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できたての料理に幼女は満面の笑みを浮かべる 『甘々と稲妻』の話

高校教師・犬塚公平は半年前に妻を亡くしたばかりで、保育園児の娘・つむぎと二人暮らし。仕事と家事に追われる毎日で、ついつい食事は出来合いのものばかり。けれどある日、できたての料理が映ったテレビにかじりつくつむぎを見て、これではいけないと思い立つ。せめて今日くらいはと、ふとしたきっかけで知った小料理屋へ駆け込んだら、そこにいたのは教え子の飯田小鳥。明らかに不慣れな手つきでお米を炊こうと奮闘する彼女をはらはらしながら見守っていたけれど、なんとか出来上がった炊き立てご飯を食べて、つむぎは満面の笑み。それに喜ぶ犬塚と、「わたしとご飯をつくって食べませんか?」とお願いする小鳥。はてさて、犬塚家と飯田家の食卓には、いったい今日は何がのぼるのでしょう……

甘々と稲妻(1) (アフタヌーンKC)

甘々と稲妻(1) (アフタヌーンKC)

ということで、雨隠ギド先生の新刊『甘々と稲妻』のレビューです。娘に手料理を食べさせてあげたい男やもめの父と、母の力になりたい美少女高校生の、「誰かのために料理を作りたい」という気持ちがギュッと詰まった、多幸感いっぱいの作品となっております。
まあね、魅力はいっぱいある作品なんですけど、とにかく私がやられたのは、つむぎがものを食べるシーンなのですよ。

(1巻 p36)

(1巻 p73)
おい、なんだこの天使は。
基本的に聞き分けの良いこむぎは父の用意する出来合いの食事にも文句は言わないのですが、母親が死んで以来とんとご無沙汰になっている出来立ての料理にはやはり飢えていました。なにはともあれちゃんと食事をしているつむぎの姿に犬塚は安心していたのですが、シッターさんも帰ってしまった家で一人、テレビに映った料理の映像に釘付けになっているつむぎを見て、自分の間違いを痛感したのです。
出来立てで、湯気の立つ、温かい、料理。
そこには、諸々を超越して人の心を惹きつける強烈なパワーがあります。それがまだ幼い子供なら尚更、炊き立てのお米を口いっぱいに頬張り目を見開いて美味しさに感動するし、五臓六腑に染み渡る豚汁に恍惚ともしますよ。とにかく、そのつむぎの表情がたまりません。美味しいものを美味しいというのはとてもプリミティブな感動であると思いますが、子供であるつむぎはそのプリミティブさをいかんなく発揮し、作った人間への最大の賛辞となる表情を見せるのです。百聞は一見に如かずとは言いますが、凡百の世辞よりもその笑顔で、慣れない料理の疲れも吹っ飛ぶというものです。実際、慣れない料理に四苦八苦していた犬塚と小鳥ですが、つむぎの満面の笑みに、ひどく喜んでいます。
そして、犬塚にとって大きな喜びであり、同時に発見だったのが、つむぎが食事という行為を楽しんでいるということそれ自体。普段の自分が、忙しさと料理が苦手という言い訳にかまけて、つむぎに出来合いのものばかり与えてその間に家事や仕事を済ませていたのだけど、それは家族、それも二人だけの家族としてはすべきことではなかった。「たべるとこみてて!」と嬉しそうに言うつむぎは、どれほど父親と食事ができることを心待ちにしていたのか。その事実に、犬塚は涙ぐみさえしたのです。
料理をしている犬塚と小鳥を見て、「おとさんきるひとー ことりちゃんあじのひとー つむぎメニューのひとね!」と言うつむぎ。型抜きで野菜やハムを星形に切り抜けたことに鼻を高くするこむぎ。食べるだけじゃなく、自分も皆と一緒になって料理に参加するということに、つむぎはちょっと背伸びできている喜びを感じています。まあそれがかわいいんだ。
で、かわいいのはつむぎだけじゃなくて、小鳥も問答無用にかわいい。
母親を手伝いたいがために、子供の頃の嫌な思い出から包丁が握れないにもかかわらずなんとか料理を作ろうと奮闘したり、初めて炊けた土鍋の白米にテンションマックスになったり、おいしそうにご飯を食べるつむぎや犬塚を見て頬を赤らめたり。いったいこの天使とはどこに行ったら会えるんです?


一緒においしく食事を食べられない人とは仲良くなれない、とはしばしば言われることですが、食べるという人間の生物としての根幹に根差す行為を共有できるか否かというのは、とても大事なことだと私も考えます。ですから、おいしそうに食事をしている人たちの風景というのは、それだけで他の人にも幸せを分け与えていると思うのです。そんな幸福があふれだしている『甘々と稲妻』、こいつはかなりお薦めです。
甘々と稲妻/雨隠ギド そのいち 制服とどなべごはん


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