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漫画の話です。

『水は海に向かって流れる』榊の怒りと幸せのなり方の話

先ごろ最終巻が発売された、『水は海に向かって流れる』。

16歳の少年と26歳のお姉さんの、一つ屋根の下の複雑な関係もこれに終幕。軽妙な中にもさわやかさを忘れない、最高の終わりでした。2020年の完結ですが、20年代のマストバイに間違いないですね。
さて、前作の『子供はわかってあげない』もそうでしたが、田島列島先生の作品は細かい心理描写を説明的な言葉に任せずに、(漫画的な意味で*1)自然なセリフで登場人物たちの心の動きを巧みに活写していました。
しかし、その説明の少なさゆえに、読んでて登場人物たちの内面が十分わかった気にはなってるけど、じゃあ具体的に言葉にしてよといわれるとちょっと困る、そんな巧みさでもあります(まるで現実の人間みたいですね)。
主役の一人である26歳のOLこと榊さんの内面もまたとても複雑なのですが、それを言葉にすることの難しさは、端的に言えば「彼女は怒りたかったのかどうか」という疑問にあると思うのです。

母を怒りたい? 許したい?

2巻まで読んだ方ならおわかりのとおり、彼女は、自分を捨てた母に対してずっと怒ることをしていませんでした。正確に言えば、怒っている気持に蓋をし続けていました。目を逸らし続けていました。

…怒ってどうするの
怒ってもどうしょもないことばっかりじゃないの
(1巻 p43)

このセリフは、直達から自分らの親の関係(すなわち、榊の母と直達の父が不倫したこと)について知っているかのようなことを言われ、ドキッとしたものの、そうではないことを問われていたことに気づいて、かすかに安堵しながら吐いたものです。直接的には、直達からの、猫を見つけたことを言わなかったのを怒っているか、との問いに対する答えですが、その裏には上記の、両親の不倫についての答えが含意されていることも読み取れます。
わざわざこんなことを口にするのは、「怒ってもどうしょもない」けど怒りたいことがあるからに他なりません。それを自分に言い聞かせ、怒りに蓋をするためにも、彼女はそう口にしているのです。
このように、表面的には、本人の自覚的には、榊は母親について怒ってはいませんでした。しかし、3巻でその母を目の前にして、榊はこう言いました。

怒ってもどうしょもないことばっかりだけど
怒らないのは許しているのと同じよ
(3巻 p13,14)

はて、怒らないようにしていた榊は、母親を許そうとしていたのでしょうか。
彼女が母に対して、許しとは程遠い感情を抱いていたのは明白で、たとえば不倫の相手である直達の父と会った時の振る舞いや、そこから生じたニゲミチとのぎくしゃくも、母を許しているのであれば、少なくとも許そうとしているのであれば起こらないものだったはずです。
母を怒ってもどうしょもないと思っていたけれど、怒らないのは許してるのと同じ。じゃあ榊は母を許していたのかと言えば、そんなことはない様子。
さて、この榊の発言の齟齬は、どのように解釈すればよいのでしょう。

もう会わないから怒らない 消したい「母を好きだった自分」

私はこれを、榊が母と別れてからずっと自分に言い聞かせていた心構えから、対面したときの心構えの変化と解釈しました。
別の言い方をすれば、もう会うことはないと思っていたからこそとっていた心構えと、にもかかわらず会ってしまったときの心の在り方の違いです。
これを説明するには、母と別れる前の榊は、母のことが大好きだったという前提が重要になります。榊自身の口から、母のことが大好きだと直接言ったことはありませんが、それを思わせるセリフや、直達らがそう察する描写は随所にあります。

私が
直達くんみたいないい子だったら……
あの時 あんなヒドイこと言わなかったら
戻ってきたのかもしれなかった
(2巻 p107,108)

純粋ってなんて非生産的なんだろう
この人はお母さんが大好きだったんだ
なのに もう 怒ることでしか繋がれない
(3巻 p15)

