがなくなっていく世界で、救いが訪れないまま二人が終わりに向かっていくこと。
なにが美しいのか。それは、救いがなくなっていく世界で、二人は二人お互いがずっと救いであったこと。
物語は、ひなが路地でバケモノを見かけるところから始まります。明らかに異様な存在。ぶちまけられた血。たちこめる血臭。現実とは到底思えない現実を前に、ひなはスマホで写真を撮り、翌日、そのバケモノについていたピアスの持ち主である、まきに見せました。もちろんそれは何の気なし。普段通りの姿で登校していたまきを見て、彼女がそのバケモノか、とは思っていません。でも、まきは言いました。「なんで私の夢の写真持ってるの?」と。夢と現ががつながる、嫌な感覚。
よくよくまきの話を聞いてみれば、昨夜寝入った彼女は、夢の中で肉のバケモノになり、空腹を覚えながら街をはいずりまわり、たまたま見つけた人を食べたのだといいます。そしてその最後の部分は、まさにひなが見かけたシーンで、写真におさめられたシーン。
夢だと思っていたことが現実かも知れない。自分はバケモノになってしまったのかもしれない。まきは不安と恐怖と何より混乱で、頭を抱えます。
こうしてホラーの幕が開くのですが、ここで同時に開くのがサイコサスペンスの幕。誰が開けたのかといえば、ひな。
彼女は夢の一部始終を語り終わったまきに聞きます。
「味は?」
「おいしい? 牛豚鶏だったらどれっぽい?」
「機会があれば一度食べてみたい」
それ今聞くこと!?となるような話を、まじめな顔してまきに尋ねるのです。自分がバケモノになったのかと悩むまきに。
倫理のネジを何本も忘れ来たようなひなが、この作品にただのホラーにとどまらぬコメディめいた狂気と、まきとの間のいびつでとてもまっすぐな関係を生み出しています。
他にもたとえば、再びバケモノになったまきが、あやうくひなを食べかけた事件があります。かじりつきそうになるも、かすかに残った理性でなんとかひなを遠ざけたバケモノは、かわりにすぐ近くを通った野良猫に目を奪われ、あっという間に食べつくし、姿を消します。
翌日、バケモノになっていた間のことを覚えていたまきは罪悪感にさいなまれますが、なんでもない顔をしてひなは言います。
「かわいそうだけど 仕方なかったよ まぁ うちのじゃないし
うちのよしこを食べたんなら話は変わるけど 知らないねこを食べただけじゃん
そんなことで嫌いになるか」
これを、彼女を慰めるためというような調子ではなく、あくまでただの事実を、それに対する主観的な評価を告げるだけの、淡々とした調子で言うのです。いえ、もちろん彼女を慰めてもいるのでしょう。でも、その慰めで他の命があまりにも軽々しく扱われていては落ち着きません。
ひなはまきを好きだといいます。それがどういう感情なのか。最後まではっきりしたことは言いません。でも彼女は、バケモノになるまきでも、自分を食べようとしたまきでも、友達を食べたまきでも、好きだというのです。あまりにもまっすぐな親愛は、時として狂気と変わりません。
そしてついに、学校でもバケモノになってしまったまき。もう普通には生きられないと思った二人は、逃避行に出ました。どうなるかもわからない、どうすればいいかもわからない、目の前の問題から目をそらすためだけの、本当にただの逃避。
普通の食事を受け付けなくなってしまったまきは、このまま死ぬつもりだといいます。でもひなは、二人でおばあちゃんになるつもりで逃げたのだといいます。でも、まきは普通の食べ物を食べられない。体力は落ちるばかり。じゃあどうするか。
ひなが選んだのは、まきが食べられるものを用意すること。より正確に言えば、バケモノになったまきなら食べられるもの。つまり、人。それを躊躇なく実行できるのがひなです。
ほかの人間とまきを天秤にかけたとき、ノータイムで後者を選べる。
平気で暴力的な手段に訴えられる。
二人で生きるためなら、別の人間を差し出せる。
それが、ひな。
こうして、まきの体力の問題は解決しました。しかし実は、まきがバケモノになるようになったのと時を同じくして、世界中で、まきのようにバケモノになる人間が発生していたのです。
驚くほどに早く、世界は崩壊しました。半年以上もたてば、もうほかの人間を見かけなくなるくらいに。世界に二人きりだと思ってしまうくらいに。床の抜けたホラーとサイコサスペンスは、あっという間にポストアポカリプスの世界に様変わりしたのです。
誰もいない世界で二人。ひなはともかく、もう栄養を取れないまき。残された時間は多くありません。残された道も多くありません。食べないで死ぬか、ひなを食べた後に死ぬか。ほんの一人分の栄養(文字通りの)はたかが知れています。どっちを選んでも大差はありません。寿命がほんの少し伸びるだけ。
誰もいない世界で、誰もいない学校に戻って、自分の席に座りながら、ほんの少し先のことを話す二人。ほんの少ししか残されていない先のことを。その情景は、とてもさびしくて、とても美しいのです。
もう何が起こらなくても、何が起ころうとも終わるしかない二人。それを従容と受け入れている二人。私はそういう世界がことさら刺さるのかもしれません。たとえば『少女終末旅行』みたいな。
どんづまりの虚無の中で、まるで救いのない世界で、お互いがお互いを、友情とも愛情ともつかないなけなしの救いだと感じている、終末の穏やかさ。めちゃくちゃぶっ刺さる。
現在、全7話のうち3話まで無料で公開されています。
seiga.nicovideo.jp
ちょっとグロ要素がありますが、ぜひ読んでほしい作品です。


