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この世界を生きる それはとても優しく悲しく辛く楽しく、そして強い日常『この世界の片隅に』の話

映画『この世界の片隅に』を観てきました。いい……とてもいい……
身も蓋も無い程号泣するかなとも思ったんですがそういう風でもなく、じんわりぐっと涙がこみあげてきて、頬をつうと伝う感じの落涙。いい……
以下、ネタバレ上等の感想。でも、ネタバレで魅力が薄れるタイプの作品ではないので、読んでもらってもいいのかなと思います。一応隠しておくけど。

  • なによりの感想は、優しい物語。そして、柔らかい物語。戦争の悲惨な物語ではないし、反戦を訴えるような物語でもない。ある時代のある場所の、世界の片隅で生きる人の物語。楽しいこともあるし、嬉しいこともあるし、驚くこともあるし、死にたいほど辛いこともあるし、身を引き裂かれるほど悲しいこともあるし、でも、それでも生きている、何処にでもいる人の、当たり前で、万人万色の、日常の物語。誰にでもある当たり前で、でもその人にとってはかけがえのないドラマを、情感柔らかく描き出した優しい物語。
    • 戦争前後時代に広島での物語なので戦争の描写は出てくるけど、それはたとえば現代日本の墨田区を舞台にしたらどんな物語にするにしてもスカイツリーは登場するだろうし、60年代のアメリカを舞台にすればベトナム戦争の匂いはどこかしらでするだろう。そういうレベルの話。要は、そういう時代のそういう場所に住んでいた人の物語だということ。
      • ただ、どこまで本気なのかはわからないけど、本作を観て反戦映画だという感想が出るのであれば(ネット上で見ないこともないので)、やはり人間、物事を見たいようにしか見ないのだろうと思う。それはいい悪いではなく、そういうフィルター、偏向性があるという話。きっと自分の見方にも自分なりのフィルターがかかっているだろうし、感想を書いた自分にしてみれば自然な感想でも、別の人から見れば「なんでこんな感想が出るのか」「なぜそんなところに目が行くのか」という点があるはず。もうそれはそういうものだけど、でもそれがいいじゃない(byみうらじゅん)。
    • そして、とてもユーモラスな物語。館内で何度も笑い声が起こった。ギャグというよりはユーモア。昭和の笑いというか。基本的には原作に存在するネタなんだけど、原作は非常にテンポが早く、紙芝居的とでも言おうか、コマとコマの間の省略が多いので、ある意味で読解力を要求される笑いであるのに比べて、映画ではシーンに連続性があるので(それでも最小限だけど)、老若男女みんな笑える。まだ小さい子供も笑ってた。
      • 嫁入りシーンの、仲人さんへのあいさつとか、祝言時に人前でモンペを脱ぎだすとか、帰り際の両親の「アンタはドタバタしとったよ!」とか、原作ではさらっと描いてるのを、柔らかく、理解しやすいように、でもちゃんと面白さを残して膨らませているの、本当にうまいなあ、と。
      • でも、たとえば序盤の、浦野三兄妹が大潮の日に海を渡るシーンで、すずとすみが泥にまみれるけど兄は無傷だったはずなのに、親戚宅へ着くと三人とも泥だらけだった。兄が汚れるシーンを描いてないのに、三人でふざけるシーンはあるので、観客は「ああ、見えないところで兄も妹たちのせいで汚れたんだな」と理解し、笑う。そういう、ある意味で不親切な、観客に読解を要請する笑いもある。そしてそれがちゃんと面白い。省略と描写の塩梅が適切過ぎる。
  • 声優が良かった。
    • すずの声はのんで間違いない。油で調理した秋ナスくらい間違いない。