でも千紗はかわいそうだなって思った…
お母さんのこと大好きだったのに
連れてってもらえなくて 俺なんかと二人きりにされて
(3巻 p20)

このように、榊が母のことを大好きだったことがはっきりとうかがわれます。
でも、そんな母は、突然理由も言わずに榊のもとを去っていった。それが起こって三日間ほどは、榊はそのことを受け止めることができませんでしたが、それでもなんとか日常に戻ろうとました。
それからしばらくして、出ていった母から呼び出しを受けました。きっと何かわけがあったはず。きっと戻ってきてくれるはず。そんな期待を抱いて母に会いに行った榊ですが、そこで聞かされたのは、別の男を好きになったから家族を捨てたという事実。実の親のW不倫という、多感な高校生にはあまりにも衝撃的な告白。母曰く、「お母さんは千紗のことがきらいで出ていったんじゃない」ということを、顔を見て伝えたかったゆえに設けられた会合ですが、それが榊の救いになるかと言えばそんなことはなく、むしろ彼女の神経を逆撫でし、

出てったらきらいと同じよ
ウンコみたいなキレイごと言ってんな この色キチ
(2巻 p86)

というTOP OF THE BARIZOGONを投げつけられる結果に終わりました。
このTOP OF THE BARIZOGONが榊にとってのポイントオブノーリターンであり、以降、今まで好きだった母親への感情がすべてひっくり返りました。大好きだったから大嫌い。かわいさ余って憎さ百倍の言葉どおりです。
母を嫌う感情の苛烈さは、榊を縛りつける呪いのごとく。
たとえば、「色キチ」な母のことなんか理解したくないから、「千紗も好きな人ができたらわかる」という母の言葉を、「私 一生恋愛しないから」と切って捨て、10年後まで延々と彼女の心をからめとっています(「榊さんて彼氏とかいるんですか?」「いらない」という直達との会話はその証左です)。
また、母への怒りが、かつて彼女を好きだった自分を消し去りたいと思うほどに苛烈だから、「怒ってた自分をいなかったことにし」、このマインドセットが、「怒ってもどうしょもないことばっかり」という心構えにつながりました。
そう、榊が母と別れてからずっと自分に言い聞かせていた心構えであり、もう会うことはないと思っていたからこそとっていた心構えです。

会ってしまったから怒るしかない 動き出す榊の時計

こうして榊は、「怒ってた自分をいなかったことにし」ました。でも、怒りが消えてなくなったわけではありません。だから言うなれば、母を怒った時からずっと、榊はいないまま。母に怒った16歳のその時から、今に至るまで。いるのは、母を怒る前の、子供の榊。
榊父の旧友である教授が榊について言った、「千紗ちゃんはいつまで16歳でいるつもり?」や「千紗ちゃんの止まっていた時計」という言葉は、そんな彼女の状況を指しています。
余談になりますが、榊が当初、直達を事態から遠ざけようとしていたのは、まさに彼女の心が16歳で止まっていたからでしょう。

あの子はいい子だよ …大体
子供には関係ないじゃない
(1巻 p57,58)

子供は知らない方がいいこともあるんじゃないの
(1巻 p85)

「あ でも直達くんから言ってくれるってさ」
「ああ!? コドモに何させてんの…」
(1巻 p183)

