『へうげもの』価値の相対化と「清然」の話

最終巻が発売されてしばらく経ってしまった『へうげもの』。
へうげもの(25) (モーニング KC)
衝撃的な古田織部の最期(?)に拙者の固き丹田も緩み候えば、何を書いていいものやらと思案していたのですが、全巻再読して、ようやくいくつかポイントが見えてきたので、それをまとめていこうと思います。
今回はタイトルのとおり、

戦国の世と『へうげもの』の価値観

本作の主人公である古田織部の生き様を通して描かれていることとに、価値観の相対化、あるいは絶対的な価値観の否定、というものがあります。
そもそも本作の舞台である戦国時代といえば、まさに戦国の名のとおり、戦で勝つことが武士の命題であり、そのためにどう生きるか、武士とはいかにあるべきかという「武」の価値観が幅を利かせている(少なくとも、創作物ではそう描かれる)ものですが、『へうげもの』では第1話から、主人公の織部が、武で成り上がり大大名を目指すと同時に、物(名物)に対し並々ならぬ価値を置いているのが見て取れます。

戦国の世に武人として生まれた以上…… やはり目指すは天下にその名を轟かす大大名……
そう 次々と他国を我がものにし…… 帝より「蘭奢待」という香木まで譲り受けた……
主君・織田信長様のように
俺も…… 俺も欲しい…… 「蘭奢待」が……!!!
(一巻 第一席)

主君・信長に憧れつつ、信長の持つ「蘭奢待」を欲する。さらにそこから流れるように、信長のお召し物と家臣の具足を品評し始めるあたり、「武」と同時に「数奇」にも心をやっているのがよくわかります。
このような織部を筆頭に、話を追うごとに登場する武人たちの多くが、「武」以外に「数奇」に価値観を見いだしています(「数奇」が何を指しているかはかなり多岐にわたるのですが、今はひとまず、物や所作、術理に見いだす美、としておきます)。
つまるところ本作は、戦国時代にステレオタイプで考えられる「武」という強い価値観に対するカウンターとして、「数奇」という価値観を置き、価値観を相対化している、あるいは絶対的な価値観などないとしている、と言えるでしょう。

価値観の変容

価値観が相対的であるとは、異なる複数の価値観が永続的に存在し続けるというものではなく、時が流れるにつれ、どのような価値観(「数奇」)が世間に、あるいは個人に好まれるかも変化しうるということだと言えます。本作では、そのような価値観の変遷が多くの個人において見られます。
たとえば主人公の織部は、まず「武」と「数奇」の間でもふらふらしていました。利休と強く接すれば「数奇」に寄り(「あの茶碗はお譲り致す 代わりにそれがしを弟子にして頂きたい」(一巻 第四席)、信長に強く接すれば「武」に寄り(「俺は…… 茶の湯以上の興奮を得てしまった……」(一巻 第五席))と、短い期間で心は簡単に揺れています。
また、信長から賜った南蛮漆器蒔絵箱にも、最初はその「鮮やかな緑の光沢」に目を奪われるも、信長亡き後は「華に浮かれ「箔」好みに走った己が……(中略)尻の青さをのぞく心持ちになる」という思いに駆られ、わび数奇に留まらぬ「数奇」の面白さを自覚した後には「この鮮やかな螺鈿の緑が…… 今は地より吹き出る芽の如く心地良う見える……」と、後の緑への傾倒の萌芽を見せています。
後には筆頭茶道として「数奇」の第一人者と目される織部ですが、その生涯を通じ、何に価値を見いだし何を価値なしと見るのか、ふらふらぷらぷらと揺蕩っているのです。
その他、それがどういうものかわかっていなかった明智や、派手好みの秀吉が、「死に近づけば近づくほど」「はっきりとわかってくるもの」である「わび」に開眼する様子も描かれています。わび数奇こそ至上の価値であるという業に囚われていた利休も、筆頭茶道の辞職を願い出た後は「憑き物が落ちたよう」に、かつての「面白きもの」を求めた自分の姿を思い出しました。
また個人を離れた世間も、利休好みのわび数奇、秀吉や伊達の華、織部のへうげなど、目立った者が発信した価値観に簡単になびいていきます。
このように、個人の内でも、世間でも、また「数奇」の中でも、なにを良しとするかは時流によって変わっていくのです。

