『鬼滅の刃』あけすけな言葉と物語の推進力の話

今更ながらに手を出した『鬼滅の刃』。
鬼滅の刃 1 (ジャンプコミックス)
今月から買いだしたのですが、アニメ化によるフィーバーのあおりを受けて、5巻まで買ったところで品切れ。10月後半の入荷で8巻まで買ったもののまたすぐに品切れ。11月の再々入荷まで待たなければいけません。人気すごい。
ということで、まだ8巻までしか読んでいな状況なのですが、この作品の魅力の一つは、ストーリーの推進力であると感じます。とにかくキャラクターが話を引っ張っていくので、退かない、たゆまない、ゆがまない。そしてその推進力の根底には、どのキャラクターも備えている、まっすぐさがあります。猪突猛進は伊之助のセリフですが、彼に負けず劣らずどのキャラクターも己の理念に忠実で、やるべきことに一直線です。
それは別の言い方をすれば、迷わないということ。惑わないということ。
いえ、正確に言えば迷いもするし惑いもするのですが(炭治郎のセリフやモノローグでも、どう戦おうか迷ったり、逃げるべきか否か惑うシーンは出てきます)、その迷いも惑いもすべてさらけ出し、その裏側に別の思惑が存在しているような様子が一切ないのです。
炭治郎がどう戦おうか迷うのは、どう戦えばいいのかわからないから。逃げるべきか否か惑っているのは、どっちを選ぶほうがいいか判断をつきかねているから。そんな迷いや惑いに、直接的な理由以外の事情が見えないのです。
要するに、彼や彼女の思いがなんらかの言葉をとったとき、それは心情をあけすけにあらわしたものなのです。葛藤がないのではありません。葛藤をすべて言ってしまっているのです。
炭治郎が鬼に対して怒り、憐れみ、悼むときの言葉。
善逸が己の弱さや意気地のなさを吐露する言葉。
伊之助が敵を前にして血沸き肉踊り、あるいは恐れ戦いているときの言葉。
これらはすべて、いっそ説明的といえるほどに彼らの心情を率直に表しており、それゆえに、話の展開に淀みを作らず、真剣のごとくに切れ味鋭く内面を表し、キャラクターの思惑は剣戟のごとくに火花散るものとなっています。
こう書くと、ただの説明臭い作品となりそうなのに、しっかりと展開に起伏のある熱い作品になっているのは、おそらく、その言葉が必要最低限のものにとどめているからでしょう。必要な言葉は漏らさず書くけど、必要以上の言葉は極力書かない。そんな抑制があるから、テンポよく展開していくのだと思います。
また、このキャラクターのあけすけさは、ストーリーの展開以外に、コメディ面でも作用しています。炭治郎・善逸・伊之助の三バカがバカをやっているとき、あまりにもあけすけにバカをさらしているものだから、そのシーンでは本当にそのバカなことしか考えていないように見えるので、コメディ部がストーリーの重苦しさを引きずらないのです。このライトな感じ、ホント好き。

続きが一刻も早く読みたいので、早く品切れ解消して…お願い……



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