奇しくも直達は16歳。かつて榊が母から捨てられたときと同じ歳です。
あのときの自分は、こんな事態に直面して、大きな傷を負った。あのときの自分は、そんな目に遭いたくなかった。誰かに守ってほしかった。
そう榊は思ったから、かつての自分を助けたかった代償行為として、直達を守ろうとして、自分たちの親に関する不快な話から遠ざけたんじゃないかなと考えます。
閑話休題
榊の止まった時計は、母の不倫相手の息子である直達が現れたことで、周囲の歯車ごと軋み始めました。いくつもの歯車が少しずつ動いていったことで、ついに母親に会いに行くことにした榊。直達と二人、母と対面しました。
そしてこの時点で、これまでの榊の心構えの、「会うことはない」という前提が崩れました。崩れたからには、「怒ってた自分をなかったことにし」たままではいられません。「怒ってもどうしょもないことばっかり」なんて言ってられません。言い訳めいた母の言葉をこれ以上聞きたくなくなった直達が退出を促すも、「怒らないのは許してるのと同じよ」と、自分が今まさに怒っていることを表に出すのです。
そんな榊を見て直達は、「怒ることでしか繋がれない」と内心にこぼしました。これは、それまでの状況の裏返しで、すなわち、今までは繋がっていなかったから怒ることもできなかったけど、繋がった、現に対面してしまったからには、怒ることしかできないのです。
榊は今まで、母に怒っていた自分をずっといなかったことにしていましたし、それは、怒りの対象である母ももういないものとしていたことと同義です。でも、今目の前に母がいる。じゃあもう、怒るしかない。母と別れた時に止まった榊の時計が、母と再会したことで再び動き出したのなら、その針は、母に対して怒っているところから動き出すしかないからです。
子供の自分が怒っていた母が目の前にいる。怒る対象が目の前にいる。なのに怒りを放棄するのは「許すこと」にほかならないし、それはできないこと。
そんな心構えの変化が、対面したときの心構えの変化であり、もう会うことはないと思っていたにもかかわらず会ってしまったときの心の在り方なのです。
これが、一見矛盾するような榊の心の在り方に対する、私の解釈です。
ですから、「彼女は怒りたかったのかどうか」という問いには、「もう会うこともないと思っているときには怒るつもりはなかったが、いざ会ったからには怒るしかなかった」という答えになります。

怒ると負けよ 罪・悪・感

さて、そんな彼女の怒りに対するスタンスを確認したうえで、もう少し話を続けましょう。
母との対面で怒りが最高潮に達するその瞬間に、母の義理の娘が家に帰ってきたことで、なし崩しのうちに榊たちは退出せざるを得ませんでした。
近くの海で、感情の高ぶりを抑えられないまま、涙をこぼして榊は言います。

怒るつもりはなかった
私が怒ったら 負けだってわかってたのに…
(3巻 p23)

さて、ここで榊が言う「負け」とは何のことでしょう。不倫して出ていった母との再会に、勝ちも負けもありません。にもかかわらず、榊は「怒ったら負け」と考えていたのです。
これはきっと、三人で対面しているときに直達が言った言葉がカギになります。

帰りましょう
怒って暴れ回ったところで このオバチャンの罪悪感が軽くなるだけじゃないですか
(3巻 p13)

この「オバチャンの罪悪感が軽くなる」ことが、榊にとっての負けになってしまうことだったのだと思うのです。
直達がこれを言ったのは、直前の榊と母のやり取りで、こうやって榊に怒りをぶつけられることを望んでいるかのような言葉を母が吐いたからです。
16歳の榊に言ったように、母は好き好んで榊を捨てたわけではなかった。榊を捨てたことに(そしてあんな、TOP OF THE BARIZOGONをぶつけられるほど娘を怒らせたことに)少なからず以上の後悔をしていた。そしてきっと、榊自身もそれを察していた。だって、母のことが好きだったから。母が自分を好きだったことも知っていたから。だから榊は、怒りをぶつけられれば母は、実の娘からの怒りという罰を受けることで、罪悪感を減じるであろうことも想像できていたと思うのです。
かつて榊は母を好きだった。これは重要な事実なので何度でも言いますが、それ以上に重要な事実は、榊はそんな母に裏切られて、愛情以上の憎悪を抱いたのです。
好きだったけど、それ以上に嫌い。そんな人間の罪悪感を軽くなんてしてやりたくなかった。
だから、「怒ったら負け」だったのです。でも、それ以上に、こうして面と向かってしまったからには、「怒らないのは許してるのと同じ」だったのです。
とても根深く心がこじれています。

