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市川春子の短編と、反復し変奏するミニマルミュージックの話

漫画や小説に合う音楽、ということを考えるのがわりと好きです。「言葉は音楽に恋している」とは、詩人・谷川俊太郎さんの言葉ですが、無時間的なメディアである漫画や小説が、時間的な芸術である音楽に強く惹きつけられるのは必然であるように私も思います。
先日、twitter上で、「市川春子先生の作品に似合うBGMはあるのか」という話が出ました。市川春子先生については当ブログでも数本記事を書いていますが(人と人ならざるものの交流から生まれる諧謔と透明な恐怖 重要な問いにアンダーラインを引く「虫と歌」の話 - ポンコツ山田.com異形の生命と、光と闇と、人間と 『25時のバカンス』の話 - ポンコツ山田.com正常と異形と、常識と禁忌と。境界を行き来する『25時のバカンス』の話 - ポンコツ山田.com)、そこで何度となく言っているように、非常に独特な作品を書かれる方です。そんな作品群に似合う音楽というのもずいぶん難しい話ですし、いっそ無音というのも十分似つかわしいのですが、一応私が思いついたのは、以下の3曲です。



3曲とも、高木正勝さんという方の楽曲です。
実を言えば、もう少しメロディに抑制が効いている方がより近しさがあるのですが、それでも既知の音楽の中から挙げるというのであれば、これらがもっともふさわしいように思えます。
これら3曲に共通する特徴はいくつかありますが、一つはミニマル性です。
ミニマルミュージック。簡単に言えば、一定のメロディーを反復しつつ徐々に変奏していく音楽、でしょうか。わたしもあまり詳しいわけではないですが、有名な作曲家ということで、wikipediaでは久石譲さんや坂本龍一さんらが挙げられています。
メロディの雰囲気も、基本は明るいながらも、どこかもの悲しさも含まれていると言えるでしょう。
また、パーカッションがない(弱い)という共通点もあります。パーカッションとは打楽器、つまり、明確なリズムを作るための楽器ですが、それがないこれらはメロディ、すなわち切れ目のない流れがクローズアップされています。
さて、これらの特徴が、市川先生の短編とどのような点で結びつくのでしょうか。
市川先生の短編は、冗談のような、あるいは幻想のような日常の中で、登場人物たちの心情が少しずつ露わになっていくのですが、その過程はあたかも潮の満ち引きのように密やかで、静かな空気の中、知らず知らずのうちに彼ら彼女らのグロテスクな内面が見えてきます。「星の恋人」の、人間と非人間の間の歪な関係。「日下兄妹」の、野球を諦めた気恥ずかしい思い。「25時のバカンス」の、弟への倒錯的な愛情。気がつけば目の前にある見慣れぬ感情に、読み手は一瞬虚を衝かれます。
静けさ、密やかさ、諧謔、そしてある種の終末的なにおい。これは、高木正勝さんの曲を聴いていても、同様に心に湧いてくる感覚です。
また、市川先生の台詞回しは述語や目的語、助詞の省略が多く、その意味で、現実の会話に近いものです。普通、漫画や小説のセリフは主語-述語、修飾語-被修飾語などの関係が明確で、日本語としての構造がはっきりしています。これは、その場のいわゆる空気というものを参照して会話を進められる現実とは違い、あくまで紙面上の限定的な情報でのみ読み手に意図を伝えなくてはならない漫画・小説においては当然に要請されるものなのですが、市川先生はそこをあえて不親切に仕上げています(余談ですが、今井哲也先生の『ハックス!』でも、意図的に現実のものに近い台詞回しが使われています)。逆説的ですが、現実のものに近いにもかかわらず、創作物の世界では異端であるために、市川先生の台詞回しにはどこか作り物めいたニュアンスが漂うのです(無論悪い意味でなく)。
この作り物感も、反復しながら変奏していくというミニマルミュージックにどこか通じます。ずっと同じでもなく、大げさに変えるでもない、少しずつ少しずつメロディを展開させるという楽曲の作り方には、じっと我慢をするような作り手の意思が感じられるのです。


以上、いろいろ書いてきましたが、正直、なかなかうまく言えてないなあとは思います。ただ、それでも、この両者にどこか通ずるところがあるというのは、偽らざる気持ちです。
漫画と音楽というまるで別メディアの二つを比較するというのもえらく難しい話ではあるのですが、それでも、両者を結ぶ意外な紐というのは、時として確かに感じられるものだと思うのです。



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