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漫画の話です。

『名探偵マーニー』人生のゴールとその先の話

またぞろ『マーニー』の話で恐縮ですが。

3巻のfile23「ゲーマー」では、あらゆるゲームに精通していて、子供のころからクリアできないゲームなどなく、長じて某国立トップの大学へ進学した男・武藤が登場します。ゲーム研究会に所属した彼は、プレミアのついたゲームソフトを購入する資金源として先物取引に手をだしていたら、いつの間にか学校から姿を消して、友人や家族とも連絡を取らなくなりました。そんな彼の消息調査をマーニーは引き受けたのですが、調査を進め彼の現況を突き止めると、そこには驚くべき実態がありました。
数十階建ての高級マンションの最上階。ワンフロアをまるまる独占するようなだだっ広い部屋が、今の彼の住居でした。先物取引で十分すぎるほどの資産を積み重ねた彼は、今では資産運用を会社に任せ、一人そこに住んでいるのです。ただし、そこには一組のソファとテーブル、そして寝袋があるだけで、彼が好きだったはずのゲームどころか、まともな家具さえありませんでした。
あまりにも殺伐とした生活に驚くマーニーへ、武藤は言います。

興味がわかないな…
僕はあらゆるゲームをやってきて… ゲームに勝つためあらゆる努力も勉強もした 勝負はそれに見合った努力をしたものが勝つんだ
TVゲームも受験もマネーゲームも人生も あらゆるゲームに僕は勝ってきた
そして気がついたらゲームは終わっていたよ
全ステージクリアした僕は今ここに居る
ここがゴール・・・なんだよ
(3巻 p103〜105)

人生におけるゴール。
たとえば受験勉強に励む中学生などに、「高校入学がゴールじゃないぞ」と言うとします。「大事なのはそこで何をするかだし、その上で将来何をしたいかだし、それに言ってしまえば将来何をしたいかは途中で変わってもいいわけで、その意味で、人生に目標はあってもゴールはないぞ」と。
これは中学生に限らずとも、ある程度普遍的に言えるものであろうとは思います。高校、大学、就職、結婚、子育て。ライフサイクルの中でイベントはいろいろありますし、それぞれにおいて「こうしたい・こうありたい」と思う形はあるでしょう。でも、その形を「ゴール」として設定したとしても、その後にも人生は続いていくわけで、マラソンのゴールのようにテープを切ったらそこで終わるものではありません。真実「ゴール」と呼べるものがあるとしたら、それは「死(死に方)」でしょう。これ以上自分自身が関与できず、そこで終わるものとして。
けれど、まだ二十歳そこそこの武藤は、「ここがゴール・・・」と言い切っています。「ゲームは終わっていた」と。
「ゲーム」を終えた武藤は、最高の展望を誇るマンションの最上階で、一人静かに満足感を味わっています。

僕は今 勝利の余韻にひたっている
家族も友人も恋人も娯楽もゲームももういらない
それがすべてなんだ
(3巻 p106)

そんな彼を見てマーニーは思うのです。

私は彼に寂しくないですか…と
聞こうとしてヤメた
彼はきっと寂しくもつまらなくもないだろう
すべてのゲームに勝利した男は この天国に近い部屋で 
右往左往する民衆を見下しそれを笑っている
でもだれがそれを責められるだろう
それこそが真の勝者の権利なのかもしれないから
(3巻 p106)

もちろんこれは創作、お話なわけですが、だからこそこのような突飛な物語を作れるのです(ひょっとしたら現実でもいるのかもしれませんが)。
人生に「死」以外のゴールを設定し、それをクリアしたところでこれ以上の人間的営為を実際にやめた人間がいたとしたら、どのような存在になりうるのか。それが、一話完結の短編漫画という形で実に端的に描かれていると思います。
木々津先生は、他の作品もそうですが、ある設定に現実を超えるレベルのエッジを利かせまくって突き詰めるとどうなるのか、というのを短編で描くのが巧い。『フランケン・ふらん』なんか、もろにそういう作風ですし。
極端に尖ったものを提示されることで、それと現実とのギャップに考えさせられること、あると思います。



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