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漫画の話です。

『暗殺教室』親の支配・価値観と、そこからの逃亡先の話

前回の予告通り、『暗殺教室』の「親」から考えるお話です。

暗殺教室 13 (ジャンプコミックス)

暗殺教室 13 (ジャンプコミックス)

13巻では渚の母親が初登場し、彼女の強烈さが遺憾なく描かれました。
彼女はいわゆる毒親毒親とは、明確な定義がある言葉ではありませんが、公約数的な言葉で言えば、子供に過度な悪影響を及ぼす親、といったところでしょうか。その形は、ベッタベタに甘やかす過干渉や、ネグレクトなどの極度に消極的なもの、あるいは虐待などの暴力的なものまで、様々なバリエーションがありますが、渚の母親・広海の毒は、過度な束縛、そして支配の形をとっています。

…いい渚 アンタは子供なんだから 
人生の上手な渡り方なんてわかるはずないの
私がそういうのは全部知ってる
私とかお父さんみたくならないように… アンタのために全部プランを立ててあるから
(13巻 p121)

一見我が子である渚のことを大切に思っているような彼女の言葉ですが、その実、彼女の思いは息子自身ではなく、彼を通した、自分では叶えられなかった自己実現に向いていたのでした。自分が試験で落ちた一流大学に入れ、自分の入れなかった名門商社に入れ、自分ができなかった世界中を飛び回る仕事に就け、自分が磨けなかった女の子らしさを磨かせる。息子に。
彼女が渚を支配したい、自分の手の中にあるものとしたいというのは、その名前にも表れています。彼女の名前は広海。広い海。その息子の「渚」とは、波打ち際の砂浜。海に囲まれている地帯。自分の内側にあるエリア。
息子が自分の意に従わなければ、怒鳴り散らし、暴力にすら訴える彼女の、「殺気にも似た」「執念」で続けられているのは、「RPG「母さん」の2周目」。1周目のデータを引き継ぎ、クリアのコツを最初から知った状況で攻略に挑み、「1周目より良いEDに辿りつ」こうとする狂気。それが渚に浸み込んでいる母の毒です。
渚による、母の自分に対するイメージは、絡みつく鎖。

(13巻 p123)
実は、これと同様のイメージは、別の生徒にも表れています。

(9巻 p145)
竹林が夏休み明けに、E組からA組へ転級した際のものです。
代々病院を営み、彼の兄二人も東大医学部を出ている竹林の家。それがどんな家かと言えば「「出来て当たりまえの」家」なのです。そんな家で、中学で落ちこぼれてしまった(といっても、一般的な学力水準は大きく上回っているはずなのですが)竹林は、家族の中で強烈な疎外感を味わっていました。仮に殺せんせー暗殺成功に協力し、10億円を手にしたとしても、個人の生涯賃金が優にそれを上回るであろう竹林家では、彼が認められることなどありえず、「良かったな」「家一番の出来損ないがラッキーで人生救われて(笑)」と言われて終わり。彼自身がそう予想しています。
竹林家では、10億円を手にすることよりも、落ちこぼれクラスから最上級クラスへ移る方がよほど大事。トップクラスの点数を取り、初めて親に成績を報告できた彼に、振り向きもせず背中越しに投げかけられたのは、「頑張ったじゃないか 首の皮一枚つながったな」という、とてもじゃないけれど優しさを感じられないものでした。でもその言葉に竹林は、どうしようもないほどの喜びを感じてしまった。

一言をもらうために どれだけ血を吐く思いで勉強してきたか!!
(9巻 p145)

竹林にとっては、「地球の終わりより100億よりも 家族に認めらる方が大事な」のです。
そんな彼の気持ちを、直感的も最も理解できていたのは、意外にも、神崎でした。

親の鎖って… すごく痛いところに巻きついてきて離れないの
だから… 無理に引っ張るのはやめてあげて
(9巻 p146)

竹林の気持ちを分かった彼女もまた、親からの鎖に苦しんでいる一人でした。

うちは父親が厳しくてね 良い学歴良い職業 良い肩書ばかり求めてくるの
そんな肩書生活から離れたくて 名門の制服も脱ぎたくて 知ってる人がいない場所で格好も変えて遊んでたの
(3巻 p14)