      • 秋ナス好きなんです。油で調理すると間違いない美味しさですよね。
      • それはともかく、もともとTVや映画を全然見ない人間なので、そもそものんの声を全然知らず、すずの声を聞いても「あ、のんだ」と思うことはなかった。でも、そんなことは関係なく、声優として非常に上手かったと思う。
        • 開始一分くらいの、小舟の上での「へへ」でやられた。かわいすぎる。
          • ちなみに私が『君の名は』を観ない理由は、男性主人公の声が圧倒的に受け入れられないからです。ごめんなさいあれは無理。
            • ついでに言えば、『サマーウォーズ』を好きになれない理由の一つも、主人公の声だったりする。
        • どのシーンだったか失念してしまったけど、穏やかな声の中に怒りを滲ませていた演技も非常に良かった。表面上は穏やかな声なのに、奥底に込められた怒りが漏れ出てしまい、そのせいで穏やかな声もわずかに震えてしまう、という感じ。良い。
    • 他の声優の声も、誰もかれもキャラクターに合っていた。文句がない。
  • 歌も良かった。
    • OPが「悲しくてやりきれない」のカバーで、いきなりそんな歌詞の曲を持ってくるかと思ったけど、コトリンゴの声が優しく物悲しく、温かさと冷たさが入り混じった夕焼けの空気のような、懐郷をもよおすいい歌です。
    • ED「たんぽぽ」もよい。音数の少ないもの静かな曲。でも、明るさと、やっぱりもの悲しさがある曲。寝る前に聴いたらいい夢を見てそのまま死んでしまいそうな曲。超褒めてる。
      • ええ、両方ともiTunesで早々に購入しました。この記事書きながらずっと聞いてます。
    • 義父が入院してるシーンでムーンライトセレナーデが流れたけど、グレンミラー楽団あたりのを使っているのかと思ったら、エンドクレジットを見るに、それ用に録り下ろしてる。
      • で、原作にはその曲、というか音楽は一切出てないのよね。大和が既に沈んでいるという、民間には公開されていない情報を義父が既に知っているという描写もあるので、そういう情報も入ってくるし「敵性音楽」も流せるという、病院のある種治外法権的な描写をしたかったのだろうか。
  • 映画の中で印象に残ったシーンをいくつか挙げてみよう。
    • まずは、小学生のすずが水原の代わりに描いた絵。海を眺める水原の背中と、海原を跳ねる白兎の絵。
      • あれは、描かれた絵そのものがすごく好き。ああいう優しい筆遣い、色遣いの絵はとてもいい。そりゃあ水原も、兄が死んだ海だろうとも嫌いになれまい。惚れもしよう。
        • 原作を読み返したら、もうその回の内に絵が賞をとったことが言われてるのね。映画では、水原が北条家に来た際のすずとの思い出語りのときに発覚したけど。
    • つづいて初夜のシーン。エロくない?
      • 衣紋と肌の隙間がエロくない?
        • エロくない?
          • わかってる。こういう視点が「なんでこんな感想が出るのか」「なぜそんなところに目が行くのか」だってのはわかってる。
            • でもエロくない?
    • 海や艦船の絵を描いていたすずが憲兵に見つかるシーン。
      • ちょっと面白すぎやしませんか。原作の感じも好きだけど、映画の描き方もすごく好き。笑えるシーンとしては一番好きだった。
      • 艦船ついでに言うと、艦これで提督業もこなしている私としては、既知の艦船が登場することに妙にグッときました。アオバワレェ!
