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『グラゼニ』テレビ中継のキーマン・解説者の難しさの話

始まりましたね、ロンドン五輪。基本的にテレビを見ない人間なんですけど、さすがに何もすることが無いとちょっと見てみようかな、という気になります。
スポーツのテレビ中継に必須のものと言えば、実況放送。上で書いたように、普段テレビを見ないもんですから今まで気にすることはなかったんですが、今回の五輪は始まる前にこれを読んでたせいで、ちょっと観方が変わったのですな。

グラゼニ(6) (モーニング KC)

グラゼニ(6) (モーニング KC)

グラゼニ』6巻で、大した紙幅が割かれたわけじゃありませんが、実況の準備をするアナウンサーの様子が描かれていました。

実況の資料はパソコンに打ち込むわけではない
“手書き”なのだ! そういう段階を踏まないとすぐ“口”からは出てこないのである。
こんな作業を2〜3時間………
(だから実況前日の試合が長引くのは困るのであった)
(p14-15)

普段わたしたちが何気なくやっている「喋る」という行為ですが、それを対面していない不特定多数の人間に向けてするためには、それなり以上の才覚と、入念な準備が必要なんだなあ、と。
昨夜はバスケットの予選を見たんですが、バスケって思ってた以上に展開が目まぐるしいんですよね。さほど広くないコートで大人10人が1個のボールを追いかけまわしゴールを目指す。規定ポイントや回数ではなく時間制なので、より多く点を取るために、ゴールが決まっても息つく間もなく次のプレイが始まる。そもそも24秒ルールなんてのがあるから、シュートをしないこと自体がペナルテ対象になるし。
テレビ中継もめったにないですから、知名度に比して見る機会が少ない競技として筆頭に上がりそうなこの競技を、オリンピックだからって珍しく目にしてる私みたいな人間が理解できるように解説するってのもさぞ大変だろうなあ、と。
バスケに限らず他の競技でも話は変わりませんが、プレイの最中あるいは合間に過不足なくコメントを入れていくのは本当に大変だと思います。そもそも喋るネタが無くて沈黙しては解説失格だし、喋りすぎて重要なプレイにまでコメントがかぶってしまったら本末転倒。
そういえば『おおきく振りかぶって』でも、高校の教頭やOBが解説に招かれるも上手いことが言えず四苦八苦、というシーンがありました。

「初回からいきなり試合が動きましたねェ 米田さん?」
「はっい!?」
「和田というのはどういう選手なんですか?」
「えっ ええもう! 主将ですから!」
「頼りになる?」
「ええもう頼りに!!」
「ではその頼りになる主将にどう挑むのか 西浦1年生バッテリー
小川さん この二人は普段どんな生徒なんですか?」
「えっ」
「マジメ? 元気があるとか」
「ええマジメです! あっ元気もあります!」
「ええでな頼りがいある主将対マジメで元気なバッテリーの勝負に注目しましょう」

おおきく振りかぶって(11) (アフタヌーンKC)

おおきく振りかぶって(11) (アフタヌーンKC)

引用してて痛々しくなるようないっぱいいっぱいさですね。まあでも、普段から訓練してない人の喋りなんてこんなもんだというところでしょう。それだけ解説は、難しい。
あと、最初の『グラゼニ』の引用で、パソコン打ちよりも手書きのほうがそれを喋るのに役立つ、ということがありましたが、個人的な実感としてもそれは確かだと思います。パソコンに入力される文字と手で書かれる文字の違いに、文字が画面上なり紙上なりで形をとる時、実際に人間がその文字の形の通りに何かを動かしているか、ということが挙げられますが、やっぱり音をキーで打ち、変換候補をキーで呼び出すだけじゃ脳への情報のインプットはされにくいように思うのです。脳内に浮かんでいる、あるいは他の媒体に呼び出されている言語情報を見聞きするだけじゃなく、それに加えてまた別のルートでその情報をインプットする。この場合は文字を書く=文字の形に手を動かすということですが、そういう複合的なインプットをたどることで、記憶ってのは定着しやすいものだよなあ、と。受験の時も英単語を憶えるために何度もノートに書きつけてましたが、やっぱ読むだけじゃいけんと思うのですよ。

話がちょっと脇に逸れましたが、『グラゼニ』は年俸という、華々しい試合の裏側に必ずある生々しいものにスポットを当てたところから始まった作品。6巻には解説者だけでなく監督・コーチの人事についてもちょろっと触れられています。今後もそういうところを描いていってくれると楽しいなあ。



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