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俺マン10'sの話

俺マンの2010年代の総決算として企画された俺マン10's。
俺マンについて – #俺マン10s 特設サイト
基本的な選考基準は

対象は「2010年代(2010年〜2019年)に読んだ作品」ではなく、「2010年代(2010年1月1日〜2019年12月31日)に単行本が刊行された作品」とします。同期間に単行本が刊行されていない作品(雑誌掲載のみ)の作品は今回は除外しています。刊行さえされていれば同人誌、電子のみの刊行作品なども可とします。期間中の刊行であれば1巻、完結巻、新装版などは問いません。

とのこと。なお、個人のノミネート数は5~25作品。
さて、毎年の一年単位のものならいいんですが、10年間の中で、となると結構難しいですよね。5年前に刊行され当時は10段階の10と思ったけど完結してしばらく経った今は7くらい、という作品と、今まさに連載中で10段階の9の作品、果たしてどっちが選ばれるべきなのか。まあそこらへんも含めて各々に任されている企画だと思いますので、私の基準は読んだ時点での感情の振れ幅が大きかった作品。完結してしばらく経ったりして、今の時点では当時から多少評価が変動していたとしてもそれはそれ。今振り返って当時はすげえ心揺さぶられたぜってものから、今まさに激熱ってものまで、以下ラインナップしていきます。なお、基本的には順不同ですが、便宜的に完結済みのものと連載中のもので分けています。ばっと作品を羅列して、以下一言と過去に書いた記事というかたち。

まずは完結グループで9作品。
BLUE GIANT SUPREME/石塚真一
子供はわかってあげない/田島列島
プリンセスメゾン/池辺葵
・月曜日の友達/阿部共実
・映画大好きポンポさん/杉谷庄吾
少女終末旅行/つくみず
・銀河の死なない子供たちへ/施川ユウキ
ハックス!/今井哲也
・25時のバカンス/市川春子

BLUE GIANT SUPREME/石塚真一小学館
無印もいいですが、『SUPREME』の方が、大の向上した演奏力や尖った人間性がより見えて好き。演奏シーンと、演奏後のメンバーの描写が大好き。

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子供はわかってあげない/田島列島講談社
中学時代に読んでたら男子校なんか選ばなかったし、高校時代に読んでたら男子校に来たことを七転八倒して後悔していたいに違いない最高のボーイ・ミーツ・ガール。さわやかであまずっぱく軽妙でコミカル。そして人類学の知見がそこかしこに。

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プリンセスメゾン/池辺葵小学館
一人で生きることの、寂寥とも諦観とも希望とも自由ともつかない、様々な感情のたゆたいが、年を取るごとにひどく染み入ります。

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●月曜日の友達/阿部共実秋田書店
抒情的な一人語りと、ポップでキッチュなモダンアートじみた絵。思春期の不安さが阿部ワールドで描かれるとこんな風に。
AMAZARASHIとコラボした楽曲、『月曜日』も最高。

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amazarashi『月曜日』“Monday” Music Video|マンガ「月曜日の友達」主題歌


