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漫画の話です。

車椅子の美少女と寡黙な青年 厳しい時代に二人が探すものは 『春風のスネグラチカ』の話

時は1933年、ソヴィエト連邦の北西部に位置するカレリア自治共和国で、湖畔で絵を描いている男が一組の男女に話しかけられた。車椅子に乗った美貌の少女と、それを押す寡黙な青年。少女は、湖畔に立つ別荘の管理人である男にそこへ一週間住まわせるよう賭けを持ちかけるが、あえなく失敗。だが、気落ちすることなく彼女は、続けざまに共産党の危うい内情を仄めかしながら、高価な宝石を渡してまで男に亡命を促した。半信半疑のまま男は少女の話を聞いていたが、数日のうちに少女の言葉が現実のものとなり、彼は妻とともに英国へ亡命した。そして少女と青年は、空いた別荘に目論見通り滞在することとなる。果たして、そうまでしてそこに住みたがった二人の目的は……

春風のスネグラチカ (F COMICS)

春風のスネグラチカ (F COMICS)

ということで、沙村広明先生の新作『春風のスネグラチカ』のレビューです。
第一次大末期のロシア革命で帝政が終わりを告げ、共産党による支配が始まったソヴィエト連邦。レーニンの死後、徐々にスターリンへと権力が集まりだし、連邦内では秘密警察の目がそこかしこで光るようになりました。そんな時代状況の中、カレリア自治共和国にやってきた一組の男女から物語は始まります。
傍目には何の変哲もない別荘に執着する少女・ビエールカ。そのためにはお金など露とも惜しまない。
献身的に少女へ尽くす青年・シシェノーク。少女の乗る車椅子には補助輪がなく、誰か、すなわち青年が支えていないと自立することすらできない。
怪しい者たちの動向に目を光らせる秘密警察OGPU。少女らの奇妙な振る舞いは、すぐに彼らの知れるところとなる。
極端に体の弱いシシェノーク。秘密警察から拷問を受けるも、わずか数発殴られただけで異常な発汗と出血を見せる。
彼のために身体を張るビエールカ。異常な身体状況を示したシシェノークの容態を瞬時に治め、これ以上拷問を続けるのなら自分が代わりに受けるという。
素性も目的も謎に包まれたままの二人は結局、秘密警察に監視される形で別荘に住まうことを許されました。
こうして物語は進んでいくのですが、話が進むごとに登場人物が増え、彼らが喋り、外堀を埋めるようにして二人の状況が間接的に明かされていきます。中身を覆っている鱗を一つ一つ剥いでいくかのようなこの過程が、とても繊細かつスリリング。多くを語ろうとすると簡単にネタバレになってしまうので、これ以上中身には踏み込みませんが、あることを匂わせながらもそれを明確には語らず、ラスト1/3あたりで根幹のそれが明かされます。ですがしそれは、ネタバレの根幹ではあっても物語を駆動するものではありません。それが明かされたことで、じゃあそれに付随するあれは?という話になり、そこから物語のクライマックスへと進んでいくのです。
そして最後まで読み終わったときに、すぐさま最初から読み返したくなる。そんな作品。
初読の中で物語の歯車が少しずつ噛み合いだし、エンディングでそれらがすべて噛み合った一つの完成像となり、その完成像を知った上で再び読むと、さっきは見えていなかった物語の隠れていた、あるいは見過ごされていた部分が見えるようになっている。
非常にいい意味で、よくできた物語です。
また描写面では、沙村先生お得意の耽美さが、車椅子の少女・ビエールカによく表れています。車椅子に乗っている彼女ですが、実は身体にある秘密を抱えており、作中で夜伽を強要される際にそれが明らかになるのですが、それを晒している彼女の姿は、非常に刺激的かつ背徳的。そして、美しい。


作品の年代・地域が具体的であるため、20世紀前半のロシア・ソヴィエト連邦についてある程度知識がある方が楽しめるかもしれません。まあ、共産党は怖かったぜくらいのイメージでもいいのでしょうけど。


ちなみにタイトルの「スネグラチカ」とはロシア語で「雪娘」のこと。春風に吹かれる雪娘スネグラチカ。それは溶けるがままに消え去る運命なのかもしれませんが、冬はまたやってくるのです。雪の冷たさと、春の息吹の温かさと。結末にはそんなものが用意されています。
1巻完結ものとして激しくお薦め。


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