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漫画の話です。

『シン・ゴジラ』ミニマムな物語とマキシマムな映像の話

シン・ゴジラ観てきた。うおー!うおーーーーーーー!!!!!
ということで感想を書きます。あまりまとめる気も無く、感情の赴くままに。
ネタバレも何もない作品な気がするけど、当然内容には触れているし、そもそも観てないとあんま意味の分からない文章なので、観てない奴はまず映画館に行ってこい。話はそれからだ。

  • 切り詰められた物語
    • およそ2時間の上映時間の中で、人間個人のドラマがほとんどなかった。いっそ絶無と言ってもいいくらい。ゴジラという怪物、生きる災害と対峙する、組織としての人間、集団としての人間、群体としての人間を描き続けていた。
      • 主人公の矢口や、カヨコなど、主役級の人物に、固有のドラマがほとんどない。振り返ってみれば、カヨコの祖母が広島で死んだ(であろう)ことが語られているのが、むしろ意外なレベルですらある。
        • 凡百の映画なら、矢口とカヨコはラストシーンでキスしてるだろ。
        • ところで、カヨコの祖父=カヨコの祖母の夫=牧教授説はありえる話でしょうか。
      • とにかく、係累の話がほとんどない。家族の物語や、友人の物語、恋人の物語など、「大事な誰かに出会う」物語も、「大事な誰かを失う」物語も、「誰かとの大事な絆を確認する」物語もない。上述の、カヨコの祖母が広島の原爆で死んだ(であろう)ことくらい。
    • その意味で、日本国という生物とゴジラという生物の純粋な生存競争の物語なのかもしれない。お互いがお互いに憎悪があるのではなく、生きるためにぶつかりあってしまった二つの生物。
      • より正確には、ゴジラは、ゴジラ自身が生き延びる為に日本国を攻撃したわけではなく、ゴジラ自身が本能に任せて生存行動を起こした結果、日本国という別の生物の生存を脅かしてしまったために、日本国はゴジラを倒さざるを得なかった。ゴジラの発生は、牧教授という一人の人間の悪意(?)の結果生まれたのだとしても、ゴジラ自身には日本国(人間)に対する悪意はない。人間が歩くときに、足元の蟻の行列を気にしないのと同じように。
        • ただ、その蟻は自身の150倍の体長の生物を群体で食いつくす蟻だったのだが。
        • ゴジラの悪意のなさは、人間を直接的に害するシーンが一つもないことにも表されている。建物の崩落に巻き込まれたり、あるいは人間からの攻撃に対する反射的な反撃など、ゴジラの行動によって引き起こされた事態で死亡した人間は多くいるが、ゴジラが人間をそれと認識し、食べるだとか、意図的に踏みつぶすだとか、そういうシーンは一切なかった。
      • 日本国は、他者の悪意にではなく、意思なき自然災害に対するのと同じように、ゴジラに立ち向かうしかなかった。交渉の余地なく、ただ、全身全霊で抗うしかなかった。その必死さが煮詰められた物語だった。だから、その必死さを冗長にするような物語はカットされまくった。
        • 上述の人間ドラマもそうだし、核の発射を送らせるためにフランスとの間で進めた交渉は、ただ成功されたという結果のみが知らされた。その過程はゼロ。また、政府関係者や一般人の退避はふれても、活動を休止中のゴジラのすぐそばにおわす天皇には一切触れなかった。それに触れたら、ややこしいドラマを抱え込むことがわかっていたから。それがなくても、話は問題なく進むから。いさぎよい。
    • また、中盤以降で人間の必死さを出すために、人間の愚かさを示すようなエピソードは序盤に詰め込みまくっていた。
      • お役所主義・前例踏襲主義の政府。命の危機を前にスマフォを構える民衆。家でわずかな荷物をまとめるために逃げ遅れた家族。観客のフラストレーションを高めるような、人間の愚かな振る舞いは序盤に集約され、以降はゴジラの絶望的な強さと、それに抗おうとする人間を描き続ける。日本に核を撃ちこむという諸外国の(日本から見れば)自分勝手な戦略も、描かれ方は最小限だったといえよう。
        • ところで、危機を前にスマフォを構えてしまう一般人の姿、今まで漫画などで見たときは「なにやってんだこいつらは死にてえのか。さっさと逃げやがれこのボケナスが」とか思ってましたが、今回実写で見て、自分ももしそういうシチュエーションに陥ったら、スマフォを構えてしまうかも、と思いました。なんだろう、危機の中心(ゴジラ)と自分の距離の描かれ方なのかな。「こんくらい離れていればまあ大丈夫だろう」と思ってしまう距離と、実際にビンビン危険な距離のズレが、実写だとすげえピンと来た。「あぶねえだろボケナス」と思う自分と同時に、「こんくらいの距離なら大丈夫そうだな」と思う自分も同時にいた。
  • 圧倒的な映像
    • ヱヴァQの本編前に流された「火の七日間」を観たときに感じた、「もうヱヴァはひとまずおいといていいから、こういうのてんこもりの作品を一本作ってくれないかな」という願いがかなえられた。ありがとう・・・・・・
      • 超越的な存在による破壊に、人類がなすすべなく蹂躙されていく。名前のある誰かが狙われるのではなく、マスとしての人間が匿名のままに消えていく。圧倒的に非対称な暴力。これが絶望だ。これがカタルシスだ。
      • ゴジラの破壊シーンを観てるだけで、それなりに大きなストレスさえも浄化されるような気がする。
        • もし俺が何か大きな事件を起こしてしまったら、この箇所がピックアップされる可能性があるので、フォローもしておこう。新聞毎日読んでるし、TVでニュースもしっかり見てます。
          • これでばっちりだな。