    • 闇市に行ったすずが、物品の値上がりにわななくシーン。
      • 原作を読んだ当時はわからなかったけど、映画を見て気づいた。あれ、現在のレートを言っているメタ的なネタだったのね。
    • 水原が北条家に泊まるシーン。
      • 人妻になっているすずに、無神経とさえ映る態で振る舞う水原と、それに嫉妬する周作。納戸で眠る水原のもとへすずが行火を持って行く際に戸の鍵を締めたのが、夫である周作だと明示され、翌日以降の描写も含めて、周作の内心にすごくグッとくるし、誰の眼も届かない納戸の中でそれでも水原に抱かれなかったすず。気持ちのすれ違い。もう取り戻せないすれ違い。結婚前の、縁談が持ち込まれたと知らされたすずが家へ帰る時に水原とすれ違うシーンが、原作に比べて丁寧に描かれているので、二人の気持ちがよく浮かび上がる。
        • でも、周作の恋愛感情は、りんのエピソードがもっとあった方がよりグッとくると思ったんだよなあ。映画では一回しか登場しなかったりんが、原作では何度もすずと会っていることに、映画視聴後に再読して思いだした。原作にある、字の書けないりんが「ええお客さん」に名前などを書きつけてもらったエピソードや、りんどうのお椀、花見で亡くなった遊女の口紅を貰ったエピソードなんかが映画ではない。だから、途中ですずが口紅を塗った際に取り出したコンパクトに桜の花弁が入っていることの説明はないのよね。原作を読んでいる人へのサービスってことかしら。描いてはないけどああいうことがあったの、読んだあなたならわかるでしょ?と。
    • 戦争が激化し空襲が増える中で、人々がそれに順応していくシーン。
      • 最初は警報が鳴るたびにみんないちいち慌てていたのに、それに慣れると、しまいには防空壕の中であくびをしたりするようになる。空襲が日常になる。良くも悪くも、それが人間の強さ。日常の強さ、強固さ。
        • こういうシーンをして、日常の物語なのですよ。日常は強い。重大事すら、それが続けばいともたやすく呑みこむ。
    • 晴美が死ぬシーン。
      • その前後も含めて、多少改変したうえで、細やかに、でも大げささはなく、描いたなあ。胸が詰まる。
    • 「あれから九日後」
      • 空襲がいよいよ増える中、日記を書くように淡々と時間を経過させていって、八月六日のあの日をどう描くのかと思っていたら、日付を示した最後の日である七月二十八日の次に、「あれから九日後」。その婉曲さに、むしろ恐ろしさを感じてしまった。
        • それはそれとして、その二十八日の空襲の最中の、すずと周作のやりとりはもうちょっと丁寧に描いてほしかったなと思った。映画だけだとすずの葛藤がわかりづらかった。
    • 終戦後、実家に戻ったすずが、また呉まで帰ってきた時に、周作から名前を呼ばれるシーン。
      • 何度も、見知らぬ人から背恰好の似た行方不明の家族と間違えられる中、周作が自分の名前を正しく呼んでくれた。誰もが誰もの日常を生きるごちゃごちゃした世界の中で、私を見つけてくれた。私の世界を作ってくれた。この世界の片隅に、私を見つけてくれて、ありがとう。

世界にはすべての人間が、すべての命が住んでいます。私は、その世界の片隅にいるにすぎません。世界のまん中には、誰もいません。誰もが世界の片隅にいるのです。
でも、そんな世界とはまた別に、私たちは私たちだけの世界を、日常を持っています。私と、私の周りの少しの親しい人たちと、その周りのあまり親しくない多くの人たちと、さらにその周りの見ず知らずのこの世のほとんどの人たちとで作られている、自分だけの日常を。
その世界では、私はまん中にいます。すぐ隣にいるあなたも、あなたの世界ではまん中です。私の知らない誰かも、その人の世界ではまん中だし、そこでは私はほんのはじっこ、片隅です。
大きな一つの円の中で、無数の円が重なり合う、そんな世界。あまりたくさんの線が重なり合うから、時々私たちは眩暈がしてしまいます。心が疲れた時には、自分がどこにいるかわからなくなってしまいます。あんまり悲しく辛いときは、本当に私は私の世界でまん中にいられるのか、不安になってしまいます。
でも、そんなときに、すぐそばにいるあなたが私の名前を呼んでくれたら、あなたの世界のまん中のいるあなたの横には、私の世界のまん中にいる私がいるだろう、そう思えるのです。この世界の片隅に、私がいて、あなたがいて、みんながいて。この世界のまん中に、私がいて。その隣には、あなたがいて。
私を見つけてくれて、ありがとう。



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