●映画大好きポンポさん/杉谷庄吾(KADOKAWA)
マグマのように見えないところで沸き立つ情熱は、ひとたび道を与えられると、狂おしいほどの熱量で世界を変えるほどに焼き尽す。このおもしろの奔流がわずか1巻で納められてる。そのコンパクトさが、まさに本編最後のセリフとリンクしてすばらしい。

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少女終末旅行/つくみず(新潮社)
二人の旅の終わりが世界の終りでそれがそのまま二人の終り。人類の静かな滅びが美しくて悲しい、最高のポストアポカリプスものの一つ。


●銀河の死なない子供たちへ/施川ユウキKADOKAWA
不老不死の子供が初めて出会った、普通の子供。すなわち成長していつかは死ぬ存在。触れたからには真正面から取り組まざるをえないクッソ重いテーマを真正面から描き切った名作。2巻というコンパクトなサイズだからこそ、真っ向からの答えをかけたのかなと思う。

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ハックス!/今井哲也講談社
もののとらえ方、考え方が、すごく自分にしみこみやすい作品。というか作者。

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●25時のバカンス/市川春子講談社
今回唯一の短編集。美しい異形とすっとぼけたような軽妙な会話のギャップが素敵。

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続いては、連載中グループで6作品。
・ワンダンス/珈琲
・水は海に向かって流れる/田島列島
3月のライオン/羽海野チカ
HUNTER×HUNTER/冨樫義博
ダンジョン飯/九井諒子
GIANT KILLING/ツジトモ綱本将也

●ワンダンス/珈琲(講談社
音が見えて、ダンスが聞こえる漫画。サブスクで作中で登場する曲を聴きながら読むと、思わず動き出したくなる。
カボの成長に胸が熱くなり、ワンダがかわいい。

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●水は海に向かって流れる/田島列島講談社
田島列島先生の連載2作品が両方ノミネート。こちらはボーイ(15)・ミーツ・ガール(26)。
重いテーマを軽妙に描き出すそのタッチは変わらず。

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3月のライオン/羽海野チカ白泉社
零君とひなちゃんがようやく結ばれたことに喜びを隠せない。
ちょうど現実世界では藤井棋聖が史上最年少のタイトルホルダーになったところですね。

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HUNTER×HUNTER/冨樫義博集英社
早く再開して。

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ダンジョン飯/九井諒子KADOKAWA
とにかく「面白い漫画」という感じ。漫画が面白い。

ダンジョン飯 1巻 (HARTA COMIX)

ダンジョン飯 1巻 (HARTA COMIX)

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GIANT KILLING/ツジトモ綱本将也講談社
こんだけ長期連載して、多少の浮き沈みはあれど面白さをキープできるのはすごい。カタルシスの開放がうまいんだよな。

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ということで、全15作を今回のノミネート作といたします。面白い作品はもっとたくさんありますが、泣いて絞ってこの15作。
こうして俯瞰してみると、かわいい絵柄で熱量が大きい作品や、複雑な感情を丁寧におもねらず描いてる作品が強いなという感じですかね。
ドストレートなギャグ漫画や、ドストレートの恋愛漫画はあまり読まない様子。
さあ、20年代はどんなおもしろい作品に出会えるでしょうか。

『よふかしのうた』セリと秋山と対等な友達の話

前回の記事では、コウの行動原理について書きました。
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簡単にまとめれば、コウはナズナを好きになろうとしていますが、それは手段としての恋であり、最終的な目的は、彼女が示した価値観で生きることだ、ということです。
まだ恋をしたことがない少年が吸血鬼になるためには、自分の血を吸う吸血鬼に恋をしなければいけない。
でも、恋ってなんだろう。好きってどういうことだろう。
それがわからないからこういう状況になった彼が、その状態にならなければいけない(しかも一年以内に)(しかも生命を賭けて)という皮肉も、本作の面白味の一つなのですが、では、その好きだの恋だのといった難問を本作ではどう描いているのか。
本稿では、その一つであるセリと秋山の関係について考えたいと思います。

