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漫画の話です。

文学の世界と世界の中心の女の子『児玉まりあ文学集成』の話

校舎の隅っこ、地学部の部室を乗っ取った文学部。そこにいるのは唯一の部員、児玉まりあ。まるで詩のような話し方をする児玉さん。彼女が言葉を紡げば、そこには文学が生まれる。文学部に入部するため、僕こと笛田君は部室まで毎日通う。彼女の入部テストは厳しく、笛田君はなかなか入部できない。なんとか合格すべく、今日も今日とて笛田君は、児玉さん直々の入部テストに付き合うのです……
児玉まりあ文学集成 (torch comics)
ということで、三島芳治先生の新作『児玉まりあ文学集成』のレビューです。
いつも難解な言葉を口にする謎めいた美少女・児玉まりあと、信奉するかのように、崇拝するかのように、彼女のいる文学部へ通う笛田君。ある時は比喩、ある時は語彙、ある時は記号、またある時は語尾。いつも彼女は、煙に巻くかのように、楽しむかのように、文学に関する難解な話をあふれさせ、笛田君はなんとかそれを理解しようと躍起になる。でも、いくら頑張っても児玉さんの影すら踏めず、彼は文学の前に崩れ落ちるばかり。
この物語は、笛田君がひたすら児玉さんから文学の薫陶を受け、文学の真理の一端に触れ、文学の難解さに愕然とし、そして一人の女の子である児玉さんがかわいい漫画です。
この作品における文学。それは以下のセリフで端的に示されています。

木星のような葉っぱね」
「それはどこが」
「意味はなかった でも今私が喩えたから この宇宙に今まで存在しなかった葉っぱと木星の間の関係が生まれたの 言葉の上でだけ これが文学よ」
(p6,7)

文学とは、言葉で意味を生み出すもの。言葉で関係を創造するもの。
この宇宙に今まで存在しなかったものも、言葉にすることで生み出せる。それが文学だというのです。
世界は言葉によって認識されている、言葉によって構成されている、言葉によって形作られている。ならば、世界にない言葉が生まれれば、世界にはその言葉に対応するモノコトを生み出すのではないか。
ある話の中で、児玉さんがありもしない言葉を口にしたせいで、世界に新たな物質が生まれました。
児玉さんは言います。
「案外神様もこんな風にこの世界を作ったのかもね」
その昔、神様は天地を創造した後に「光あれ」と世界を形作っていったそうですが、本当は「言葉あれ」とおっしゃったのかもしれません。
そんな絵空事、あるいは文学が、軽妙にそして玄妙に、なによりかわいらしく描かれている作品です。
児玉さんは、笛田君が文学部へ在籍するに足る人間であるかどうか、テストをしては彼を落とし、そしてまたテストを繰り返します。そんなことをもう一年ばかりも繰り返していたりして。彼女が笛田君に向けて発する言葉、あるいは文学は、世界に意味を与え、世界のモノやコトに新たな関係性を与え、時には新しい存在だって生み出したりして、笛田君の世界をどんどん複雑にしていくのです。
でも、その中心にいるのは、ただの女の子。少し変わっていて、少しかわいい、たまに不思議な言葉を口にする、その他大勢から見ればどこにでもいるような女の子。
でもきっと、文学部に入りたくてたまらない笛田君にとっては、彼女はまるで文学のように、あるいは世界のように、複雑で、難解で、神秘的で、超常的な、唯一の女の子。世界でたった一人の女の子。
誰にでもある勘違い。どこにでもある特別な感情。ひょっとしたら文学は、そんな気持ちを表すために生まれたのかもしれません。
なんちゃって。
難しいことを言っているようで、大事なことを言っているようで、空疎なことを言っているようで、哲学的なことを言っているようで、その実ありふれたエンターテインメント、でも唯一無二のエンターテインメント。まさに文学。それがこの作品です。
試し読みはこちらから。
トーチweb 児玉まりあ文学集成
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