ポンコツ山田.com

漫画やアニメ、小説などについて、思ったことを恬淡と。

作品への感情移入についてのちょっとした話

先日のヤマシタトモコ先生のイベントレポートでもちょろっと書いたとおり、「作品を読むときの感情移入」ということについて考えたいと思います。
イベントでリブレの女性編集者の方が、「BLを読むときは、基本的にはメインとなる二人の男性の関係性に着眼している。どっちが受け/攻めなのかなどを考え、物語は第三者的な視点で読んでいる」ということをおっしゃっていました。
それに対して私自身はBLを読む際、自分自身のセクシュアリティとは関係なく、主視点となっているキャラクターに没入して読みます。彼が受けであれ攻めであれ、主役として語られている視点を私は内面化しているのであって、キャラクターの関係性を楽しみ、物語を外から見るということはしないのです(ただ、私は分野としてBLを嗜んではおらず、たまたま好きな漫画家であるところのヤマシタ先生が描いた作品がBLだった、というのが正確なところで、ヤマシタ先生以外のBL作品は実はほとんど読んでいないのです。ですから、「BLを読む際」というように言ってしまうのは適当ではないかもしれません。一応,「ヤマシタ先生のBL」という留保はつけておきます)。
ですが,これもまた編集者自身がおっしゃっていたことなのですが,カップリング重視というのは,BL特有,有り体に言ってしまえば腐女子特有の読み方なのだろう,と思うのです。
現に,普段BLをたしなまない友人(♀)にヤマシタ先生のBLを貸したことがあるのですが,彼女曰く,「作品としておもしろかったけれど,関係性云々というのは別に気にしなかった」と。楽しみ方としては普通の恋愛漫画と変わらないようなのです。それは私も同じ。恋愛漫画,ほとんど読まないけど。
で,そんな彼女のお気に入りは『ジュテーム,カフェ・ノワール』(ちなみに私もお気に入り)。

ジュテーム、カフェ・ノワール (Dariaコミックス)

ジュテーム、カフェ・ノワール (Dariaコミックス)

この作品は,とある喫茶店でとあるタイミングにたまたまそろった無関係の三組の客と喫茶店スタッフの群像劇なので,誰が主視点というものがありません。一応,店スタッフと,ヘテロのカップル(友人以上恋人未満)の視点が多く登場しますが,彼らもあくまでその状況を眺めるだけで,それについてどう思うかが詳しく描かれているわけではない。その状況の中に,ヤマシタ作品特有の葛藤の内面は描かれていないのです(外形的には,ヘテロの友人に覚悟を決めて告白したゲイと,それに戸惑う友人,という構図がありますが,作中では彼らは「見られる者」であって,内面の葛藤が詳述されてはいません)。
さて,この作品において彼女は(そして私は),他の多くのヤマシタ作品と違い,あるキャラクターを内面化して読むということをしませんでした。それは,上述したように,内面化すべき誰かの心情が詳しく描かれてはいないから。
ということを考えると,「自分自身のセクシュアリティとは関係なく、主視点となっているキャラクターに没入して読みます」というのは,あくまでキャラクターの内心が,読んでいて内面化できるほどに詳しく描かれていて初めてできることであって,あらゆるタイプの作品に常に当てはまるわけではないということになります。
もちろんその「詳しさ」は程度問題であって,なにをどれだけ描けばOKという一律の基準はありません。個人差も大きく,たとえば,キャラクターと同じ職業であるとか立場であるとか,そういう人であれば,他の人よりも,その性質に属する心理推移を推し量りやすいでしょう。
また,キャラクターの内面化は,いくら丁寧にしても常にできるというものではなく,それが心理的なものではなくて体感的なものである場合,「さすがにそれは・・・・・・」ということがしばしばあります。
例を挙げれば,『裸で外には出られない』は,服にまつわるヤマシタ先生のエッセイですが,服を着ることに関するあれやこれやの葛藤は想像できても,女性物下着のように、それを一度も身につけたことがないものについて,身体的な想像を巡らせることは難しいのです。ゴム入りのカップキャミのきつさとか,さすがにそれはわからない。トランクスのゴムがきついようなものでしょうか。たぶんちがう。
他にも,同書には開腹手術の話もありますが,経験者にはあるあるとわかっても,そうでない人間には,どの程度の痛みなのかがいまいちわからない。すごい痛いってことまでは伝わっても,具体的には想像できない。男性が股ぐらを蹴り上げられたときの切なくも苦しい悶絶を女性にわかってもらえないのと同じでしょうか。こっちはたぶんあってる。
ここまでのところをまとめると,
・作品への感情移入とは,あるキャラクターの内心について,一定程度以上の描写がなされたときに,読み手がそれを内面化すること
・BLにおいてはしばしば,内心描写の多寡にかかわらず,キャラクターの内面(物語)への没入ではなく,キャラクター間の関係性への着眼が起こること
・キャラクターの心理の内面化と比して,身体感覚の内面化には困難が伴いやすいこと
という感じになります。
で,強く付言しておかねばならないのは,「キャラクターに没入できる作品=よい作品」が是であったとしても,「できない作品=悪い作品」ではない,ということです。作品において何を主眼にして描写するかは個々の作品ごとに異なるため,それ自体の善し悪しを量れるものではありません。
実際,上でも挙げたように『ジュテーム,カフェ・ノワール』は,内心の葛藤を細かく描いたものではありませんし,BLに限らずとも,以前レビューした『ふだつきのキョーコちゃん』は、キャラクターに没入することはしませんが、面白いです。
とまあそんな感じの、覚書のごとき感情移入についての話でした。
そのうち、『キョーコちゃん』のように、客観的に物語を楽しむような作品とはどのようなものなのか、ということも考えてみるかもしれません。


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