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『暗殺教室』と『ネウロ』に見る、「成長」についての主人公とラスボスの違いの話

暗殺教室』の5巻が発売しましたね。茅野さんと倉橋さんがかわいいですね。

暗殺教室 5 (ジャンプコミックス)

暗殺教室 5 (ジャンプコミックス)

暗殺対象は軽く月を半分ばかし消し飛ばせる超生物の先生で、でもその先生は先生として非常に優秀で、生徒たちは以前よりよっぽど生き生きしていて、先生を殺すために日々研鑽していて、とまあかなりクレイジーな作品ではありますが、この作品では登場人物たちの変化・成長というものが強く意識して描かれています。それは生徒たちだけでなく、生徒たちを優秀な暗殺者として育てるべく防衛省から出向している教官であったり、殺せんせーを殺すために送り込まれたモノホンの暗殺者だったりと、年齢を問いません。
で、この「成長」というキーワードは、前作にして松井先生の初連載作である『魔人探偵脳噛ネウロ』でも重要なものでした。
魔人探偵脳噛ネウロ 1 (集英社文庫-コミック版)

魔人探偵脳噛ネウロ 1 (集英社文庫-コミック版)

こちらは、主人公である魔界の住人・ネウロが自身の食糧である「謎」を求めて人間界までやってくる、というところから物語が始まりましたが、彼は良質な「謎」を求める過程でそれを生み出す人間の可能性というものに行き当たりました。曰く、

ヤコ 確かに今の貴様には… 便所雑巾程度の用途しかない
だが我が輩は理解した すべては同じ可能性なのだ 人の脳を揺さぶる歌も あらゆるものに化ける細胞も そして便所雑巾の貴様も
資質と欲望が… 人間をどこまでも進化させる
その進化こそがこの地上で… 魔界にはない多種多様な『謎』を育むのだ
魔人探偵脳噛ネウロ 3巻 p148)

魔人であるネウロには、進化あるいは成長というものが理解できません。それは最終回直前に登場したもう一人の魔人・青膿ゼラとの会話からもわかります。

「強者は強者らしく 弱者は弱者らしく …それが運命でさ 魔界に生まれた者のあるべき姿だ」
(中略)
「魔人は大体あんなものだ 生まれついて力の差が大きく寿命が長いため… 可能性の追求を早々に諦め 「運命」という言葉で解決したがる」
(23巻 p98,99)

それゆえネウロは、自分ら魔人にはない「可能性」、すなわち進化をする人間に敬意を払うまでになったのです。
最終巻でのあとがきでも、作品の根本に人間の進化があったということが語られていました。

『謎』、食欲、犯罪、脳など、大小様々なテーマを盛り込んだ連載でしたが、最も中心にあるのは、あくまで普通の人間である弥子の進化と、それを見守るネウロというスタンスで、これらはどのプランでも最後まで変わっていません。
(23巻 p148)

暗殺教室』の殺せんせーは育てる者、『ネウロ』のネウロは育つのを見守る者という違いはありますが、誰かが成長するということは両者に共通しているといえるでしょう。
さて、その成長という点からもう少し突っ込んで考えると、両作品のラスボス(っぽい存在)にも共通点があるように思えます。『ネウロ』のラスボスはシックス、『暗殺教室』は絶賛連載中なのでまだ誰がラスボスかは確定していないので暫定的に学園の理事長・浅野學峯をそれと仮定していますが、じゃあ二人の共通点は何かというと、成長する者の範囲を恣意的に限定しているということです。
最終巻で自らの口から明かされますが、ドSのネウロは意外にも、意図的に人間の命を奪うことは極力避けていました。

少なくとも 1人の命を永遠に奪うことは… 我が輩は極力避けている
生きてさえいれば また『謎』を作るかもしれないからだ
一度折れた人間の脳こそ強くなるチャンスを秘めている
その人間に強い決意があるならば…
折れた心を繋ぎ合わせ 悪い個所を修正して…
必ずまた起き上がる
それを我が輩は待っているのだ
(23巻 p42,43)

彼にとって、人間すべてが成長する者として見守る対象でした。
それに対して「新しい血族」の頭首を自認するシックスは、「人間よりほんの少しだけ進化した」自分たち以外の人間を「近いからこそ怖い」と言い、「進化の隣人は滅ぼしてこそ… 我々は種として確立できる」と主張しました。人間も、「人間よりほんの少しだけ進化した」「新しい血族」も、ともに成長する存在です。しかし、シックスはその成長する存在を自分たち「新しい血族」だけに限定しました。自分たちの進化のために人間を滅ぼすのであり、だからこそネウロは、極力人間を殺さないというルールを破り、彼を殺すのです。
暗殺教室』の浅野学長は、創立からわずか10年で学園を全国でも指折りの優秀校にしたという敏腕経営者です。そんな彼の経営理念は徹底した合理主義。どんな集団であれ不利益をもたらす存在が生じざるを得ないというのなら、それをゼロにする無駄な努力ではなく、できる限り少なくして他のパフォーマンスを最大にしようというもの。

働き蟻の法則を知っていますか?
どんな集団でも20%は怠け 20%は働き 残り60%は平均的になる法則
私が目指すのは 5%の怠け者と95%の働き者がいる集団です
暗殺教室 2巻 p100,101)

95%のために、残りの5%は初めから切り捨てる。最大多数の最大幸福。だけど、たとえそれが5%であれ、彼の理念は成長しうる者の可能性を恣意的に奪っています。「人に笑顔で胸を張れる暗殺をしましょう 君達全員それが出来る力を秘めた有能な暗殺者だ」と言って、教え子全員(さらに言えば烏丸やビッチ先生といったそれ以外の存在)に成長を促す殺せんせーとは違うのです。
あるいは学長のやり方は、極めて効率的であり、極めて有益なものなのかもしれません。どうせ必ず足を引っ張るものが出るのならそれをできる限り減らし、残った95%の効率化が確約されているのなら、5%がどう足掻こうともそこから抜け出せなくても、社会全体としてはある面では益が大きいと言えるでしょう(現実にそれが実現可能かはもちろん措いといての話ですが)。逆に殺せんせーの教育方針にしたところで、本当に生徒全員が「胸を張れる暗殺者」になれるとも限りません(連載途中の段階ですし)。ですがこの場合、その実現性であるとか社会効用性であるとかは問題ではなく、分け隔てなく生徒に成長の機会を与えようとする殺せんせーと、恣意的にその範囲を限定しようとする学長に、決定的な対立があるということです。


暗殺教室』は連載中ですからはっきりしたことは言えませんが、少なくとも現段階ではこのように両作品に共通点が見られると思うのです。
あと、岡野ひなたさんもかなりかわいいと思うのです。



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