清然というあり方

大事なことは、主人公である織部自身が、この価値の相対性について強く自覚的であることです。
利休を介錯した後、筆頭茶道となった織部は、師である利休が考えたわび数奇の按配を改めました。

殿下が信長公の御志を時流に合わせて実現されておるのと等しく…… それがしも数奇において同じことをしておるのです
利休居士は…… 作庭をはじめあらゆる作事の良い配分を渡り六分景四分としました
それをそれがしが時流に合わせて改めたのです 渡り四分景六分と
(十二巻 第百二十五席)

時流に合わせて改めるということは、また時が流れれば、織部の考えた渡り四分景六分も、変わりうるということです。それも織部は承知しています。

場の雰囲気面白さとは…… 刻と共に移ろいゆくもの……………
なれば型とて移ろいに合わせ変わらねば……… 私の創りし今の型を不動にしたら……… 後世の者は茶席に面白さを感ずる事ものうなりましょう
変幻自在 融通無碍 かような「茶の湯」で良いのでござる
(十七巻 第百八十四席)

自分の創った「今の型」は不動でなくてよい。面白くなるのであれば変幻自在に変えればよい。自分の価値観が一時的なものである=絶対的なものではないということをよく自覚している織部の心がよく出ている台詞です(かつて出会った丿貫の影響も強く見られます)。
そして、そのような織部の心を一言で表した言葉こそ、望覚庵に飾られた「清然」です。

清く然るがままに…… 禁欲しつつ我がままにという事よ
利休居士の草庵の定石の中に己が好みの我がままを入れる……
この矛盾が「乙」と化し 一笑へとつながるのだ
(十一巻 第百十五席)

この考え方には、価値観の相対性、一時性以外にも、重要なポイントがあります。それは、価値の変化が漸進的であるをよしとする、ということです。
既に存在する定石を全否定するのではなく、それを活かしつつ、己の好みも我がままに入れていく。定石を単に全否定し、それを無視した自分の我がままだけで創ったもてなしは、相手への一方的な価値観の押しつけにしかなりません。あくまで、主人と客の間で共通見解としての定石があり、その中へ己の好みをそっとまぜることで違和感が生まれ、そこに座の一笑が起こるのです。
織部の好み「へうげ」や「一座建立」などにもその考えは見られますが、長くなるのでそれはまた別の機会で。

清然と政

さて、清然は数奇に限った話でなく、政にも適用できると織部は考えました。少なくとも、彼を師と仰ぐ秀忠はそう考えました。
いよいよ織部切腹の沙汰が下される段になり、かねてより父・家康のやり方に不満を持っていた秀忠は、父を手にかけてでも織部切腹を止めようとしましたが、すんでのところで織部からの手紙を受け取り、そこに書かれていた「清然たらん事を」の言葉に身を引き裂かれそうになりました。

禁欲しつつ我がままに……
政においても………… 所々は我を出し新しうを変えるとて……………
父の体制を保てと申すのか………!!?
(二十五巻 第二百六十八席)

織部がそう書いたのは、想像するに、体制=価値観の根底的な変化は、国内に大きな波紋を呼ぶと考えたからでしょう。おそらくそれは、秀吉から家康、織豊から徳川への変化の渦中にいた織部が、芯から実感していたことのはずです。
形は違えど「数奇」を政の中に活かしていた織豊時代と違い、徳川政権となってからは、数奇は蔑ろにされ、武家とそれ以外の峻別、平和のためには民は愚かでよいという家康の価値観でもって、「毒」を排した政が行われました。しかしそれは、「数奇」を好む他の大名の反感を買い、反徳川の機運を高めるもので(家康自身がそれを企図していたとしても)、国内に火種を残すものでした。
ここでまた秀忠が父・家康のやり方を全否定しては、今の火種が消えてもまた別の火種がくすぶるだけ。まがりなりにも一応の安定を見たのだから、みだりにそれを乱すようなことをすべきではない、変えるならあくまで清然に。家康の体制を保ちつつ、所々に我を出し新しくしていく、漸進的な変化が良かろうと、織部は考えたのでしょう。「その場その場で己が都合の良い方につき」、戦国時代を生き抜いた乙将の織部は。

おわり

以上、価値観の相対性について、織部と「清然」をキーワードに概観してきました。
これ以外にも「数奇」や「わび」「へうげ」「一座建立」など、ポイントとなりそうなキーワードはまだあるのですが、とりあえずここまでとしておきます。『へうげもの』は読み返すのにすっごい疲れる……



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