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『暗殺教室』「殺す」ことの意味の話

死神編と渚家族編に区切りがついた、『暗殺教室』14巻。

暗殺教室 13 (ジャンプコミックス)

暗殺教室 13 (ジャンプコミックス)

その中で、『暗殺教室』全編を通じて、私が今までちょいちょい引っかかっていたある事柄についても、一つの区切りになるような話が出てきました。
その事柄とは二つ。「殺すこと」と「親」です。
今回と次回、二回の記事で、その二点について思うところ書いていこうと思います。まずは「殺すこと」についてから。


「殺すこと」について初めて引っかかったのが、夏休み暗殺旅行編。直截的にはビッチ先生の告白ならぬ殺白です。彼女が初めて人を殺した時の生々しい記憶を語ってからの、

ねえ カラスマ
「殺す」ってどういう事か
本当にわかってる?
(9巻 p104)

の発言。
それを踏まえた上で、少し遡って、殺せんせー暗殺作戦決行直前の、吉田と村松の会話を見たときのビッチ先生の反応です。

主要登場人物の中で、もっとも多く殺人をした人間は、間違いなくビッチ先生でしょう。その彼女が見せたこの反応。そして先の発言。
ビッチ先生は、「「殺す」ってどういう事か 本当にわかってる?」と疑問を投げかけておきながら、それがどういうことなのか明言しません。問いに対する宙ぶらりんの答えは、私の心の片隅でずっと引っかかっていました。
で、12巻から引き続きの死神編で、なんとなくその答えが見えた気がします。
その答え、ビッチ先生の思う「殺す」ということの意味、それは、殺すことは殺されることでもあること、なのかなと思いました。
別の言い方をすれば、殺す覚悟/殺される覚悟、ですか。半生を人殺しに費やしてきた彼女は、そう思っている節があります。
そもそもビッチ先生が初めて人を殺したのが12歳の時。

うちの国は民族紛争が激化しててね 
ある日 私の家にも敵の民兵が略奪に来た
親は問答無用で殺されて… 敵は私の隠れたドアを開けた
殺さなければ殺される 父親の拳銃を至近距離から迷わず撃ったわ
(8巻 p103)

殺されなければ殺される。これが、彼女が初めて自分の手を血に染めたときに刻まれた思いでした。
さて、翻って、突如担任の先生を殺すことを強いられた3-Eの面々はどうでしょうか。
彼らはもともと普通の中学生。「殺す」などという言葉に、冗談以上の重みをもたせたことはありません。それゆえ、人外とはいえ対等なコミュニケーションを取れる相手を「殺せ」と言われ、その報酬として破格の金額を提示されると、

「この調子なら殺すチャンス必ず来るぜ!!」
「やーん 殺せたら百億円何に使おー♪」
(1巻 p96)

という、「中学生が嬉々として暗殺の事を語っている どう見ても異常な空間」をあっさりと生み出していました。
彼らにとって「殺すこと」は、文字通り相手を殺すことでしかありません。暗殺対象の殺せんせーは「生徒に絶対に危害を加えない事が条件」とされているため、暗殺を仕掛ける生徒たちは、少なくとも当の暗殺対象からは、殺し返されることがないのです。
あくまで彼らは狩る側。決して狩られる側に立つことなく、一方的に殺そうとできるのです。
だから吉田と村松は、あんなことが言えた。
「ま 今日殺せりゃ明日は何も考えずに楽しめるじゃん」
「まーな 今回くらい気合い入れて殺るとすっか!」
彼らにとって暗殺とは、殺すか殺されるかではなく、殺せるか殺せないか、なのです。
だからイリーナは、その言葉に違和感を覚えざるを得なかった。「殺す」とは、そんなにリスクのないものじゃない。殺すことは、殺されることの裏側にあるもの。誰かを殺すために振り下ろす刃は、そんなに軽いものじゃ、ない。
生徒たちの、殺すことに対する意識の軽さ、言い換えれば、殺すことへの覚悟の無さは、他のシーンでも垣間見えます。
夏休み暗殺計画が発動し、クラス全員で殺せんせーを攪乱する中で、本命の千葉と速水が引鉄を引きました。ですが、弾丸はすんでのところで惜しくも届かず。長い仕込みの時間をかけた計画は失敗に終わってしまいました。
その時を振り返って千葉はこう述懐しました。

自信はあったんだ リハーサルはもちろん あそこより不安定な場所で練習しても外さなかった
だけど  指先が硬直して視界も狭まった
絶対に外せないという重圧プレッシャー 「ここしかない!!」って大事な瞬間
(7巻 p160,161)

殺せんせーの埒外な身体能力を知っている生徒らにとって、日々仕掛ける暗殺は、本気で殺せるという自信があるものではおそらくなかったはずです。倉橋が暗殺へ行ったついでに数学を教わったように、寺坂が「100回失敗したっていい」と言ったように、そこに必殺の覚悟はなかった。
だから、本気で殺すために、本気でお膳立てを整えて、本気で引鉄を引き絞ったあの瞬間、二人には今まで感じたことのなかった重圧に襲われたのです。
たしかに、そもそも「暗殺」とは、殺す側と殺される側が非対称なもの。対等な勝負である「戦闘」とは別物であると、暗殺稼業を長く続けてきたロヴロがそう明言しています。その意味で、常に「殺す」側に意識がある生徒たちの態度は間違っていないのかもしれません。ですが、世界最高峰の殺し屋である「死神」が殺し屋になって一番最初に磨いた技術は、正面戦闘の技術でした。それは「殺し屋には99%必要のない技術スキルだが がないと残り1%の標的を殺り漏らす」技術です。「暗殺」から「戦闘」になっても、すなわち、一方的に殺す側から、殺し殺される側になったとしても相手を確実に殺すための技術なのです。
それはつまり、自分が殺される立場になる可能性を最初に意識したということ。殺す以上は殺されうることを知っていたということ。
根本的に「殺す」ことにはそのような裏側があるはずなのです。
それを理解していなかった生徒たちと、理解していたがために告白すべき時に殺白をしてしまったイリーナ。9巻のあのシーンが意味しているのは、そういうことだったのでしょう。


死神編が描かれたことで、7巻から引きずってきたもやもやの一つがちょっとすっきりしました。次回は、冒頭でも書きました、「親」というものについて考えたいと思います。



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