セリの描写の不明瞭さ

3巻にてついに登場したナズナ以外の吸血鬼。眷族を増やし子孫繁栄を目的とするのが吸血鬼ですが、その中の一人であるセリは、「この世で最もモテる存在」であるところのJKに扮しています。
いかにも軽薄そうな調子で男性と知り合っているセリですが、3巻の後半では、彼女と、彼女のストーカーと化したメンヘラこと秋山に焦点が当てられています。最終的にはセリが秋山を眷族にする、すなわち、セリに惚れた彼の血を吸うことでお話は一段落しましたが、私のつい勢いで読んでしまう癖ゆえにか、この流れがわかるようでわからない、わからないようでわかるという、印象深いわりにはなんとも曖昧な理解で終わってしまい、いくつかの疑問が残りました。
たとえば、
Q1 「恋は盲目」の話を秋山から聞いたときに浮かべていた、思わしげな表情は何なのか(3巻 p173)。
Q2 なぜ恋愛上手な吸血鬼が、秋山の感情を拗らせるような悪手を打ったのか(3巻 p177)
Q3 なぜ「今回に限って」秋山を殺そうとしたのか(3巻 p182)
Q4 眷族祝いのカラオケに行ったときに浮かべていた、思わしげな表情はなんなのか(3巻 p201)。
と、作中で答えが言葉にされているものもありますが、その答えが直截的すぎてよく呑みこめなかったりしました。ただ、とどのつまりそれらは、
Q5 セリにとって秋山は結局どういう存在だったのか
という疑問に集約されます。
彼女の言ったとおり友達なのか。それとも恋愛感情があったのか。あるいは別の何かなのか。
この疑問を解き明かすべく、セリと秋山の関係を詳しく見ていきましょう。

恋愛が楽しかったはずのセリ/「恋愛なんて脳のバグ」の秋山

まず、秋山と知り合った時点のセリです。
ナズナ以外の他の吸血鬼と同様にセリは、種の目的(子孫繁栄)に忠実に、積極的に男どもを誑し込み、そこに楽しみも感じていました。

恋は盲目 という言葉がある
盲目な男を相手にするのは楽しかった。
すべて自分の思うがままだった。
(3巻 p171)

しかし彼女は、そんな生活に「いつしか飽きを感じ始め」てしまいました。

飽きちゃったんだよ そういうの。
退屈なんだよ でもこんなの誰に言えばいいんだ?
「人との関わり全てに"恋愛”がついてくることに疲れちゃった」なんて。
(3巻 p188)

そこに何か理由はあるのか、他の吸血鬼も似たようなことを感じるのか。それはわかりませんが、とにかく彼女は飽きてしまった。
そんなときに出会ったのが秋山でした。
彼との出会い方は、他の男性との出会いと大差ありません。すなわち、いかにも男性が惚れてしまいそうな、吸血鬼らしい出会い方。
飽きを感じていようと、セリはそれ以外に人間との付き合い方を知りません。ですから、秋山にもいつものような態度で声をかけたのです。
しかし、秋山は他の男とは違いました(少なくともセリはそう感じました)。

「恋愛感情なんてひとときの脳のバグでしかないんだ。
そんなものに縛られるなんて馬鹿馬鹿しいと思わないかい?」
知らなかった
そんなこと思う人間がいるなんて考えたこともなかった。
今まで覚えたことのない感情だった。
もしかしたら 
この人間となら
(3巻 p171)

恋人にフラれたばかりの大学生がイキって言うには似つかわしすぎる秋山のセリフですが、こんな言葉をセリに言う人間は今までいなかった。
それはそうでしょう。彼女が人間の男と接するのは、食事のためか、眷族を作るためか。前者であればおそらく、後に自分が血を吸われたとは思わないような形で接するはず*1。ですから、実質、人間と接するときはほとんどの場合で眷族を作るため、すなわち相手を自分に惚れさせるように接していたセリが、その当の相手から「恋愛感情なんてひとときの脳のバグ」などと、恋愛を否定するようなことを言われるはずはないのです。なにしろ吸血鬼は恋愛上手なのですから。
しかし、秋山はそう言い放った。それがセリには新鮮だった。「今まで覚えたことがない感情だった」くらいに。「もしかしてこの人間となら」今までとは違う関係を築けるのではないかと思うくらいに。