過去の肯定 未来の約束 時計の針は今進む

母を許せなかった榊は、母を理解したくないために恋愛をしないと宣言し、母の罪の意識を軽くしたくないために母を怒ろうとせず、そしてなにより、母の罪をなくさないために幸せになろうとしませんでした。16歳の、母に捨てられた不幸な子供でい続けることが、その罪を犯した母に十字架を背負わせ続ける最良の手段だと(おそらくは無意識に)考えたのです。
自分が幸せになることは、母への怒りを忘れること。少なくとも、それにとらわれなくなること。でも、そうしたら母の罪はなくなってしまう。母を怒っていた自分がいなくなってしまう。つまりは、母を好きだった自分が。
母が大好きだったからそれ以上に母を嫌いになったけど、母を嫌いになったけどそれでもまだそれを生むきっかけとなった好きは残ってる。
好きと嫌いは差し引きできるものではありません。90の好きと100の嫌いで、10の嫌いが残るわけではなく、あくまで90の好きと100の嫌い、両方が存在したうえで100の嫌いなのです。
母への怒りを忘れることは、自分が幸せになることは、母を免罪することであり、同時に母を好きだった自分も忘れること。100の嫌いと一緒に90の好きも手放すこと。榊はそう思い込み、幸せになろうとしてきませんでした。
でも、直達が言ってくれました。

榊さんが幸せになることで それが榊さんのお母さんの免罪符になるわけじゃないし
ずっとお母さんのことを怒ってた自分がいなかったことにされたりはしないです
俺がずっとおぼえておくので
榊さんが怒ってたことは ずっと俺がおぼえておくので大丈夫です
(3巻 p61,62)

榊は母への怒りを忘れていい。母を嫌いになったことを忘れていい。それで母を好きだったことはなくならない。なぜなら、自分がおぼえておくから。だから、榊は幸せになっていい。
私には、直達がこう言ったように思えました。
この直達の言葉に、榊は海でのものとはまた違う涙を流します。

ずっと 怒ってた自分をいなかったことにしてたのは私自身だったのに
こんな気持ちになるなんて思ってもみなかった
見つけてもらえてうれしい
(3巻 p64,65)

榊がずっと押し殺して目を逸らしてきた、母を嫌い、母を好きだった気持ち。それを見つけてくれた。それがあっていいと言ってくれた。認めてくれた。そのことが、涙が出るほどうれしかった。
「好きな人ができたらわかる」という母の言葉を榊は雑音と言い、それは一生消えないのかもと自嘲交じりに独白しますが、「雑音とともに生きてやる」と決意します。

右手に雑音 左手に約束
もう どこへもいけないような気分は おしまい
(3巻 p66)

雑音とは、過去に母から投げつけられた言葉。
約束とは、ずっとおぼえているといってくれた直達の未来への誓い。
過去と未来。両方を手にしたことで、母と別れたあの時にずっと縛りつけられ、どこへも行けなかった榊は、新しい一歩を踏み出せるようになったのです。

最高のハッピーエンドだな

こうして、榊の過去の清算はひとまず済み、彼女は子供から抜け出せるようになりました。
そしてさらに一年。お互いの思いの変わっていなかったことを確かめた榊と直達は、「最高の人生にしようぜ」と誓い合い、二人で幸せを作っていくことを決意しました。榊の裡でどこにもいけずに渦巻いていた水は、ここで外に海に向かって流れ始めたのです……。
最高のハッピーエンドだな。
こうして、母への愛情と怒りにとらわれていた榊の心が、未来に向けて流れだすまでを読み解いてみました。
先にも書いたように、説明的なセリフほとんどなしに、ここまで繊細に揺れ動く心理を描写することに、うっとりしてしまいます。
さて次回は、もう一人の主人公である直達について読み解いてみたいと思います。どうぞよしなに。



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*1:現実世界では不自然かもしれないけれど、物語の中で語られる分にはひっかからずに読める、ということです。