あるいは少々きっつい名前を付けられた木村正義ジャスティや狭間綺羅々のように。
あるいは親に苦悩を気づいてもらえない千葉や速水のように。
あるいは親子とは思えないギスギスした関係の浅野のように。
あるいは学校でいじめられているのに突き放されるさくらのように。
作中には、親との関係で苦しむ生徒が多く登場します。
また、実の親子関係にはなくとも、子を苦しめる「親」として登場するキャラクターがいます。
命令は絶対だとして、子の自律的な成長を封じ込める律の開発者おやたち。

(3巻 p122)
「家族」の中の独裁的な「父親」として、教え子たちの上に暴力的に君臨する鷹岡。

(5巻 p101)
用済みになったイトナを容赦なく切り捨てる保護者のシロ。

(10巻 p116)
「親」である彼らは、「子」らに自身の価値観を一方的に押し付け、そこから外れる「子」らを時に怒鳴りつけ、時に殴りつけ、時に見放すのです。
親子関係に限らず、支配的な権力を及ぼされる関係性というものは古来いくつも存在しており、苦しむ人も数多いました。では、それに抗うこともできず苦しむ人たちはどうしたのか。
答えは逃亡。支配的な権力の届かない、彼らが逃げ込む先はアジールと呼ばれ、この作品では落ちこぼれたちのクラスである3−Eが、主要なそれとして機能しているのです。
神社仏閣や教会のような宗教性・神性を帯びた場、または市場などのように複数の権力が存在する場がアジールの例として挙げられますが、それらはつまり、支配的な権力に対抗しうる別種の価値が存在しうる場だと言えます。本作において、親子関係に苦しむ生徒たちが親から及ぼされている権力(=価値観)はそれぞれ異なりますが、彼らは殺せんせーや烏丸、ビッチ先生、そして他の生徒たちがいる学びの場で、親が教えるもの以外の価値観も存在しているということを学んでいるのです。
たとえば渚の母親は、女の子らしさを磨き、いい大学に行き、いい会社に入ることが最高のものだという価値観を渚に押しつけ、彼をがんじがらめにしていたのですが、殺せんせーは三者面談でそれにはっきりとNOを突きつけ、渚が母親の支配から抜け出る背中を押しました。
そもそもこの作品の舞台である椚ヶ丘学園は、勉強ができさえすれば圧倒的な優遇を受けるものの、逆にできなければ、E組という最下層に落とされ非教育的な差別も是とされる、「強者こそが正義」という、創始者・浅野學峯の非常に強固な価値観から生み出された学校です。月をも消し飛ばす怪物を前にして、その怪物によって地球が滅ぼされなかった場合を冷徹に考えられる浅野理事長の強固さは、並大抵のものではありません。
そして、その価値観に抗っているのが、月をも消し飛ばす怪物こと殺せんせーが担任を務める3−Eで、そこで貴ばれる価値観が「殺せんせーを殺すこと」。学園の価値観からすれば(一般社会からしてもそうですが)どうしようもないほどに異端であるそれは、だからこそ、他の価値観に傷ついた生徒を癒すのです。

考えてみりゃ当然だよな 落書き程度でマイナス評価になるわけがない なんせ殺しに行ってもいいんだから
ちょっとくらい異端な奴でもじゃ普通だ
いいもんだな 殺すって
(5巻 p64,65)

成績の悪さに加えて、テストの裏に余計な落書きをしたために、E組に落とされた菅谷の言葉です。勉強という価値観に絵という横槍を入れたために、彼はペナルティを与えられましたが、E組ではその横槍が嬉々として受け容れられているのです。
このように、本作において、支配的な権力・価値観に対抗するものとして存在しているのが、3−Eであり殺せんせーなのです。学問の自由のために大学の自治が強く認められるように、本来学びの場とはアジールそのものであるはずでした。それがうまく機能しているとはいいがたい現在の日本で、学校があるべき姿を異端な形で表しているのが『暗殺教室』という作品なのかもしれません。



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