        • でも、ゴジラが暴れ回った後に残された、惨憺たる状況の東京。うずたかく積まれる瓦礫を前にして黙々と作業をする消防や自衛隊の姿には、また別の絶望と感動があった。
    • ゴジラの造形の異形さがビンビンきた。
      • 上陸した際の形態である第2形態の、コミカルさが残るゆえに、俺達とは絶対に分かり合えないなと思わせるフリークス感。四足ですらなく地を這う怪物のおぞましさよ。
        • 御用学者が「あのサイズで地上にあがれば自重で死んでしまう」と言っていたのに、特段の説明もなく普通に生きて、それどころか二本足で立ちさえして、「空想科学読本? 知るかボケ!! 面白ければいいんじゃ! 迫力があればいいんじゃ!!」と言わんばかりの態度。そのとおりです。
        • ところで、川を遡行してきたときに、河口に係留されていたのであろう多くのボートが押し寄せてくるシーンにグッと来た。もし自分が、河口から巨大生物が遡行してくるシーンを、何も考えずに映像化しようとしたら、あの打ち寄せるボートの塊は決して描けない。あれは、意識して描こうと思わなければ描けないものだから。不在を意図的に埋めなければならないから。川=水ぐらいの安直なイメージでは、人の多くいる都会の河口には小型船舶が多くある、というイメージは浮かばないし、たぶんその絵がなくても不自然だとは思わない。逆巻く水と一緒にボートが流れてきて、初めてそこにボートがあるのが正解だとわかる。少なくとも正解だと思える。
          • 実際に起こってはいない架空の出来事を、さもそうであるように思わせる力。それこそがリアリティであると考える(リアルとは別)が、このシーンに限らず、作品全体がリアリティの塊。
      • 第3形態以降で、炎・放射線を吐き出すときに、下口が二つに裂けるのがグロよい。
        • 吐き出された炎が、質量をともなっているように瓦礫などをまきあげながら地面を舐めていく様よ。
      • 第4形態のデカさデカさデカさ。
        • 引きのロングカットや、足元を走る車から見上げるようなカットなど、決して意外なカットはないのに、ゴジラの巨大さがひしひしと伝わってくるカットばかり。絶望がひしひしと。
        • 鎌倉から上陸してきた後、自衛隊ヘリが会敵する際の、ビルの合間からゴジラが姿を現すシーン。端的に言って最高。あれが怪獣映画だ。
    • ヤシオリ作戦が派手で地味。それがよい。
      • ゴジラ周辺のビル群に爆弾を取り付けた自衛隊員たちの勇気に涙を禁じ得ない。いつの間に設置したのか。
        • やはり普通の映画なら、そういうところで恐怖に震える新兵を励ます古参兵、あるいは恋人の思い出などのドラマがあるだろうに、ただ職人芸の結果がそこにあるだけである。
      • 崩れ落ちるビル。質量に押し潰されるゴジラ。それなりに知っている場所が、架空の話とはいえああいう映像として成立するのがしびれるなあ。
      • 無人在来線爆弾。突っ込んでいった車両が、その勢いのまま、連結ごとに折れながらゴジラの身体を駆け上っていき、爆発。coooooooolです。
        • 無人在来線爆弾。あの絵面もさることながら、一度は口に出したい日本語だ。無人在来線爆弾。無人在来線爆弾。無人在来線爆弾。エビバディセイッ!
      • とどめが口から液を注入。本編で作戦内容の説明で「ケイコウ」という言葉が聞き取れ、「え? 蛍光? 傾向? まさか経口?」と思ったら本当に経口だった。絵面が地味。最後の最後で。
        • そういえば、作戦の説明も非常に不親切だった。言葉や概念が出てきたその場では説明せず、最後までにわかってればいいだろとにかく見ろといわんばかりの剛腕。はい、それでいいです。
  • その他ぐっときた点
    • 大河内総理の決断するスピードがどんどん早くなっていた点
      • 一緒に観ていた友人とは、この点で意見が真っ二つに分かれた。俺は、組織の長,国の長である人間が背負う責任の重さに,総理は当初まごついていたし逃げ出したくもあったが、事態が悪化の一途を辿るにつれ、その責任を背負おうとする覚悟が徐々に備わっていくことにぐっときたのだ。たぶんこれは、子供の頃だったら絶対に思わなかった感覚。でも友人は、総理のこういう描き方を非常にテンプレめいたものとした受け止めたようだ。正反対。でも,映画はそこがいいじゃない。
      • そしてそんな彼を含む閣僚が瞬殺された点
    • 奇人変人していた尾藤課長補佐が、最後の最後に微笑むシーン

とにかく、約二時間の中に、描くべきものを絞りに絞って全速力で描き切った、という印象。息つく間もなくハラハラしどおしだった。となりに座っていたガキは、会議シーンが多かったせいだろう、途中飽きてきて、こっちが気になる程度に身じろぎしたり、しまいには居眠りしていた。子供ならさもありなんと思うが、大人の今では、その会議シーンすら面白い。ゴジラの映らない会議シーンでも、人間が非力な叡智を結集してなんとか対抗しようとしているのが伝わってくる。人間は考える葦である、とはよく言ったものだ。考えることができるからこど、それによって生み出したもので、自分よりはるかに巨大な存在に対抗しうる。
卑小な一個人に世界は救えない。一人の天才ごときではどうしようもない。一人一人の個が群となってはじめて、圧倒的な存在に抗しうることができる。
私は、最近そういう物語がどうにも好きなようです。
また観よう。今度は、観客のより少ない時間を見計らって、ホームシアター状態で観よう。



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