セリの新しい関係「友達」

今までとは違う関係。それはセリ曰く、そして秋山曰く、「友達」でした。
友達。それはセリにしてみれば、恋愛がつきまとわない関係。飽きてしまった、退屈してしまった、疲れてしまったそれとは違う関係。
高校からの恋人からフラれたばかりの秋山は、当初は「恋愛なんて脳のバグ」と恋愛を否定するようなことを言い、セリに恋愛感情を見せはしませんでした(実のところ、彼は当初からセリに好意を持っていましたが*2)。だからセリは、彼と友達になれると思った。恋愛なんて無関係に付き合えると思った。そして実際セリは、その関係がとても新鮮で、とても楽しかったのです。
二人の関係がどのくらいの期間だったのか、それはわかりませんが*3、いい意味で甘くない蜜月は長く続きませんでした。セリは気づいてしまったのです。結局自分は、他の人間と同じようにしか秋山と付き合えないのだと。

でも普通の友達みたいなコミュニケーション 知らないんだ。
無意識で相手を惚れさせようと振る舞っちゃう
あ、今押せばこいつあたしのこと好きになるなって
気付いたらそんなことばっかり考えてる。
(3巻 p188)

秋山と「友達」として喋っているはずが、無意識の裡に恋愛を振舞にからめてしまう。どうするれば相手を自分に惚れさせられるか考えてしまう。秋山が自分に惚れれば、もう「友達」ではいられなくなってしまうのに。
そもそも、セリにとって友達とはどんな存在なのでしょうか。
それを考えるにはまず、彼女にとっての友達じゃない人間とは何かを考える必要があります。
上にも書いたように、彼女にとっての人間は、食事か眷族候補でした。そして、実際にコミュニケーションをとっていた後者をどうとらえていたかと言えば、「盲目な男」であり、「すべて自分の思うがまま」だったのです。また、吸血鬼にするための条件は、吸われる側が吸う側に恋をしていることであり、その逆は必要ありません。まったく非対称な関係性です。
ということは、そうではない人であるところの「友達」とは、盲目ではない男であり、自分の思うがままにならない人間だと言えるでしょう。それはつまり、対等な付き合いのできる存在です*4

A1 友達とはずっと友達でいられるのか

秋山は、今まで(食事以外では)恋愛を絡めたコミュニケーションしかとることのできなかったセリに対して、「恋愛なんて脳のバグ」と、それまでの彼女を否定するようなことを言いました。それは、秋山がセリの思うがままにならなかったということです。彼女を否定してくれる(無批判に賛成しない)のは、対等な相手だからです*5。それが彼女には新鮮で、楽しかった。
でも、彼女は気づけば、それまでと同じように、どうすれば秋山を惚れさせられるかということを考えてしまっています。秋山が自分に惚れてしまえば、「恋は盲目」になってしまえば、もうこんな楽しい会話もできないのに。
それに気づいてしまったのが、まさに「恋は盲目」の話をしていたときにセリが浮かべた表情だと思います。

かの…元彼女に対しての感情を 今思い返すと ちょっと異常だったなって思うこともあるよ。
無意味な心配をしたり嫉妬深くなったり…
正直、そんな状態になって自然に会話ができなくなるなんて気持ち悪いもんね。
(3巻 p173)

このまま秋山との関係を続けていけば、いつか自分は彼を自分に惚れさせてしまうだろう。「気持ち悪い」状態にしてしまうだろう。それにセリは気づいてしまった。でも自分は、それ以外の付き合い方を知らない……

A2 最悪よりは、それより一歩手前の方がマシ

だから彼女は、(あくまでコウが考えるところですが)恋愛上手の吸血鬼にもかかわらず、秋山に嫌われるような態度をとった。友達じゃなくなってしまうなら、秋山が自分を好きになって、対等じゃない関係になってしまうくらいなら、まだ嫌いになってくれたほうがいい。そうすれば、少なくとも自分を嫌っている分だけ、「思うがまま」な存在ではないから。
これが、セリが秋山の感情を拗らせる悪手を打った理由だと思います。秋山がセリの意図から外れ彼女を嫌いにならず、メンヘラと化してストーカー行為をするようになったのは、今まで彼女がそんなこと(意図的に自分を嫌わせる)をしたことがなく、加減がわからなかったから、でしょうか。

A3 最悪よりは、それより半歩手前の方がマシ

では、そんな彼女が秋山を「今回に限って」殺そうとしたのはなぜなのでしょう。
それは上記とも関連するのですが、彼に、自分の思うがままにならない人間であってほしかったからではないでしょうか。
秋山とは友達でいたい、対等でいたい。でもできそうにない。惚れさせるくらいなら、対等でなくなってしまうくらいなら嫌いになってもらう。でもそれにも失敗してしまった。ならいっそのこと、そうなる前に殺してしまおう。
そういう心の移り変わりだと思うのです。そんな変遷は、コウいうところの「セリさんの方がメンヘラじゃん!」なのですが、今までそんな感情を持った相手がいなかったからこそ、「今回に限って」そんなメンがヘラったことを考えてしまったのです。

A4 個人の最悪=種の最高?

