無能の日々とそれでもおいしいご飯 生と死を思う孤独のグルメ 『ご飯は私を裏切らない』の話

29歳、中卒、恋人いない歴イコール年齢。週七でバイトをして生計を立て、なんとかその日を生きている。バイトで失敗をしてはクビをおそれ、家に帰っては愚痴をこぼす相手もなく、ただ口へ運ぶ食事にわずかな幸福を感じる。どこにも通じている気のしない人生で、ただそれだけが、文字通り日々の糧……

ということで、heisoku先生の『ご飯は私を裏切らない』のレビューです。
ネットで連載が始まって即座に、静かに、だけど強烈な波紋を起こしていた本作。内容は冒頭のとおりで、主人公の「29歳 中卒 恋人いない歴イコール年齢」の女性が、バイトに行っては労働の辛さに喘ぎ、自分の無能さに嘆き、未来の暗さに呻き、ただご飯を食べている時だけはそこに幸せを感じている物語。
誰が呼んだかプロレタリアグルメ漫画
名もない彼女が毎日毎分毎秒感じている息苦しさと、それでもご飯を食べているときには幸せを感じずにはいられない人間の根源的本能。笑っていいんだか一緒になって苦しんでいいんだかわからない、何とも奇妙で奇特な味わいの作品です。
物語は主人公の独白で語られていきますが、それがとにかく後ろ向き。

29歳 中卒 恋人いない歴イコール年齢
友人なし バイト以外の職歴なし 頼れる人は誰もなし
改めて自分を見つめなおすとやばい 頭痛がしてくる 何もない人生 これからどうしたらいいのか?
(p6)

「誰にでも出来る簡単な仕事」と書いてある仕事ほどクビになりやすいのなんでだろう
簡単とされている仕事ほどある種ハードル高い
いや本当に
(p7)

働いて収入を得てご飯を食べて 身体的な生存維持はできるけど
働いて役に立ってる実感は全くなく むしろ損を与えてる そんな行動を一生続けていけるか
いつか耐え切れなくて 結局 心が先に死んじゃうのかな
(p47)

自分で自分のことをどうにかするのは…
人のために何かをするよりもっと難しく感じる
辛い…
(p68)

こんなことを延々と。その文字の多さはHUNTER×HUNTERともいい勝負なりそうなくらい。漫画というよりいっそ、豊富にイラストがあるエッセイと表現してもいいくらいです。
エッセイというのはあながち間違いでなく、この主人公はまさに自由な随想として思考を広げていきます。ただし、上記の引用の通り、かなり後ろ向きに。
とにかく彼女は自己評価が低いのです。「29歳 中卒 恋人いない歴イコール年齢」という自己規定からスタートし、それに絡めとられているため、その状況から抜け出すイメージがわかない。通信制の短大に通うことを一考するシーンもあるのですが、どうせすぐに挫折すると、あっという間にそのアイデアを放り投げます。
ろくな過去がない。そこから地続きのろくでもない今がある。なら、その先の未来がろくでもなくないわけがない。そんな圧倒的論理帰結。
「今日より悪い未来が絶対待っている!!」は、あまりにもネガティブに強い彼女の確信です。
バイトとはいえ日々の糧は得られているため、差し迫った危機はありませんが、展望のない未来に漠然とした不安が常につきまといます。漠然とした不安は、希死念慮にも似た思考を導き、彼女は、どこで生まれどこで死ぬかわからないアメリカギンヤンマに憧れ、自然界の食物連鎖に組み込まれていない現代の人間に落胆し、地球上のほとんどの生命にとってその死は困窮の中で終わることに安堵する。
彼女は死にたいわけじゃない。でも、なにかしたいわけじゃない。何かのために生きたいわけじゃない。

誰かに生きろと言われているわけでもないし
生きていることに 特に意味はないけどね
(p22)

生きているから生きている。そんな惰性の暮らし。
日々目減りしていく未来から目をそらし、足元の今と背後の過去を見ながら、あらぬ方向へさまよう思考にふける。
でも、そんな彼女が少しだけ未来を考えられるのが、ご飯のこと。ご飯のことを考えれば、少しだけ明るく未来のことを考えられる。具体的には、明日はお米を研いで炊飯器のスイッチを入れておこうとか。
ご飯はおいしい。おいしいから、気分は明るくなる。

いくらとバターだけでも十分に美味
アレンジはいくらでも可能
いくらだけに
(p10)

ローストビーフいくら丼
ついいくら乗ってるやつにしたけど ローストビーフと合うの…?
温泉卵も乗ってるけど… 温泉卵といくらは混ぜて旨いの…?

普通に旨い想像していたけど 予想よりもっと旨い
やはり肉は期待を裏切らない
(p30)

良い
やっぱりチーズは最強
(p62)

とはいえ、明るくなったところで、すぐに考えだすのは生命の無常さ。たとえば大好物のいくらを前にしても、

いくらを食べていると 生き物とはこうやって小さくまれて小さく死んでいくものなんだと思える…
この世で何も為さなくても別にいいんじゃないかな…
そんな気持ちになる…
(中略)
いくらが私に囁いてくれる… 生き物の実態はむしろ死に物じゃないかなと…
殆どの生き物にとって死ぬほうがメインストリームじゃん…
(p11、12)

どこまでいってもこの彼女、生の辛さを見つめるか、あるいは目をそらすか、もしくは達観するか。いずれにしろ生の辛さから離れることはできないのです。
彼女に救いがあるのかないのか。そもそも救いなんてあるのか。救いとは何なのか。作中で彼女自身が、10億円があれば絶望なんかしないと、即物的でいてどうしようもないほどに正しい救いを求めていますが、それは夢物語でしかないと彼女自身がよく知っています。
今日より悪い未来が絶対待っている。そうわかっているのに、なにをすればいいのかわからず、そもそも本当に何かしたほうがいいのかと諦念を抱いてしまう。生きているから生きている。
それでも、ご飯は私を裏切らない。ご飯をおいしいと思った私の感情だけは、確かに私が得た何にも裏切られない真実。それが救いなのかはわからないけど。
web-ace.jp
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読んでて前向きになったり、救われたり、そういうお話ではないと思います。少なくとも、私にとってはそうではありませんでした。ネガティブな人間のネガティブな思考が横滑りし続けていく様を特等席で目の当たりにしているような、ある種の悪趣味さすら感じるような作品です。ただ、その悪趣味さはほかの作品になかなか見られぬ魅力であり、一読する価値はあるでしょう。



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