ですが実のところ、セリには、秋山を眷族にすることも選択肢にあがっていました。それは、おそらくは秋山からのLINE画面を見ての独り言からもわかります。

こうなるとだるいんだよなあ…
途中まで眷族にしてやってもいいかなって思ってたんだけど…
(3巻 p137)

これまで読解してきたこととは多少そぐわない言い方ですが、LINE画面のアイコンや、ストーリーの文脈から考えれば、このメッセージの送り主が秋山であると考えるのが妥当でしょう。
その時点では嫌われようとしていたとはいえ、なぜ友達であった秋山を「眷属にしてやってもいい」と思ったのか。直接には描かれていませんが、推測するにその理由は、彼女が吸血鬼だから。種として子孫繁栄を目的としているからではないでしょうか。秋山とは友達でいたい、惚れた腫れたの関係でいたくないというセリ個人の願望と、眷族を作って子孫繁栄すべしという種の目的。相反する二つの命題があり、迷う中で、自分の望みを措いておいてでも、秋山を眷属にしようという考えが浮かぶこともあったのだと思います。
この二律背反にセリが悩んでいたことがわかる描写があります。

「僕を あなたの眷属にしてください。」
「……いいの?
今までの生活とか… なくなっちゃうかもしれないんだよ?」
「いいんだ。 
ありがとう 友達だから 僕のこと 考えてくれてたんだね。」
(3巻 p195,196)

友達の秋山と一緒にいれば楽しかった。ひょっとしたら、眷属にしても、友達じゃなくなっても、一緒にいて楽しいかもしれない。でも、秋山を眷属にしたら、今までの生活がなくなっちゃうかもしれない。
そんなことをセリは考えていました。秋山自身が自認するように、吸血鬼は人間より上の存在。「人間の都合なんて無視して」いい存在。なのにセリは、人間の秋山のことを考えていたのです。だって、友達だから。
そして葛藤と暴走の末、セリは秋山を眷属にしました。彼女に惚れた秋山の血を吸うことで。
種の目的に彼女は貢献しました。でもそれは、彼女の望みを放棄することでした。でもそれは、秋山と一緒にいられることでもありました。でもそれは、秋山が「眷族」という明確に彼女より下の存在になったことを意味するのですが。
そんなもろもろに心が振り回された果ての「お祝い」であるがゆえに、彼女はあんなに物憂げな顔をしていたのだと思います。

A5 彼女にとって彼は

以上を踏まえれば、セリにとって秋山は、あくまでも「友達」であったのだと思います。自分の思うがままにならなくて、対等で、ついその人のことを思いやってしまうような存在。そこには秋山が言った、「無意味な心配」や「嫉妬深」さといった「恋」の状態を見いだすことはできませんが、おそらく、秋山がセリのことを想っていたと同じくらいには、大きなものだったのではないでしょうか。
ただそれは、彼女が秋山を眷属にした以上、「あった」「だった」と過去形で表すしかないのですが。

ということで、セリと秋山に関するお話でした。
まだセリ一人が描かれただけでこれですから、他の吸血鬼たちも本格的に動き出したら、いったいどうなってしまうんでしょう。楽しみやら怖いやら。



お気に召しましたらお願いいたします。励みになります。
一言コメントがある方も、こちらからお気軽にどうぞ。

*1:添い寝屋をして、人が寝てから血を吸っていたナズナのように

*2:3巻 p174

*3:半袖Tシャツから長袖シャツへの服装の変遷を考えると、せいぜい数か月?

*4:一応、対等以上、すなわちセリの方が下だという付き合いも原理的にはありえますが

*5:しかし、これすらセリが無意識の裡に、秋山が「こういうことを言う方がセリの好感を得られるだろう」と思うように、振る舞ったのだとすれば、非常に悲劇的な話になってしまいますが